「神の手」か「殺人」か ——日本初の心臓移植事件を、法と医の狭間から再考する

1968年8月8日、札幌。 日本医学界の歴史が、ある意味で「止まった」日です。

札幌医科大学において、和田寿郎教授の執刀により日本初となる心臓移植手術が行われました。 世界で30例目、アジアでは初という快挙。手術は成功し、患者は一時回復。日本中が「神の手」と沸き立ち、和田教授は一躍、国民的英雄となりました。

しかし、その熱狂はわずか数ヶ月で凍りつきます。 「あれは医療ではない。殺人だ」 後に作家となる同大学の整形外科医、渡辺淳一氏らによる告発を発端に、この栄光の手術は「和田心臓移植事件」として、日本の医療史に暗い影を落とすことになります。

筆者の祖父、近沢良は心臓外科医として、この和田教授のチームに所属し、歴史的瞬間のオペに立ち会っていました。 だからこそ、私にはこの事件を単なる「過去のスキャンダル」として片付けることができません。 あれは、医学という「Science & Art」が、法(Law)と倫理(Ethics)というガードレールを突き破って暴走した、痛ましくも必然的な衝突事故だったのではないか。

今回は、当時の現場の熱気と、その後に訪れた「二重殺人」という法的論点について、解剖医のような視点でメスを入れていきます。

「二重殺人」のロジック

この事件が法医学的に極めて特異だったのは、執刀医が「二重の殺人容疑」で刑事告発された点にあります。

一つは、心臓を提供したドナーに対する殺人。 もう一つは、心臓を移植されたレシピエントに対する殺人です。

当時、日本の法律において「脳死」は人の死として認められていませんでした。法的な死はあくまで「心停止・呼吸停止・瞳孔散大」の三徴候が揃った時点です。 しかし、移植手術のためには、ドナーの心臓は動いていなければならない。つまり、和田教授は「法的には生きている人間」の胸を開き、動いている心臓を取り出して、強制的に死に至らしめた——これが一つ目の殺人の論理構成です。

そして二つ目。レシピエントである宮崎氏は、移植手術を受けなければ余命いくばくもない状態だったとされましたが、後の検証で「保存的療法でも生存できた可能性」が指摘されました。不必要な人体実験的手術によって、彼を死期に追いやったのではないか。これが二つ目の殺人容疑です。

「密室の医療」 渡辺淳一氏が小説『ダブル・ハート』や『白き宴』などで執拗に問い続けたのは、この点でした。 ドナーの脳死判定は正しかったのか? レシピエントの適応判断は妥当だったのか? それらすべてが、和田教授という強烈なカリスマが支配する「密室」の中で、誰のチェックも受けずに決定されたことへの恐怖。

それは、医学が暴走したときの恐ろしさを、文学者の感性がいち早く嗅ぎ取った警告だったのかもしれません。

イノベーションは常に法を凌駕する

しかし、祖父たちの名誉のために、現場の視点も語らねばなりません。

当時の心臓外科医たちは、純粋に「目の前の命を救いたい」という情熱に燃えていました。 医学の進歩は、常に既存のルール(法)への挑戦から生まれます。かつて解剖が冒涜とされた時代にメスを握った先人たちと同様、彼らにとって法律とは「未だ科学に追いついていない古い足かせ」に見えたことでしょう。

「脳死は人の死である」という医学的確信。 それが法的に認められるのを待っていては、救える命が指の間からこぼれ落ちていく。 その焦燥感と使命感が、彼らを強引な「既成事実化」へと走らせた。彼らは殺人者になろうとしたのではなく、神の領域にある「死の定義」を、科学の力で書き換えようとしたのです。

結果として、検察は「証拠不十分」として不起訴処分を下しました。 しかし、このグレー決着がもたらした代償はあまりに大きかった。日本における臓器移植はその後、1999年の臓器移植法施行まで30年以上もの間、完全に凍結されることになります。 「疑わしきは行わず」。法と世論がかけた強力なブレーキによって、日本の移植医療は世界から何周も遅れることになったのです。

現代における「和田事件」の教訓

私がこの事件から学ぶべきは、和田教授の是非や渡辺淳一氏の批判の正当性ではありません。 「テクノロジーや技術(Science)が、法や倫理(Law/Ethics)を追い越したとき、社会はどのような反応を示すか」というメカニズムそのものです。

これは現代のAI技術や遺伝子編集技術にもそのまま当てはまります。 技術的には可能だが、法的には未整備。倫理的にはグレーだが、目の前の利益(救命や利便性)は明白。 そんな領域に踏み込むとき、イノベーターは常に「和田寿郎」になるリスクを背負っています。

独善的な「密室の判断」は、必ず社会からの強烈な反作用(パージ)を招く。 医学は「Scienceに基づくArt」であると同時に、「社会との契約に基づく奉仕」でもなければならない。 祖父たちが熱狂の中で見落としていたのは、この「社会との対話」というプロセスだったのかもしれません。

天才的なカミソリ(外科医)であっても、それを振るうための資格は、泥臭い社会的な合意形成の中にしかない。 札幌医大の冷たい手術室で起きたあの事件は、半世紀が経った今も、私たち医療者にそう語りかけているように思えてなりません。

近澤徹 医師の写真

医師監修:精神科医 近澤 徹

Medi Face代表医師、精神科医、産業医。
精神医療と職場のメンタルヘルスに関する啓発活動に従事し、
患者中心の医療を提唱。社会的貢献を目指す医療者として、
日々の診療と研究を続けている。

  • 医療法人鳳應会 理事長
  • 北海道大学医学部卒
  • 慶應義塾大学病院
  • 東京女子医科大学病院 研究員
  • 名古屋市立大学病院 客員研究員
  • 日本医師会認定産業医 / 精神科医
  • 株式会社Medi Face 代表取締役医師
  • 株式会社Legal Doctor 代表取締役医師
  • Z産業医事務所 代表医師
  • Medi Lex 代表医師
  • 須賀法律事務所 顧問医師
  • 日韓美容医学学会 常任理事
  • FRAISE CLINIC 統括医師
  • 日比谷セントラルクリニック 副院長
  • EIGHT CLINIC渋谷 統括医師
  • アイエスクリニック六本木 統括医師
  • ルナビューティークリニック池袋 統括医師
  • 医療法人伯鳳会 赤穂中央病院
  • 編集部

    Medi Face Journal編集部は、医療・テクノロジー・キャリア・ウェルビーイングといった領域を横断し、“いま本当に知るべきこと”を掘り下げて伝える専門メディアチームです。 医師・研究者・編集者・エンジニアなど、異なる背景を持つメンバーが集い、精神医療から産業ヘルスケア、医療人材のリアルまで、多角的な視点で「医療という営み」の本質に迫ります。

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