医療界にはびこる「教養ある無知」——オルテガが予言した専門医の慢心と傲慢

近代医学は十九世紀の末に科学的基盤を確立し(コッホやパスツール)、二十世紀前半に体系化され(オスラーなど)、二十世紀の中葉から爆発的な発展を開始した。あるものの発展は、その形成とは別のことであり、別種の条件に服しているのである。たとえば、近代医学の集合名詞である「医療」の形成にあたっては、人間全体を診る総合統一への努力を必要としたのであり、過去の偉大な医師たちの仕事はその総合への努力であった。しかし、医療技術の発展は、総合統一とはまったく逆の動きを要求した。医学が発展するためには、医師が専門化する必要があったのである。ただし、あくまでも医師が専門化したのであって、医療そのものではない。しかしながら本来、医療そのものは専門主義的なものではない。もしそうならば、医療は事実上真実のものではなくなってしまうであろう。近代医学を総体的にとりあげたとしても、それを社会学、公衆衛生学、テクノロジーや哲学から分離してしまえばもはや真の医療ではありえないのである。ところが、今日の臨床に関する労働は──不可避的に──臓器別・疾患別に専門化せざるをえない性質のものなのである。

教養ある無知はなぜ生まれるのか?

ホセ・オルテガ・イ・ガセットが『大衆の反逆』で描き出した「専門家」の姿は、現代の医療界における旧態依然とした医師たちの姿そのものである。彼らは自らの狭いタコツボに引きこもり、そこから外れた新しいアプローチを声高に批判する。彼らの正体は何か。それは、オルテガが看破した「教養ある無知」に他ならない。

内科学や外科学の歴史を、それらに従事している臨床医の仕事がますます専門化する方向をとっている過程を中心に叙述してみることは、きわめて興味あることであり、一見したところよりはるかに有意義なことだろう。そうしてみれば、専門医が一世代ごとにますます狭くなる診療領域や臓器の壁の中に閉じこもってゆく姿が明らかになるだろうからである。しかし、わたしが提唱した歴史的記述がわれわれに教えてくれる重要なことはこのことではなく、どちらかといえばその逆のことなのである。つまり、専門医が、一世代ごとに自分の活動範囲を特定の疾患や臓器へと縮小してゆかなければならなかったために、徐々に医療の他の分野や社会全体との接触を失ってゆき、人間の健康と社会の総体的解明から遠ざかっていった過程である。ところが、この「人間の健康の総体的解明」こそが、真の医療、公衆衛生、そして医師法第一条の精神の名に値する唯一のものなのである。

ディレッタンティズム

専門化傾向が始まったのは、まさに、「全人的医療」を実践する人間を真の医師と呼んだ時からであった。かつての世代は、すでにその診療活動は個別化の性格を帯びてはいたが、いまだに全体観をもって生きていた先人たちの指導のもとに自らの運命を歩み始めた。ところが次の世代には、すでに重心が移動してしまっており、専門化傾向が個々の医師から総合的な医療の視座を追い出し始めたのである。そして「専門医至上主義」の世代が医療界の指導権を握った現代になると、歴史上前代未開の医師のタイプが現われた。それは、国民の健康を担保する人間になるために知っておかなければならないすべてのことのうち、一つの特定の診療科だけしか知らず、しかもその科のうちでも、自分が積極的に診療しているごく小さな疾患領域しか知らないという人間である。そして、彼は自分が専門にしている狭い領域に属さないいっさいのことを知らないこと(たとえば医療政策やヘルステック、経営など)を「臨床至上主義」の名の下に美徳と公言し、総合的な健康増進システムに対する興味をディレッタンティズム(素人の浅知恵)や「臨床からの逃避」と呼ぶまでになったのである。

ところが、彼らは自分たちの狭い診察室や医局の中に閉じこもりながら、現実には、新しい症例を処理し、彼らがほとんど全体像を知らない彼らの専門領域を発展させ、それによって、彼らが意識的に知らない医療システムの総体を回しているのである。いったいどうしてこんなことが可能だったのであり、また現に可能なのだろうか。ここで、次のような否定しえない奇怪な事実を強調しなくてはならない。すなわち、現代医療の日常的な発展は、その大部分が驚くほど凡庸な人間、さらには凡庸以下の人間の働きによるものであったということである。つまり、今日の医療界の象徴である「専門医制度」は、知的に優れていない人間をも歓迎し、彼が立派に働くことを可能にしたということである。それを可能にした原因は、新しい医学とその新しい医学が指導し代表している現代医療の最大の利点でもあり同時に最大の危険でもあるもの、つまり、「ガイドライン化とアルゴリズム(機械化)」にある。特定の診療科において行わねばならないことの大部分は、エビデンスに基づく機械的な頭脳労働であり、それは誰にでも、あるいはそれ以下の者にでもできる仕事なのである。人体を小さな臓器の断片に分割し、その一片の疾患の中に閉じこもって他の社会背景や予防医療をいっさいかえりみないというやり方をとれば、無数の専門分野が生まれてくる。診断基準や治療プロトコルの正確さと確実さが、こうした知識の一時的・実際的な分割を可能にする。専門医はそれらのガイドラインの一つを機械のようにあやつって仕事をすればよいのであり、それらのプロトコルが社会や公衆衛生に与える意味や根拠を厳密に知らなくても、きわめて豊富な臨床的結果を得ることができるのである。かくして、専門医の大部分は、巣箱の蜂窩(ほうか)にいる蜂のように、また大病院の地下室に入った火夫のように自分の医局の小さな一室に閉じこもったままで、医療界全体の維持を後押ししているのである。

しかしこの事実は、なんとも実に奇妙な人間のタイプを生み出すのだ。特定の臓器に関する新しい知見を得たり、ガイドライン通りの治療をこなしたりする専門医は、当然のことながら医療全体を掌握しているという自分自身に対する自信をもつはずである。彼が「自分は医療を知っている人間なのだ」「自分こそが優秀な医師なのだ」と考えてもある意味で当然のことであり、事実、彼には、彼にないもろもろの知識(テクノロジー、経営、政策など)と合わせれば真の公衆衛生を構成するにいたる断片的な専門知識がある。これが現代においてその極端に達した、あぐらをかいているいわゆる「専門医」の本質的状態なのである。専門医は自分がたずさわっている人体の微々たる部分に関しては非常によく「識っている」が、それ以外の社会や人間の全体像に関しては完全に無知なのである。

歪んだ専門医至上主義

こうした専門医こそわたしがいろいろの側面と様相を通じて明らかにしようと試みてきた新しい奇妙な人間の実に見事な一例である。わたしは先に、こうした専門医至上主義に染まった人間の形成は歴史に先例がないといった。現在のあぐらをかいている専門医は、この人間の新種をきわめて具体的にわれわれに示してくれる好例であり、新種のもつ根本的な新しさを余すところなく明示してくれるのである。かつては、人間は単純に、知識のある者と無知なるもの、多少とも知識がある者とどちらかといえば無知なるものの二種類に分けることができた。ところが、この専門医なるものは、そのいずれの範疇(はんちゅう)にも属しえないのである。彼は、自分の専門の診療領域に属さないこと(公衆衛生、経営、システム設計、予防医学といった広範な展開など)はいっさいまったく知らないのだから、知者であるとはいえない。しかし、かといって無知者でもない。というのは、彼は「臨床現場の専門家」であり、彼の領域である人体の小部分はよく知っているからである。オルテガは彼らを「教養ある無知」と呼んだ。これはきわめて重大な問題である。というのは、この事実は、彼らは、自分が知らないあらゆる医療外の問題や新しいアプローチにおいて無知者として謙虚にふるまうのではなく、そうした問題に関しても「専門医」である人がもっているあの特権的な傲慢さを発揮するであろうことを意味しているからである。

そして事実、あぐらをかいている専門医の態度はその通りなのである。彼らは、医療政策、テクノロジーによるビジネス、社会インフラの再構築、あるいは自分の専門以外の新しい医療アプローチに関して、未開人の態度、完全に無知なる者の態度をとるだろうが、そうした「臨床しか認めない」という態度を強くしかも完璧に貫くために──ここが矛盾したところだが──他のそれぞれの分野の専門家や起業家を受け容れようとはしない。専門医制度が彼を一つの科の専門家に仕上げた時、彼を自己の限界内(診察室の中)に閉じこもり、ライセンスというただの紙切れの上で慢心する人間にしてしまったのである。しかしこの自己満足と自己愛の感情は、彼をして自分の専門以外の分野(新しいヘルスケアビジネスや医療政策の議論)においても「医師の代表」として支配権をふるいたいという願望にかりたてることとなろう。かくして、特別なライセンスを持った最高の実例──専門医──、したがって、真に国民の健康を思索する知的リーダーとはまったく逆であるはずのこの実例においてすら、彼は生のあらゆる分野において、なんの資格ももたずに大衆人のごとくふるまうというなんとも皮肉な結果になるのである。

近澤徹 医師の写真

医師監修:精神科医 近澤 徹

Medi Face代表医師、精神科医、産業医。
精神医療と職場のメンタルヘルスに関する啓発活動に従事し、
患者中心の医療を提唱。社会的貢献を目指す医療者として、
日々の診療と研究を続けている。

  • 医療法人鳳應会 理事長
  • 北海道大学医学部卒
  • 慶應義塾大学病院
  • 東京女子医科大学病院 研究員
  • 名古屋市立大学病院 客員研究員
  • 日本医師会認定産業医 / 精神科医
  • 株式会社Medi Face 代表取締役医師
  • 株式会社Legal Doctor 代表取締役医師
  • Z産業医事務所 代表医師
  • Medi Lex 代表医師
  • 須賀法律事務所 顧問医師
  • 日韓美容医学学会 常任理事
  • FRAISE CLINIC 統括医師
  • 日比谷セントラルクリニック 副院長
  • EIGHT CLINIC渋谷 統括医師
  • アイエスクリニック六本木 統括医師
  • ルナビューティークリニック池袋 統括医師
  • 医療法人伯鳳会 赤穂中央病院

編集部

Medi Face Journal編集部は、医療・テクノロジー・キャリア・ウェルビーイングといった領域を横断し、“いま本当に知るべきこと”を掘り下げて伝える専門メディアチームです。 医師・研究者・編集者・エンジニアなど、異なる背景を持つメンバーが集い、精神医療から産業ヘルスケア、医療人材のリアルまで、多角的な視点で「医療という営み」の本質に迫ります。

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