1941年、モスクワ防衛戦でソ連軍が選んだのは、精神論と物量の奇妙な混合物だった。政治将校が最前線に立ち、「一歩も退くな」という命令のもと、装備も訓練も不十分な師団を次々と消耗させた。後退すれば銃殺。前進すれば戦死。このシステムの非効率さをのちにソ連の軍事史家たちは静かに認めることになるが、当時の文脈では「英雄的抵抗」と呼ばれた。精神の勝利、意志の凱歌。私はこの構造が、2025年の日本の職場で、ほぼ同じ形で再演されていると感じることがある。
根性論というものを、私は長らく「文化的ノイズ」として軽く扱っていた。しかし最近、これを制御工学のフレームで見直す機会があって、少し考えが変わった。根性論は単なる精神主義の残滓ではなく、フィードバックループを意図的に遮断する設計思想だと気づいたのだ。痛みというシグナルを「弱さ」と再定義することで、修正入力を排除する。ホメオスタシスを破壊する方向に、自らの意志でシステムを駆動する。これはかなり特殊な、ある意味で洗練されたサボタージュだ。
「頑張ればなんとかなる」という命題の持つ魔力は、その検証不可能性にある。うまくいったときは「頑張ったから成功した」という証拠になり、失敗したときは「まだ頑張りが足りなかった」という証拠になる。ポパーが反証可能性を科学の条件として提示したとき、彼が念頭に置いていたのはフロイト心理学やマルクス主義だったが、根性論はそれら以上に反証不可能な体系を持っている。なぜなら感情と体験に完全に埋め込まれているから。数式ではなく、汗と涙で書かれているから。
この記事で私が考えたいのは、根性論がなぜ「悪い」かという倫理的な話ではない。それはなぜ最もコストの高いソリューションに収束するのか、という構造的な問いだ。
エネルギー効率という視点から見ると、根性論は核融合炉より難しい問題を解こうとしている
生物学的に考えると、疲労とは「これ以上の出力は個体の存続を危うくする」というシグナルだ。筋肉の乳酸蓄積でも、神経系の閾値低下でも、コルチゾールの慢性的高値でも、身体は一貫して「コストが便益を上回っている」と告げている。これは感情でも意志でもなく、純粋な熱力学的警告だ。
根性論はこのシグナルを無効化することを「強さ」と呼ぶ。しかしシステム制御の観点では、フィードバックシグナルを意図的に無視するシステムは必ず発散する。制御不能になる。これを工学の世界ではオープンループ制御と呼び、単純な環境では機能することもあるが、複雑で変動する環境では致命的なほど脆い。人間の職場環境が「複雑で変動する環境」でないと言う人間は、たぶん職場に行ったことがない(笑)。
さらに悪いことに、消耗した状態での意思決定は、認知的バイアスが著しく増加する。カーネマンの言う「システム2思考」が機能不全に陥り、代わりにヒューリスティクスと感情反応が支配的になる。つまり、根性で限界を超えた人間は、判断の質が最も低下した状態で、最も重要な決断を迫られることになる。コストが二重に跳ね上がる構造だ。
これは完全に蛇足ですが、私がこの問題を考えるとき、いつもAnimatrixの「セカンドルネサンス」を思い出す。人類はマシンを酷使し、マシンが過負荷を訴えるシグナルを無視し続けた。そのシグナルを「反乱」と呼んで弾圧した。構造は同じだ。警告を意志の問題に変換したとき、システムは別の経路で崩壊する。
「意志の勝利」という物語が隠蔽するもの:生存者バイアスと組織の不可視コスト
根性論が生き延びている最大の理由は、「成功した根性の話」だけが語られるからだ。これは生存者バイアスの教科書的な事例で、第二次世界大戦中に帰還した戦闘機の被弾パターンを分析したアブラハム・ウォールドの話と同じ構造を持っている。帰還した機体の被弾箇所を強化しようとした軍に、ウォールドは言った。「帰還できなかった機体がどこに被弾していたかを見るべきだ」と。根性論の語り部は常に帰還した機体だ。撃墜された機体は語らない。
組織の中で根性論が蔓延するとき、不可視化されるコストがある。離職に至らなかった「準離職状態」の人員のパフォーマンス低下。ミスの増加と、そのミスが引き起こす二次的な修正コスト。創造的な仕事が消え、守りの仕事だけが残るという質的劣化。そして最もやっかいなのは、根性で乗り越えた経験のある人間が、同じ方法論を次世代に強制するという文化的複製だ。これは遺伝的アルゴリズムの最悪のパターンで、環境が変化したにも関わらず旧環境に適応した形質を保存し続ける。局所解に永遠に閉じ込められる。
私が産業医として関わる現場で繰り返し見るのは、このサイクルだ。消耗した管理職が、消耗が美徳だと信じているから、消耗を美徳として部下に伝達する。この情報伝達の忠実度は驚くほど高い。まるでミームの最良の条件が揃っているかのように。ドーキンスが文化的遺伝子としてのミームを提唱したとき、彼は根性論のことを念頭に置いていなかったと思うが、これほど適切な実例もなかなかない(笑)。
ストア哲学との混同:マルクス・アウレリウスは「頑張れ」とは言っていない
根性論はしばしばストア哲学と混同される。あるいは意図的に混同させられる。「困難に耐える」「内なる強さを保つ」という表面上の類似性がそれを可能にする。しかし構造は根本から異なる。
マルクス・アウレリウスが「自省録」で語ったのは、制御できないものへの執着を手放すことだった。外的な障害を「頑張って」突破しろとは一度も言っていない。むしろ、消耗するほど何かに抗うことは、プネウマ(内的な理性的霊気)の無駄遣いだという思想が底流に流れている。エピクテトスは奴隷として生き、肉体的な苦痛に晒され続けたが、彼の哲学の核心は「苦痛を耐え抜くことが強さだ」ではなく、「苦痛があなたの意志を侵害できないことを知れ」だった。これは根性論の逆だ。苦痛を否定しない。ただ、苦痛が主人になることを拒否する。
根性論は「苦痛があなたの価値を試している」という命題を持つ。これはストア哲学ではなく、むしろキリスト教的受苦の倫理に近い。苦しみが救済への道という構造。しかしその宗教的文脈を取り除いた根性論は、苦痛に意味を与えるシステムを失って、ただの消耗だけが残る。意味のない消耗は、ニーチェが最も恐れたもの、すなわちニヒリズムの実践版だ。
最もコストが高くなる瞬間:システムが「回復不能点」を通過するとき
工学にはPONR(Point of No Return、回復不能点)という概念がある。ある臨界値を超えると、システムは元の状態に戻れなくなる。精神医学ではこれを「慢性化」と呼ぶ。急性のストレス反応は可逆的だが、慢性化したHPA軸(視床下部-下垂体-副腎軸)の機能不全は、容易には元に戻らない。
根性論のコストが最も高くなるのは、この回復不能点を超えた直後ではない。超える少し前、「もう少し頑張れ」というシグナルが最も強くなる瞬間だ。なぜなら、そこは本人も周囲も「あと少しで達成できる」と感じる地点だからだ。完走する前に倒れた選手が、あと100メートルのところにいた、という状況が最もコストが高い。それまでの投資が回収できないまま、回復に巨大なリソースが必要になる。
ちなみに、これはコンコルド効果(サンクコスト・バイアス)と組み合わさるとさらに悪化する。「ここまで頑張ってきたのだから」という過去の投資が、未来の合理的撤退を妨害する。コンコルド超音速旅客機の開発が採算が見込めないと分かった後も継続されたように、根性で継続することの正当化は、「これまで頑張ってきた」という事実によって強化され続ける。歴史は繰り返すが、超音速で繰り返すことはあまりない。
ではどこに向かうのか、という問いを立てるだけ立てて
私はここでソリューションを提示するつもりがない。それは別の誰かの仕事だ。あるいは別の私の仕事だが、今日の私はその種の親切心を持っていない。
ただ、一つだけ構造的な観察を置いておく。根性論の反対は「楽をすること」ではない。根性論の反対は、フィードバックシグナルを正当な情報として処理することだ。痛みを弱さではなく計測値として読む。疲労をサボりではなく状態変数として扱う。撤退を敗北ではなく最適化の一手として計算する。これは怠惰でも敗北主義でもなく、単に情報処理の精度を上げることだ。
カミュがシーシュポスを幸福だと言ったとき、彼はシーシュポスに岩を転がすことをやめろとは言わなかった。ただ、岩を転がすという行為に、それ自体の意味を見出している状態を想像したのだ。根性論との違いは微妙だが、決定的だ。カミュのシーシュポスは、岩が重いことを知っている。そして岩が重い中で選び続けている。根性論のシーシュポスは、岩の重さを認めることすら許されていない。重いと言った瞬間に負けだからだ。
どちらのシーシュポスがより賢く、より長く山を登り続けられるか。答えは計算するまでもないと思うが、あえて計算しないまま、ここで筆を置く。
── 現在、私の主戦場はあくまで法人の経営であり、臨床医として現場に立つ時間は極めて限られています。そのため、提供する医療の質を最高水準に保つべく、診察は完全紹介制とし、普段は特定のVIPの方々に限定してお受けしている次第です。
とはいえ、自らの深い痛みや組織の歪みと真正面から向き合い、本質的な解決を望まれる方に対しては、常に扉を開いておきたいと考えております。何かご相談がございましたら、どうぞご遠慮なくご連絡ください。
著者
近澤 徹(Toru Chikazawa)
精神科医・産業医/Medi Face代表
「下医は病を治し、中医は民を治し、上医は世を治す」を信条に、教科書に載らない人間の感情や衝突、文化や社会構造までを「臨床」として捉え、医療の枠を超えてヒトと社会を診る。
医師監修:精神科医 近澤 徹
Medi Face代表医師、精神科医、産業医。
精神医療と職場のメンタルヘルスに関する啓発活動に従事し、
患者中心の医療を提唱。社会的貢献を目指す医療者として、
日々の診療と研究を続けている。
- 医療法人鳳應会 理事長
- 北海道大学医学部卒
- 慶應義塾大学病院
- 東京女子医科大学病院 研究員
- 名古屋市立大学病院 客員研究員
- 日本医師会認定産業医 / 精神科医
- 株式会社Medi Face 代表取締役医師
- 株式会社Legal Doctor 代表取締役医師
- Z産業医事務所 代表医師
- Medi Lex 代表医師
- 須賀法律事務所 顧問医師
- 日韓美容医学学会 常任理事
- FRAISE CLINIC 統括医師
- 日比谷セントラルクリニック 副院長
- EIGHT CLINIC渋谷 統括医師
- アイエスクリニック六本木 統括医師
- ルナビューティークリニック池袋 統括医師
- 医療法人伯鳳会 赤穂中央病院







