ホメオスタシス、つまり生体の恒常性維持機構というのは、ある意味で残酷な設計をしている。身体は、崩壊の直前まで「正常であること」を演じ続けるからだ。体温が39度を超えても、血糖値が危険域に入っても、コルチゾールが長期にわたって分泌過多になっていても、当人はしばらくの間、なんとか機能し続ける。「まだ大丈夫」というのは嘘ではない。本当にまだ大丈夫なのだ。問題は、ホメオスタシスが最大限に動員されている状態を、当人が「平常運転」と混同してしまうことにある。
私はこの構造を、いわゆる「エース社員の燃え尽き」という現象と重ねて考えてきた。もちろん、「燃え尽き症候群」という言葉自体はもはや手垢まみれで、企業の人事担当者でも気軽に使うようになってしまった。しかし手垢がついた言葉の下に、まだ掘り起こされていない問いが埋まっていることは珍しくない。今回はそこを掘る。
「まだ大丈夫です」という一言が持つ意味について、私はある種の確信を持って言えることがある。あれは前兆ではなく、すでに起きていることの報告だ、と。
カエルは熱湯に気づかない──知覚の歪みとしての「適応」
有名な思考実験がある。カエルを熱湯に入れると即座に飛び出るが、常温の水に入れてゆっくり加熱すると、気づかずに茹で上がる、というやつだ。これは実際には神話に近い話で、本物のカエルはある閾値を超えると飛び出そうとする。笑 しかし人間においては、この比喩がむしろリアルに機能するという皮肉がある。
人間の知覚システムは、変化率に反応するように設計されている。物理でいう微分、つまり「差分」を検出する機構だ。急激な変化は知覚されやすいが、緩やかな変化は背景に溶け込んでいく。だから毎日少しずつ積み重なっていく疲弊は、当人には「いつもの感じ」として処理される。前日比でほとんど変化がないから、アラートが鳴らない。アラートが鳴らないから、「まだ大丈夫」という自己申告が生成される。これは認知の歪みではなく、神経系の正直な報告だという点が重要だ。
エース社員に特有の問題は、この適応能力が人並み外れて高いことにある。高いパフォーマンスを継続できる人間というのは、要するに「しんどい状態での稼働」に習熟しているわけで、言い換えれば、ホメオスタシスの動員限界が一般の人より遠い場所にある。本人が「まだいける」と感じている時点で、すでに一般的な閾値を大幅に超えていることが多い。能力が高いという事実が、センサーとしての機能を狂わせる。
ニーチェとバーンアウト──強者の崩壊は静かに来る
ニーチェが40代半ばに精神的に崩壊した経緯を、私はある種の象徴として受け取っている。彼の場合は梅毒性の神経疾患だという説が有力で、「精神的燃え尽き」とは文脈が異なるが、それでもあの崩壊の様式は示唆的だ。最後まで書き続け、思索し続け、そしてある朝トリノの広場で馬の首を抱きしめて泣き崩れた。前兆はあったが、周囲には「まだ機能している」と見えていた。
「強い意志」や「高い能力」を持つ人間が崩壊するとき、その崩壊は弱者のそれより目立ちにくい。弱者は早い段階でSOSを発信するが、強者は問題を自分の内側で処理しようとする傾向がある。これはモラルの問題ではなく、認知スタイルの問題だ。問題を外部化することへの抵抗感、他者への依存を「弱さ」として処理する内的な枠組み、そして「自分はまだ機能できている」という現実に一致した観察──これらが複合して、「まだ大丈夫です」という一言を生成する。
これは余談ですが、ニーチェが書き残した手紙の末期的な文章は、「私はすべての名前だ」という文で有名だ。彼の自我はその時点で、境界を失っていた。それを「狂気」と呼ぶのは簡単だが、私にはどこか、最後まで世界を把握しようとした意識の、ある種の誠実さのように見える。方向性が間違っていたとしても。
「機能する」ことと「生きている」ことの差分について
攻殻機動隊で草薙素子が繰り返し問い続けるのは、「私はどこで自分であることをやめるのか」という問いだ。義体化が進み、脳の一部さえも電子化された彼女は、自分の「ゴースト」の実在を疑い続ける。システムとして機能し続けながら、その機能の主体が何なのかを喪失していく恐怖。
エースが燃え尽きる前の状態は、この問いに近い構造を持っていると私は思っている。仕事はできる。成果も出る。会議での発言も的確だ。しかし「なぜこれをやっているのか」という問いへの回路が、静かに閉じていく。機能は維持されているが、意味への接続が切れ始めている。ゴーストが薄れていくのに、ボディは動き続ける。これを「まだ大丈夫」と呼ぶことは、ある意味で正確だ。機能という意味では、実際まだ大丈夫なのだから。
ただし、ここで問うべきは「機能しているか」ではなく「何が機能しているのか」だ。コルチゾールとアドレナリンと、これまでに蓄積した習熟度と、周囲の期待に応えようとする社会的本能が複合して、「人」の形をした何かを動かしている状態。それが「まだ大丈夫」の実態であることが少なくない。
ガスライティングとしての組織文化──「頑張れる人」への構造的な搾取
1944年にジョージ・キューカーが監督した映画『ガスライト』から派生した概念、ガスライティングは本来、個人間の心理的操作を指す。しかし私はこの概念を、組織文化の文脈でも適用できると考えている。「あなたはできる人だから」「あなたしかいない」「この仕事はあなたに向いている」──これらの言葉は、表面上は称賛だが、実質的には「しんどいと言ってはならない」という暗黙のメッセージを含む。
そしてエース本人も、内側からそのガスライティングを実行する。「自分はできる人間のはずだから、しんどいと感じるのはおかしい」「この程度で限界というのは甘えだ」「まだ大丈夫なのに弱音を吐くのは恥ずかしい」。これは意識的な思考ではなく、自己像と現実の乖離を埋めようとする無意識の機構だ。遺伝的アルゴリズムのように、自己評価を「生き残りやすい形」に収斂させていく。その収斂先が「まだ大丈夫」という一言だ。
1998年に公開されたAnimatrixの中に「Matriculated」という短編がある。機械が人間の夢の中に取り込まれ、人間の意識構造を「体験」させられる話だ。機械はその体験の中でかつての自分を見失い始める。これは完全に蛇足ですが、私はエース社員が「まだ大丈夫です」と言う瞬間に、似たような構造を感じることがある。彼らは組織が用意した「デキる社員」という夢の中に取り込まれ、本来の自分の知覚を組み替えられている。そしてその夢の内側では、まだ大丈夫なのだ。
閾値の崩壊は非線形だ──「突然」に見える理由
物理現象における相転移を思い出してほしい。水は100度でいきなり沸騰するが、99度までの過程は表面上、ただの「熱い水」だ。内部では激しい分子運動が起きているが、巨視的な観察からはわからない。そして100度という臨界点を超えた瞬間、系の状態が不連続に変化する。
バーンアウトの崩壊も、外部からは「突然」に見える。昨日まで普通に働いていたのに、今日から出勤できなくなった。先週まで成果を出していたのに、今週から連絡が取れなくなった。しかしこれは突然ではない。相転移の手前で、系はすでに臨界状態にあった。「まだ大丈夫」と言っていた時期の後半は、おそらく99度の水だったのだ。
重要なのは、この非線形性ゆえに、当人にも周囲にも予測が極めて難しいことだ。問題は観察の粗さにある。毎日の微細な変化を積分しない限り、臨界への接近は見えてこない。だが大半の職場では、そのような観察の解像度を持つ人間は──上司も本人も含めて──存在しない。
結び──問いとして残しておきたいこと
では、どうすればいいか、という問いを立てることを私はここでは意図的に拒否する。「まだ大丈夫です」という言葉が危険なサインだと知ることで、何かが変わるかというと、おそらく変わらない。知識はホメオスタシスを止めないし、ニーチェを読んでいてもニーチェは崩れた。構造の問題に、個人の認知を改善することで対抗しようとするのは、潮流に対してオールをこぐようなものだ。
私が思索として持ち続けているのは、「まだ大丈夫」という言葉が生まれる条件そのものについての問いだ。それは個人の強さでも弱さでもなく、「大丈夫かどうかを問われない状況で、大丈夫と答え続けることへの適応」の産物ではないか。問われない場所では、人は自分の状態を言語化する動機を持てない。言語化されなければ、知覚は「普通」という名の無意識に溶けていく。
カミュがシーシュポスを「幸福だと想像しなければならない」と書いたとき、それは強がりを肯定したのではなかった。不条理の中で意識を保ち続けることの、静かな宣言だったと私は読んでいる。「まだ大丈夫です」という一言が、そのような宣言として機能していればいい。しかし多くの場合それは、意識の宣言ではなく、意識の消えていく音だ。
その違いを、誰かが聴き分けられるかどうか。それを「制度」に任せることへの懐疑と、それでも「場」を作ることへの執着と、私はその二つを同時に抱えたまま、今日も組織の中をうろついている。笑
── 現在、私の主戦場はあくまで法人の経営であり、臨床医として現場に立つ時間は極めて限られています。そのため、提供する医療の質を最高水準に保つべく、診察は完全紹介制とし、普段は特定のVIPの方々に限定してお受けしている次第です。
とはいえ、自らの深い痛みや組織の歪みと真正面から向き合い、本質的な解決を望まれる方に対しては、常に扉を開いておきたいと考えております。何かご相談がございましたら、どうぞご遠慮なくご連絡ください。
著者
近澤 徹(Toru Chikazawa)
精神科医・産業医/Medi Face代表
「下医は病を治し、中医は民を治し、上医は世を治す」を信条に、教科書に載らない人間の感情や衝突、文化や社会構造までを「臨床」として捉え、医療の枠を超えてヒトと社会を診る。
医師監修:精神科医 近澤 徹
Medi Face代表医師、精神科医、産業医。
精神医療と職場のメンタルヘルスに関する啓発活動に従事し、
患者中心の医療を提唱。社会的貢献を目指す医療者として、
日々の診療と研究を続けている。
- 医療法人鳳應会 理事長
- 北海道大学医学部卒
- 慶應義塾大学病院
- 東京女子医科大学病院 研究員
- 名古屋市立大学病院 客員研究員
- 日本医師会認定産業医 / 精神科医
- 株式会社Medi Face 代表取締役医師
- 株式会社Legal Doctor 代表取締役医師
- Z産業医事務所 代表医師
- Medi Lex 代表医師
- 須賀法律事務所 顧問医師
- 日韓美容医学学会 常任理事
- FRAISE CLINIC 統括医師
- 日比谷セントラルクリニック 副院長
- EIGHT CLINIC渋谷 統括医師
- アイエスクリニック六本木 統括医師
- ルナビューティークリニック池袋 統括医師
- 医療法人伯鳳会 赤穂中央病院







