1984年、ジョージ・オーウェルはウィンストン・スミスに「過去を支配する者が現在を支配し、現在を支配する者が未来を支配する」と語らせた。独裁国家による記憶の改竄という文脈で書かれた言葉だが、私はこれを読むたびに、ある別の場面を思い浮かべる。休職中の患者が、昼過ぎのリビングでカーテンを半分閉めたまま、ソファに座っている場面だ。
時計の針は動いている。外の世界も動いている。しかし彼あるいは彼女の内側では、時間がひどく奇妙な振る舞いをしている。過去が異様な解像度で現れ、未来は霧の中に消え、現在という瞬間だけが、ほとんど耐えられないほどの重さを持って、そこにある。
休職というのは「戦線からの撤退」として語られることが多い。医療の言葉でいえば「療養」であり、社会的な文脈では「回復のための時間」となる。しかし私はずっとこの表現に違和感を持ってきた。撤退した人間が、なぜあんなに疲弊しているのか。戦場を離れたはずなのに、なぜ戦闘の傷が深まるように見えることがあるのか。
休職中の人間が24時間戦っている相手は、職場でも上司でも病気でもない。もっと根本的な何かだ、という気がしてならない。
ホメオスタシスという名の牢獄、あるいは「平衡」の暴力性について
生体には恒常性を保とうとする機能がある。体温を37度前後に維持し、血糖値を一定範囲に収め、心拍数を状況に応じて調整する。ホメオスタシスと呼ばれるこの機能は、教科書的には「生命の知恵」として肯定的に描かれる。確かにそうだ。これがなければ我々は外気温が2度下がっただけで死ぬ。
ところが、同じ機能が心理的・行動的な次元でも働いている、というのが問題の核心だと私は思っている。人間の神経系は、ある種の「負荷状態」を「通常状態」として記憶し、それを基準点として設定する。長期にわたって高ストレス環境に置かれた人間の神経系は、その緊張状態をノーマルとして登録してしまう。アドレナリンとコルチゾールが高い状態を「平常」として学習する、と言い換えてもいい。
ここに、休職という事態の逆説がある。休職によって外部の負荷源が消えた瞬間、神経系は「異常事態」として認識する。静けさが、安全のシグナルではなく、脅威のシグナルとして処理されるのだ。高分圧酸素環境に慣れた潜水夫が地上に戻ったときのような、奇妙な不適応が起きる。休むことが、かえって身体を戦闘モードに追い込む。
これは比喩ではなく、ほぼそのままの神経生理学的な話だ。ただし、そこから先は思索の問題になる。問いはこうだ。「回復」とは、失われた状態への回帰なのか、それとも新しい平衡点の再構築なのか。この二つはまったく違う営みを要求するのに、どちらも「休養」という一つの言葉で括られている。
「何もしない」を実行することの、途方もない難しさ
デカルトは「我思う、ゆえに我あり」と言った。意識の存在証明として有名だが、裏返せば「思わない私は存在しない」という命題でもある。これは少し怖い。
休職中の人間に「とにかく何もしないで休んでください」と言うのは、ある意味でデカルト的自己否定を要求することに近い。現代社会において、人間のアイデンティティは驚くほど「役割」と「生産性」に接続されている。会社員であること、親であること、誰かの部下であること、または上司であること。これらの役割が剥奪された瞬間、「では私は何者か」という問いが、底なし沼のような勢いで湧き上がる。
サルトルは「実存は本質に先立つ」と言ったが、実際のところ、多くの人間は本質より先に役割を生きている。役割が先にあり、実存は後からそれに張り付く形で成立している。休職はその構造を根底から揺さぶる。
これは余談ですが、私が面白いと思うのは、こういう状況を最もうまく描写したのが、哲学書でも医学書でもなく、しばしばSFだという事実だ。攻殻機動隊の草薙素子が「私はいつから自分だと思い込んでいたんだろう」と問うシーンは、義体と電脳というSF的装置を使いながら、休職中の人間が静かなリビングで直面するものと、構造的にほぼ同一の問いを提示している。役割と肉体から切り離された「私」は、果たして何であるか。攻殻機動隊がそれをSFとして描いた時代に、私たちはその問いを日常として生きることになった。笑
時間の質量変化、または「無限の現在」に閉じ込められるということ
物理学において、時間の流れは観測者の速度と重力場によって変化する。アインシュタインの一般相対性理論が予言し、GPSの誤差補正として実際に使われているほど、これは現実の話だ。光速に近い速度で動く観測者にとって、時間は外部より遅く流れる。
これも比喩として使いたいのだが、休職中の人間の主観的時間体験は、ある種の重力場の中に閉じ込められたそれに似ている。外界の時間は通常速度で流れ続けている。会社の同僚はプロジェクトを進め、SNSのタイムラインは更新され、世界は何事もなかったように動いている。しかし当人の内側では、時間が重く、粘度が高く、ほとんど停滞したように感じられる。
グレッグ・イーガンの「順列都市」では、コンピュータシミュレーション内で存在する人間が、外部の「現実時間」との乖離を生きる。自分が動く速度と外部の速度がずれている、という経験の奇妙さを、イーガンは恐ろしいほど精密に描写する。休職中の人間が「世界から取り残された」と感じるとき、その感覚は錯覚ではない。主観的時間と社会的時間の乖離は、神経学的にも確認できる現象であり、主観においてはリアルな現実だ。
彼らが戦っているのは、この時間の非対称性だ。社会が動き続ける速度と、自分が停滞する速度の、埋めようのないギャップ。そしてそのギャップが、毎日、毎時間、数値として可視化されてしまう。復職まで何日、休んでいる間に同期が昇進、という形で。
思考の遺伝的アルゴリズムが「最悪解」に収束するメカニズム
遺伝的アルゴリズムとは、進化の論理をコンピュータ上で模倣した最適化手法だ。多数の候補解を生成し、評価し、淘汰と変異を繰り返すことで、より良い解に収束させていく。原理的には、十分な時間と計算資源があれば、大域的最適解に近づけるはずだ。
ところが、初期条件と評価関数の設定を誤ると、アルゴリズムは局所最適解に罠にはまったまま、そこから抜け出せなくなる。外から見れば明らかに誤った方向に「最適化」し続けているのに、当のアルゴリズムは正しく動作している、と判断する。
休職中の人間の反芻思考は、これに似た構造を持っている。「自分は無能だ」「迷惑をかけている」「もう元には戻れない」という命題を起点として、神経系が繰り返し検証し、繰り返し同じ結論に「最適収束」していく。この反芻は怠惰でも意志の弱さでもない。設定された評価関数が間違っているまま、アルゴリズムが精密に動作しているだけだ。精密であるがゆえに、止まらない。
ちなみに遺伝的アルゴリズムで局所最適解から脱出するための技法の一つが「焼きなまし法」、つまり意図的にランダムな揺らぎを加えることだ。金属を高温で熱してゆっくり冷やすことで、結晶構造が大域最適に近づく、という冶金の知恵から来ている。思索としては面白いが、これを人間に適用しようとすると途端に危険な話になるので、ここでは止めておく。笑
それでも、あるいはだからこそ
ここまで書いてきて、私は何も「解決策」を述べていないし、述べるつもりもない。休職中の人間が何と戦っているかを、できるだけ正確に記述しようとしただけだ。
フランクルはアウシュビッツの体験から「苦しみにも意味を見出せる」という命題を導いた。私はこの命題を尊重しつつも、少し留保する。意味は、後から貼り付けるものではなく、構造を正確に理解した先に、あるいは現れてくるものだと思っている。戦っている相手の輪郭が見えないまま戦い続けることと、輪郭が見えた上で戦い続けることは、消耗の質がまったく異なる。
相手はホメオスタシスの逆説であり、役割剥奪の問いであり、時間の非対称性であり、誤った評価関数で動く精密な思考機械だ。どれも、根が深く、単純には解決しない。しかし、輪郭が見えた敵には、少なくとも名前をつけることができる。名前のついた敵は、ナメており見えない敵より、わずかにましだ。
Animatrixの「世界の記録者」という短編で、現実とシミュレーションの境界が溶けていく男が最後に「どちらが本物かは問題ではない。今ここにあることが、すべてだ」と静かに言う。私はこの台詞を時々思い出す。それが答えだとは思わない。ただ、問いの形として、誠実だとは思う。
休職という時間は、回復のためでも罰でもなく、もしかしたら「問いを立てることを強制される時間」なのかもしれない。そしてその問いに、あらかじめ正解は用意されていない。
── 現在、私の主戦場はあくまで法人の経営であり、臨床医として現場に立つ時間は極めて限られています。そのため、提供する医療の質を最高水準に保つべく、診察は完全紹介制とし、普段は特定のVIPの方々に限定してお受けしている次第です。
とはいえ、自らの深い痛みや組織の歪みと真正面から向き合い、本質的な解決を望まれる方に対しては、常に扉を開いておきたいと考えております。何かご相談がございましたら、どうぞご遠慮なくご連絡ください。
著者
近澤 徹(Toru Chikazawa)
精神科医・産業医/Medi Face代表
「下医は病を治し、中医は民を治し、上医は世を治す」を信条に、教科書に載らない人間の感情や衝突、文化や社会構造までを「臨床」として捉え、医療の枠を超えてヒトと社会を診る。
医師監修:精神科医 近澤 徹
Medi Face代表医師、精神科医、産業医。
精神医療と職場のメンタルヘルスに関する啓発活動に従事し、
患者中心の医療を提唱。社会的貢献を目指す医療者として、
日々の診療と研究を続けている。
- 医療法人鳳應会 理事長
- 北海道大学医学部卒
- 慶應義塾大学病院
- 東京女子医科大学病院 研究員
- 名古屋市立大学病院 客員研究員
- 日本医師会認定産業医 / 精神科医
- 株式会社Medi Face 代表取締役医師
- 株式会社Legal Doctor 代表取締役医師
- Z産業医事務所 代表医師
- Medi Lex 代表医師
- 須賀法律事務所 顧問医師
- 日韓美容医学学会 常任理事
- FRAISE CLINIC 統括医師
- 日比谷セントラルクリニック 副院長
- EIGHT CLINIC渋谷 統括医師
- アイエスクリニック六本木 統括医師
- ルナビューティークリニック池袋 統括医師
- 医療法人伯鳳会 赤穂中央病院








