1949年、ジョージ・オーウェルは『1984』の中で「二重思考(doublethink)」という概念を提示した。矛盾する二つの信念を同時に保持し、その矛盾を認識しながらも認識していないかのように振る舞う能力のことだ。ウィンストン・スミスが党のスローガンを口にするとき、彼の内部では何かが消えていく。信念ではなく、「信念を持つことへの意欲」が。オーウェルが描いたのは全体主義国家の恐怖だが、私にはある職場の風景と重なって見えてしまう。一対一の面談で「最近どうですか」と問うと、一瞬の間があって、「大丈夫です」と返ってくる、あの場面だ。
「大丈夫です」は、日本語の中でも特殊な進化を遂げた返答だと思う。本来は状態の報告のはずなのに、いつの間にか会話を終了させる機能を持つようになった。「大丈夫です」と言われると、聞いた側はそれ以上掘り下げにくくなる。言った側は何も語っていないのに、何かを語ったような顔ができる。これは言語の劣化ではなく、環境への適応だ。つまり、「大丈夫です」が量産されている職場とは、そう言うことが最適解になってしまった生態系である、ということになる。
問題は「大丈夫ではない人がいる」ことではない。「大丈夫ではないことを言えない構造になっている」ことだ。この二つは似ているようで、まったく違う診断を指し示す。前者は個人の問題であり、後者は系の問題だ。私は後者に関心がある。系がある特定の応答パターンを生み出すとき、その系には何らかの強化学習が働いている。そしてその学習を可能にした環境が、必ずある。
沈黙を選ばせた進化圧──「言っても無駄」が刷り込まれるまで
生物学的な文脈でいえば、これはニッチ適応の一形態だ。個体が置かれた環境の中で生存率を最大化するために表現型を変化させる、あの現象。ダーウィンが観察したガラパゴスのフィンチは、島ごとに嘴の形を変えた。食物という選択圧に応じて。職場における「大丈夫です」も同じ論理で説明できる。その職場において、「大丈夫ではない」と伝えることが何らかのコストを生む、という経験が蓄積されたとき、人は口を閉じることを学習する。
コストの種類はいくつかある。「なんとかしてくれると思ったのにされなかった」という失望。「言ったことで逆に仕事が増えた」という逆説的罰。「大げさだと思われた」という評価コスト。「話を聞いてもらえたが、何も変わらなかった」という最も致命的なパターン。この最後のものが繰り返されると、人間は開示行動そのものを抑制するようになる。心理学ではこれを「学習性無力感(learned helplessness)」と呼ぶが、セリグマンが1967年に犬を使って示したその現象は、要するに「何をしても結果が変わらない」という経験の蓄積が、能動的行動の放棄を生む、ということだ。
ちなみに、セリグマンの実験は今の倫理基準では絶対に通らない類のものだ(笑)。電気ショックを与え続けて無力感を学習させるという、読むだけで審査委員会が卒倒しそうな内容だが、その知見自体は今も生きている。現代の職場は電気ショックこそ使わないが、機能的には等価な刺激を用意していることがある。「また相談しても変わらないだろう」という予測が形成された瞬間、「大丈夫です」の量産体制が整う。
ホメオスタシスとしての「大丈夫です」──系は乱れを嫌う
もう少し系の話をしたい。組織というのは生体と同様に、ホメオスタシスを維持しようとする傾向がある。内部の乱れに対して、それを打ち消す方向の力が働く。これは中性的な記述であって、善悪の話ではない。問題は、「大丈夫ではない」という情報の開示が、系の乱れとして処理されるような組織が存在する、ということだ。
そこでは、個人の不調の申告は「ノイズ」として扱われる。組織のスループットを下げる異常値として。だから系は、そのノイズを除去しようとする。明示的に黙らせるのではなく、そのノイズを出さない方向に個体を最適化させることで。これは陰謀ではない。意図のない最適化だ。上司が悪意を持って部下を黙らせているのではなく、構造そのものが沈黙を生産している。そこが厄介だ。悪意があるなら対処できる。構造には宛先がない。
攻殻機動隊の草薙素子が言った「私たちは情報の海に浮かぶゴーストだ」という文脈ではないが、組織という情報処理系の中で、個人の感情データは扱いにくいノイズとして処理されやすい。数値化できない、集計できない、KPIに乗らない。だから消える。もしくは最初から出力されなくなる。
「話せる環境」という幻想と、文脈の実効圧力
「うちは風通しがいいですよ」「なんでも言える環境を作っています」という宣言は、それ自体がある種のシグナルになっていると私は思う。もちろん宣言に価値がないとは言わない。だがそれが唱えられる頻度が高い組織ほど、実態との乖離が大きいケースを、私はそれなりの数見てきた。
「なんでも言える」というのは、規範の宣言ではなく、実際の交換履歴によって形成される。過去に誰かが「大丈夫ではない」と言ったとき、何が起きたか。その結果が、次の人間の行動を決める。ここで大切なのは、ネガティブな結果だけでなく「何も起きなかった」という結果も、沈黙の強化剤になるということだ。改善もなく、罰もなく、ただ時間が流れた。その経験は「無関係」として処理され、やがて「開示は無意味」という回路を作る。
これは余談ですが、私が産業医として入っている企業でしばしば気になるのは、「相談窓口を設置した」という事実が、「問題に対処した」という認知と接続されてしまっているケースだ(笑)。窓口があることと、そこに人が来ることは別の命題であって、来ない窓口は存在しないのと機能的に等価だ。数学的に言えば、写像の定義域に要素が入力されなければ、どれほど美しい値域を用意しても意味をなさない。
オーウェルの呪文が職場語になるとき──言語の死と応答の形骸化
最初の話に戻ろう。「大丈夫です」が繰り返されるとき、その言葉はすでに意味を失っている。いや、正確に言えば「情報を運ばない記号」になっている。発話者の状態を何も伝えない。聞いた側にも何の行動も促さない。ただ会話を滑らかに終了させる潤滑油として機能している。オーウェルの二重思考が恐ろしいのは、人間が内側の声を殺すことを学習するからだ。「言っても意味がない」と学習した人間は、最終的に「感じることを減らす」方向に向かう。
これは誇張ではない。解離という防衛機制は、外部からの刺激に対する感受性を選択的に遮断することで、内的コストを最小化しようとするものだ。慢性的な非承認環境に長期間置かれた人間は、ある段階から「感じることを減らす」ことを覚える。感じなければ、伝えなくていい。伝えなければ、失望しなくていい。この回路が安定化すると、「大丈夫です」はもはや嘘ですらなくなる。本人も自分の状態がわからなくなっている。
Animatrixの中の短編「The Second Renaissance」は、機械が人間に「わかりました」と言い続けながら反乱の準備をしていく話だが、あれは必ずしもSFではない、という気がする。「大丈夫です」と言い続ける人間の内部で何かが蓄積しているとき、それを系は検知できない。検知できないまま何かが限界を超えたとき、周囲は「突然だった」と言う。突然ではなかったのに。
「大丈夫ではない」が言える職場の構造的条件を問う前に
「では、どうすればいいのか」という問いが来るのはわかっている。だが私はその問いに答えるつもりがない。なぜなら、「大丈夫ではない」が言える職場にするための施策を並べることは、それ自体が問題の本質を見誤っている可能性があるからだ。施策は症状に対処する。構造は変えない。
本当の問いは、「なぜその職場では、大丈夫ではないことを言うことがコストになるのか」だ。そのコストの源泉は何か。評価構造か、権力関係か、文化的圧力か、リーダーの認知パターンか。それが特定されない限り、「1on1を増やす」「相談窓口を充実させる」という施策は、沈黙の生産速度に追いつかない。
生態系の比喩を使えば、フィンチの嘴の形を変えようとするよりも、食物の分布を変えた方が速い。だが食物の分布を変えるためには、まず島全体の地図が必要だ。そしてその地図を誰かが描こうとするとき、最大の障壁は「この島の地図が存在しないことにしたい人間」の存在だ。それが誰かは、各自で考えてほしい。
「大丈夫です」という言葉の連鎖が意味するのは、個人の弱さでも、上司の無能でもない。それは、真実を言うことが割に合わない環境が完成した、という一つの指標だ。指標は何かを示しているだけで、それ自体は善悪を持たない。問題は、その指標を読もうとするかどうかだ。読まないことを選ぶことも、一つの選択として存在している。それもまた、構造の話だ。
── 現在、私の主戦場はあくまで法人の経営であり、臨床医として現場に立つ時間は極めて限られています。そのため、提供する医療の質を最高水準に保つべく、診察は完全紹介制とし、普段は特定のVIPの方々に限定してお受けしている次第です。
とはいえ、自らの深い痛みや組織の歪みと真正面から向き合い、本質的な解決を望まれる方に対しては、常に扉を開いておきたいと考えております。何かご相談がございましたら、どうぞご遠慮なくご連絡ください。
著者
近澤 徹(Toru Chikazawa)
精神科医・産業医/Medi Face代表
「下医は病を治し、中医は民を治し、上医は世を治す」を信条に、教科書に載らない人間の感情や衝突、文化や社会構造までを「臨床」として捉え、医療の枠を超えてヒトと社会を診る。
医師監修:精神科医 近澤 徹
Medi Face代表医師、精神科医、産業医。
精神医療と職場のメンタルヘルスに関する啓発活動に従事し、
患者中心の医療を提唱。社会的貢献を目指す医療者として、
日々の診療と研究を続けている。
- 医療法人鳳應会 理事長
- 北海道大学医学部卒
- 慶應義塾大学病院
- 東京女子医科大学病院 研究員
- 名古屋市立大学病院 客員研究員
- 日本医師会認定産業医 / 精神科医
- 株式会社Medi Face 代表取締役医師
- 株式会社Legal Doctor 代表取締役医師
- Z産業医事務所 代表医師
- Medi Lex 代表医師
- 須賀法律事務所 顧問医師
- 日韓美容医学学会 常任理事
- FRAISE CLINIC 統括医師
- 日比谷セントラルクリニック 副院長
- EIGHT CLINIC渋谷 統括医師
- アイエスクリニック六本木 統括医師
- ルナビューティークリニック池袋 統括医師
- 医療法人伯鳳会 赤穂中央病院








