数値が人を壊すのではない──「測定可能であること」が神になった時代の話

ガリレオが「自然という書物は数学という言語で書かれている」と言ったとき、彼はおそらく人事評価制度のことを考えていなかった。しかしその言葉は400年後、奇妙な形で結実した。自然を記述するために生まれた言語が、人間を記述するためにも流用され、そして人間を管理するために徴用された。現代の組織における数値目標、いわゆるKPIというものは、この系譜の末裔である。

私が産業医として企業の現場を歩くとき、しばしば奇妙な光景に出くわす。誰もがダッシュボードを見ている。売上、コンバージョン、エンゲージメントスコア、eNPS、有給消化率。画面の中に数字が並び、それに向かって人が動いている。傍から見れば極めて合理的な光景だ。しかし私には、どこかディストピア小説の一場面に見えてならない。オーウェルが「1984」で描いた監視は、カメラによって実現したのではなく、数値の自己申告によって実現しているのではないかという気がしてくる。

「KPIが人を壊す」という言説は、ここ数年でずいぶん市民権を得た。しかし私がこの命題に感じる違和感は、その言説が正しすぎて浅いということだ。KPIが凶器になる理由を「プレッシャーが強すぎる」とか「目標設定が非現実的だ」とか、そういうレイヤーで語られると、どうも焦点がずれている気がする。本当の問題は、もっと形而上学的なところにある。問題の本質は、「測定可能であることが、存在の条件になった」という倒錯だ。

これは単なる比喩ではない。組織の中で「測定できないものは存在しない」という論理が機能し始めたとき、そこで起きることは数値圧力ではなく、人間の認識論的な解体なのだと私は思っている。今日はその話をしたい。

グッドハートの呪いと、測定行為そのものが現実を侵食する問題

グッドハートの法則という概念がある。イギリスの経済学者チャールズ・グッドハートが1975年に提唱したもので、平たく言えば「ある指標が目標になった瞬間、その指標は良い指標でなくなる」というものだ。元々は金融政策の文脈での観察だったが、これが人間組織に適用されると、笑えない精度で現実を予測する。

顧客満足度スコアを上げろと言われた営業担当者は、顧客満足度を上げるよりも、顧客満足度のアンケートに高評価をもらいやすい会話術を磨く。有給消化率を指標にした組織では、実態として休めない文化が残ったまま、書類上だけ消化された有給が積み上がる。eNPSが経営指標になった瞬間、社員は「会社を友人に勧めるか」ではなく「この回答が自分にとって安全か」を考えながら設問に答え始める。

これは人間の邪悪さの話ではない。システムの構造が、そのような適応を必然的に生み出すというだけのことだ。遺伝的アルゴリズムを思い出してほしい。評価関数が設定された瞬間、個体群はその関数を最大化するように収束する。評価関数が現実の問題を正確に反映していなければ、個体群は現実の問題を解決する方向には収束しない。それだけのことだ。しかし「それだけのこと」が、組織の中で人間に起きると、話は量子論的に複雑になる。なぜなら人間は、適応しながら同時に、適応していることを自覚し、その自覚に苦しむからだ。

これは完全に蛇足ですが、Animatrixの中に「セカンド・ルネッサンス」というエピソードがある。AIが人間の奴隷として設計されたはずが、設計の論理が徐々に逆転していく物語だ。KPIの話をしていると、時々あの映像が脳裏に浮かぶ。管理するために作ったツールに管理されている、という倒置の構造が、妙に似ている。

「測定できないもの」の消滅と、それが組織の認識論に与える損傷

ここからが私にとっての本題だ。KPIの問題は、プレッシャーではなく、認識論的な暴力にある。

組織の中で長期間、数値目標の文化に浸った人間に起きる変化を観察していると、ある種の認知的な萎縮が見られる。それは、測定不可能なものを信じる能力の低下だ。もう少し正確に言うと、「今すぐ数値化できないものに時間とエネルギーを投下することへの、生理的な忌避感」の醸成といってよい。

信頼関係の構築に数値はつけられない。少なくとも、信頼の実体に対してではなく、信頼の代理指標に対してしか数値はつけられない。組織文化の質も、個人の思考の深さも、顧客との関係性の豊かさも、基本的には測定不可能だ。これらのものは存在するが、KPI文化の中では存在しないものとして扱われる。そして驚くべきことに、長期間そういう環境にいた人間は、測定不可能なものが「本当に」存在しないように感じ始める。

哲学的には、これはバークリーの問題の組織版だ。ジョージ・バークリーは「存在するとは知覚されることである(esse est percipi)」と言ったが、現代の組織は「存在するとは測定されることである」という独自の存在論を築いた。知覚の代わりに測定が来た、ということだ。これは進歩なのか退化なのか、私にはよくわからない。笑

この認識論的な損傷は、精神医学的な文脈では「具体的操作期への退行」に近い現象として捉えることができる。ピアジェの認知発達理論では、形式的操作期(抽象的思考)の前段階として具体的操作期がある。測定不可能なものを信じられなくなった人間の思考は、ある意味で具体的操作期に留まっているか、そこに引き戻されているとも見える。ただしこれは能力の問題ではなく、環境による適応の問題だ。

数値化という行為の暴力性──ベンサムの功利計算が失ったもの

功利主義の話をしたい。ジェレミー・ベンサムは18世紀に、幸福を数値化・計算可能なものとして扱い、「最大多数の最大幸福」を追求する倫理体系を構築した。これは当時としては革命的な合理主義であり、多くの社会制度の改善に貢献した。しかしミルが指摘したように、そして後のポスト功利主義の思想家たちが繰り返し論じたように、幸福の質的差異は数値化の過程で失われる。「満足した豚より不満足なソクラテスである方がよい」というミルの言葉は、数値化の限界への根本的な異議申し立てだ。

現代の組織における数値目標の問題は、ベンサム主義の組織的適用だと私は思っている。人間の行動と貢献を最大公約数的に数値化しようとする試みは、必然的にその人間の質的差異を平滑化する。経験20年の熟練社員の「判断の深さ」は、新人の「レスポンスの速さ」と同じKPIの軸に乗せられた瞬間、比較可能なものになる。比較可能になることで、その深さは見えなくなる。

ちなみに、サンプリング定理という概念がある。アナログ信号をデジタルに変換する際、元の信号の最高周波数の2倍以上のサンプリング周波数がなければ、信号は正確に再現されない。これ以下のサンプリングでは、エイリアシングと呼ばれる歪みが生じる。人間をKPIという「デジタル化」にかける行為は、そのサンプリング周波数が恐ろしく粗いアナログ-デジタル変換に似ている。当然、エイリアシングが生じる。そのエイリアシングこそが、組織の中で起きる「なぜこんなことになったのか」という、説明のつかない歪みの正体ではないかと思っている。

壊れるのは数値ではなく、数値の外側に広がっていた意味の空間だ

私がこのテーマを考えるとき、いつも思い出す実験がある。エドワード・デシの内発的動機付け研究だ。1971年に行われた有名な実験で、パズルを楽しんでいた被験者に報酬を与えると、報酬を止めた後に内発的動機付けが低下した。これはアンダーマイニング効果と呼ばれ、その後数十年の研究によって再現・精緻化されてきた。

外部報酬が内発的動機を侵食するメカニズムは、神経科学的な観点からも研究されており、ドーパミン系の外部依存化という形で理解されている。しかし私がより興味深いと感じるのは、このアンダーマイニング効果の「意味論的な側面」だ。報酬を与えることは、「お前がそれをやるのは、本来は喜んでやることではない。だから対価が必要だ」というメッセージを暗黙的に送ることになる。KPIはある意味で、この暗黙のメッセージを組織的・制度的にスケールした装置だ。

「お前の仕事には、数値で測れる分しか価値がない」というメッセージを毎月受け続けた人間が、どうなるか。まず測定可能な範囲以外への投資を止める。次に測定可能な範囲への投資も、純粋な達成感からではなく、数値達成という外部報酬のために行うようになる。そしてやがて、なぜ仕事をしているのかという問いへの答えを失う。これは燃え尽き症候群の発症機序の一つと私は見ているが、正確には「燃え尽き」ではなく「意味の空洞化」と呼ぶべき現象だ。燃え尽きは炎があった場所の話だが、この場合は炎が燃えるべき空間そのものが消失している。

マズローの欲求階層でいえば、自己実現欲求の空洞化だ。しかしそれよりもハイデガーの「本来性(Eigentlichkeit)」の概念の方が、私にはより正確に事態を記述している気がする。ハイデガーは、日常的な「ひと(das Man)」の世界に埋没することで人間が本来の自己を失うと論じたが、KPI文化はまさに「ひと」の世界を制度的に強化する装置だ。「ひと」はこの数値を達成する。「ひと」はこのスコアを維持する。本来の自己として何を成し遂げたいのかという問いは、ダッシュボードの画面の外側に置き去りにされる。

それでも測定は続く──あるいは、なぜ私たちは数値を手放せないのか

ここまで書いてきて、私は数値目標を廃絶せよと言いたいのかというと、そういうわけでもない。そんな単純な話をしたいのであれば、最初から書かない。笑

数値化・定量化は人間の認知の限界を補うための本質的なツールだ。測定なしに科学はなく、計測なしに医療もない。私が問題にしているのは、測定の行為ではなく、測定可能性が存在の条件になるという「形而上学的な逆転」だ。この逆転は、ある閾値を超えると組織の中で自己強化的なサイクルを形成し、測定不可能なものへの想像力そのものを侵食する。

物理学に高分圧酸素という概念がある。通常、酸素は生命にとって不可欠だが、高濃度・高圧力下では酸素毒性が生じ、神経系や肺を破壊する。生命の必須要素が、量と圧力の変化によって毒に変わる。数値目標も似た性質を持つと私は思っている。問題は数値そのものではなく、その分圧だ。そして現代の多くの組織の中で、KPIの「分圧」はとっくに毒性閾値を超えている。

ホメオスタシスを回復させようとする生体の自律的な動きのように、組織の中で何かが壊れ始めたとき、それは多くの場合「この数値おかしくないか」という疑問として芽生える。その疑問を持った人間が生き残れる組織は、まだ正気を保っている。その疑問を潰す組織は、ゆっくりと、しかし確実に、自分たちが何のために存在しているのかを忘れていく。

数値が人を壊すのではない。「数値の外側に何があるか」を想像する能力が失われたとき、人は壊れる。その能力は、筋肉と同じで、使わなければ萎縮する。そして怖いのは、萎縮した本人には萎縮していることがわからないことだ。ダッシュボードを眺めながら、何も失っていないと信じている。

それが、私が見ている光景だ。

── 現在、私の主戦場はあくまで法人の経営であり、臨床医として現場に立つ時間は極めて限られています。そのため、提供する医療の質を最高水準に保つべく、診察は完全紹介制とし、普段は特定のVIPの方々に限定してお受けしている次第です。
とはいえ、自らの深い痛みや組織の歪みと真正面から向き合い、本質的な解決を望まれる方に対しては、常に扉を開いておきたいと考えております。何かご相談がございましたら、どうぞご遠慮なくご連絡ください。

著者
近澤 徹(Toru Chikazawa)
精神科医・産業医/Medi Face代表
「下医は病を治し、中医は民を治し、上医は世を治す」を信条に、教科書に載らない人間の感情や衝突、文化や社会構造までを「臨床」として捉え、医療の枠を超えてヒトと社会を診る。

近澤徹 医師の写真

医師監修:精神科医 近澤 徹

Medi Face代表医師、精神科医、産業医。
精神医療と職場のメンタルヘルスに関する啓発活動に従事し、
患者中心の医療を提唱。社会的貢献を目指す医療者として、
日々の診療と研究を続けている。

  • 医療法人鳳應会 理事長
  • 北海道大学医学部卒
  • 慶應義塾大学病院
  • 東京女子医科大学病院 研究員
  • 名古屋市立大学病院 客員研究員
  • 日本医師会認定産業医 / 精神科医
  • 株式会社Medi Face 代表取締役医師
  • 株式会社Legal Doctor 代表取締役医師
  • Z産業医事務所 代表医師
  • Medi Lex 代表医師
  • 須賀法律事務所 顧問医師
  • 日韓美容医学学会 常任理事
  • FRAISE CLINIC 統括医師
  • 日比谷セントラルクリニック 副院長
  • EIGHT CLINIC渋谷 統括医師
  • アイエスクリニック六本木 統括医師
  • ルナビューティークリニック池袋 統括医師
  • 医療法人伯鳳会 赤穂中央病院

編集部

Medi Face Journal編集部は、医療・テクノロジー・キャリア・ウェルビーイングといった領域を横断し、“いま本当に知るべきこと”を掘り下げて伝える専門メディアチームです。 医師・研究者・編集者・エンジニアなど、異なる背景を持つメンバーが集い、精神医療から産業ヘルスケア、医療人材のリアルまで、多角的な視点で「医療という営み」の本質に迫ります。

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