ジェレミー・ベンサムが「功利主義」の設計図を引いたとき、彼は「最大多数の最大幸福」という命題を真剣に数値化しようとしていた。快楽と苦痛に係数をかけ、足し引きして社会を最適化する。その思想の末裔が、現代の労働基準行政にたしかに宿っている。月80時間という残業上限——いわゆる過労死ライン——は、そのベンサム的な計算の産物だ。どこかで誰かが、人間の死亡率と労働時間の相関をグラフに落とし、「この辺りで線を引けばまあ許容範囲だろう」と判断した。その線が、法律になった。
問題は、その線が「安全の保証」ではなく「死の許容範囲の上限」であることを、制度が巧みに隠蔽している点にある。月79時間の残業は適法だ。月81時間は違法だ。しかし人体は、その1時間の差を感知しない。循環器系はカレンダーを読まない。コルチゾールとアドレナリンの慢性的過剰分泌が引き起こす交感神経の恒常的亢進は、法律の条文とは無関係に進行する。ホメオスタシスが破綻するのに、行政の承認は不要だ。
私がこの問題を考えるとき、どうしても「数値化の暴力」という概念に引き寄せられる。数値は、それ自体の権威によって批判を封じる。「エビデンスに基づいた基準です」と言われた瞬間、反論には同程度のエビデンスが要求される。そして多くの場合、現場の感触や個別の文脈は「主観的データ」として棄却される。産業医としての私の経験もまた、その構造の中に閉じ込められてきた。
数値が持つ権威性と、それが隠す個体差という問題
月80時間という数値の根拠は、1988年に日本労働省(当時)が行った疫学的調査に端を発する。過労死事例を分析した結果、発症前2〜6ヶ月間に月平均80時間を超える時間外労働が認められる場合に業務との関連性が強いと判定された。この基準は現在も「過労死等防止対策推進法」の運用に引き継がれている。つまり、この数値には一応の実証的背景がある。
しかし、ここに遺伝的多様性という問題が入り込む。人間の睡眠必要量は遺伝的に規定されており、成人の必要睡眠時間は6〜9時間の間で個人差が大きい。ストレス応答の閾値もまた、HPA軸(視床下部-下垂体-副腎軸)の感受性によって個人差がある。ある人間にとって月80時間の残業は「きつい」で済む。別の人間にとっては、月50時間でHPA軸の調節障害が始まる。母集団の平均から導かれた基準値が、個々の生体には適用できないというのは、統計学の初歩的な問題だ。平均値は、その集団の中の誰かを正確に記述しているわけではない。
これは余談ですが、進化論的に見ると人間が「高ストレス状態に適応した個体」と「低ストレス状態に最適化された個体」に分岐しているのはそれなりに理にかなっている。多様なストレス応答特性を集団内に持つことは、環境変動に対するリスクヘッジになる。遺伝的アルゴリズムで言えば、集団の多様性を維持することで局所最適解への収束を避ける戦略だ。だから「なぜあいつはあれだけ働けるのに自分はダメなのか」という問いは、ほぼ意味がない。それは意志の問題ではなく、塩基配列の問題に近い。
産業医という立場の構造的矛盾、あるいは二重拘束について
産業医は、労働者の健康を守る義務を持つ。同時に、会社と契約関係にある。この二重性は、制度設計上の欠陥なのか、あるいは意図的な曖昧さなのか、私にはまだわからない。グレゴリー・ベイトソンが「ダブルバインド」という概念を統合失調症の発症機序として提示したとき、彼が描いたのは「どちらの選択肢を選んでも罰せられる」という構造だった。産業医の立場は、しばしばそれに近い。
たとえば、私がある企業で産業医を担当していたとき、月90時間を超えて残業している社員の面談を行った。彼のコルチゾール値を測定するまでもなく、面談室に入ってきた瞬間の眼球運動と発話速度と皮膚色から、副腎疲弊の相当な進行が読み取れた。私は「業務軽減が必要」という意見書を書いた。会社の人事担当者は「今期のプロジェクトが終わるまで待ってほしい」と言った。彼らに法的強制力はない——産業医の意見書は、会社に「配慮の義務」を生じさせるが、「実行の義務」を強制する力は極めて限定的だ。
そして私は、意見書を書いた。彼はその後もプロジェクトを続けた。幸い、その期では大事には至らなかった。しかし私が「幸い」という言葉を使えるのは、単なる確率論的な偶然の産物に過ぎない。もし彼が倒れていたなら、私は意見書を書いたという事実をもって、自分の「職務の履行」を証明できる。これが構造的矛盾の本質だ。制度は、私が「書いた」という行為によって免責されるよう設計されている。書くことと、守ることは、別のことだ。
法律が生み出す「コンプライアンスの安心感」という幻覚
1984年のオーウェルが描いたのは、言語の管理によって思考そのものを改変する社会だった。「ニュースピーク」は、反体制的な概念を言語から消去することで、そもそもその概念を考えられなくする。現代の過労問題においても、似た構造が作動している。「法令遵守」という言語が、「安全の確保」と同義として流通している。月80時間を超えていない=過労ではない、という等式が、企業文化の中で自明のものとして定着している。
しかし、コンプライアンスは安全の代替品ではない。航空工学の世界には「スイスチーズモデル」という事故発生モデルがある。複数の防御層(チーズの穴)が偶然一列に並んだとき、事故が起きる。法令遵守はその防御層の一枚に過ぎない。しかし多くの組織は、その一枚を揃えた時点で「全層を揃えた」と誤認する。法令遵守によって生じる安心感は、残りの穴を直視することを妨げる。つまり、過労死ラインという基準の存在が、かえってより精緻な安全管理への動機を削いでいる可能性がある。
ちなみに、これは高圧酸素の話と構造が似ている。低酸素状態では酸素投与が有効だが、酸素分圧が一定を超えると酸素毒性が生じる。「多ければ良い」という直感が、特定の閾値を超えた途端に逆転する。安全基準も同様で、「この基準を満たせば安全」という認知は、基準そのものが持つ境界効果を無視している。基準の近傍で動くことが、基準を大きく超えることと質的に異なるかどうかは、実は自明ではない。
過労死は「個人の弱さ」という物語の政治性
フーコーが「狂気の歴史」で明らかにしたのは、精神疾患という概念が純粋な医学的発見ではなく、社会的排除の技術として構築されてきたという事実だった。同様に、過労死を「体力のない個人の問題」として語る言説は、労働環境の問題を個体差の問題にすり替える政治的機能を持っている。「あの人は弱かった」という語りは、「この環境が人を殺す」という語りを封じる。
日本の司法において、過労死・過労自殺の労災認定は長らく極めて厳格な基準のもとに置かれてきた。遺族が「業務との因果関係」を立証する負担を負うという構造は、統計的に考えれば奇妙だ。製造物責任法では欠陥製品による被害の立証責任は製造者側に転換された。しかし、労働者の死においては、被害を受けた側がその原因を証明し続けなければならない。この非対称性は、偶然の産物ではないと私は思っている。
数値の外側に何があるのか、あるいは問いの宙吊りについて
攻殻機動隊の草薙素子は、自分の「魂(ゴースト)」の実在を問い続ける。義体化した身体に宿る「自分」とは何か。彼女の問いは決して解消されない。解消されない問いとともに、それでも彼女は行動する。私が産業医として感じる葛藤は、それに少し似ている——解消できない構造的矛盾を抱えたまま、それでも面談室に座り続ける、という行為の意味を問い続けている。笑
月80時間という数値は、おそらく今後も変わらないか、あるいは若干の修正を受けながら存続するだろう。数値が持つ安定性と可視性は、行政にとって手放し難い統治の道具だ。問題は、その数値が「何を測っているのか」ではなく、「何を測ることを放棄しているのか」にある。個体差、蓄積疲労、睡眠の質、心理的安全性、裁量の範囲、承認の有無——これらは月80時間という数値には一切含まれない。
法律は死を定義しない。法律は「この条件を満たせば死への関与を問われない」という免責の構造を定義する。これは法律に対する批判ではなく、法律というツールの本質的な限界の確認だ。ハンマーで釘を打つことはできる。しかしハンマーで空気を測ることはできない。私たちが本当に測りたいものは、どちらなのか——その問いに、私はまだ答えを持っていない。答えを持っていないまま、明日もまた誰かの面談をする。それが今の私の現実だ。
── 現在、私の主戦場はあくまで法人の経営であり、臨床医として現場に立つ時間は極めて限られています。そのため、提供する医療の質を最高水準に保つべく、診察は完全紹介制とし、普段は特定のVIPの方々に限定してお受けしている次第です。
とはいえ、自らの深い痛みや組織の歪みと真正面から向き合い、本質的な解決を望まれる方に対しては、常に扉を開いておきたいと考えております。何かご相談がございましたら、どうぞご遠慮なくご連絡ください。
著者
近澤 徹(Toru Chikazawa)
精神科医・産業医/Medi Face代表
「下医は病を治し、中医は民を治し、上医は世を治す」を信条に、教科書に載らない人間の感情や衝突、文化や社会構造までを「臨床」として捉え、医療の枠を超えてヒトと社会を診る。
医師監修:精神科医 近澤 徹
Medi Face代表医師、精神科医、産業医。
精神医療と職場のメンタルヘルスに関する啓発活動に従事し、
患者中心の医療を提唱。社会的貢献を目指す医療者として、
日々の診療と研究を続けている。
- 医療法人鳳應会 理事長
- 北海道大学医学部卒
- 慶應義塾大学病院
- 東京女子医科大学病院 研究員
- 名古屋市立大学病院 客員研究員
- 日本医師会認定産業医 / 精神科医
- 株式会社Medi Face 代表取締役医師
- 株式会社Legal Doctor 代表取締役医師
- Z産業医事務所 代表医師
- Medi Lex 代表医師
- 須賀法律事務所 顧問医師
- 日韓美容医学学会 常任理事
- FRAISE CLINIC 統括医師
- 日比谷セントラルクリニック 副院長
- EIGHT CLINIC渋谷 統括医師
- アイエスクリニック六本木 統括医師
- ルナビューティークリニック池袋 統括医師
- 医療法人伯鳳会 赤穂中央病院








