1930年代のソ連に、スタハノフという炭鉱夫がいた。一夜にして規定の14倍以上の石炭を掘り出したとされ、一気に英雄に祭り上げられた人物だ。真偽のほどは置いといて(実際には周囲に補助要員がいた可能性が高い)、彼の名前はそのまま「スタハノフ運動」という労働超過達成の国家的ムーブメントに転用された。要するに、「できる人間はこれだけやれる」という物語を作ることで、「できない人間は努力が足りない」という論理を社会全体に流通させたわけだ。これはソ連の話であって、現代日本とは関係ない、と言い切れる人がどれほどいるだろうか。
私は長いこと、職場のメンタルヘルスというものを「個人の問題」として語る文化に、ある種の居心地の悪さを感じてきた。「あの人はメンタルが弱いから休んでいる」という言い方が職場でなされる時、発話者は自分が何を言っているか、おそらく十分にわかっていない。表面上は事実の記述のように見えて、その言葉の底には「弱さ=恥」という価値体系が静かに埋め込まれている。
ホメオスタシスという概念がある。生体が外部環境の変化に対して内部の安定を保とうとする自律的な調整機能のことだ。ヒトの体は、傷つけば炎症を起こし、熱が上がり、食欲を落とし、眠ろうとする。それは「弱さ」ではなく、システムが正常に機能している証拠だ。問題は、そのシステムが正常に動いているのに、外側から「働け」「動け」「弱音を吐くな」という信号を叩き込み続けることで何が起きるか、という話だ。
休息を「弱さの産物」と見なす視点は、構造の問題を個人の属性にすり替える。これは知的に不誠実なだけでなく、実践的にも危険だ。今日はその話をしたい。
「弱さ」という語彙が果たしてきた政治的機能
フーコーは『監獄の誕生』の中で、規律権力が「正常」と「異常」を分類することによってどのように機能するかを論じた。あの分析を労働の文脈に引き写してみると、実に滑らかに当てはまる。「メンタルが強い人間=正常な労働者」「弱い人間=逸脱者」という二項対立を設定することで、「強さ」の側に留まり続けることへの動機づけが生まれる。人間は排除を恐れるから、排除の側に立つために、自分を消耗させることを選ぶ。監視されていなくても、自分で自分を監視する。これが規律権力の本質だ。
近代的な労働倫理の起源をウェーバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の中で論じているが、そこで指摘されているのは、「勤勉さ」そのものが宗教的救済の証明として機能するようになった過程だ。つまり、働くことは手段ではなく証明行為になった。この構造が、休むことを「証明の失敗」として読み解かせる回路を作り上げた。休職が「弱さの証明」に見えるのは、偶然でも個人の解釈の問題でもなく、500年かけて積み上げられた文化的なコードだ。
これは余談ですが、私が最初に産業医として現場に入った時、驚いたのは「休んでいる人」への視線の均質さだった。部署が違っても、業種が違っても、「あの人は弱い」という語り方がほぼ同じ語調でなされる。語彙の均質性は、思考が個人的なものではなく集合的なものであることを示している。誰かが考えたわけではなく、みんながそう感じるように設計されている。笑
システムのバグを個人のスペック不足と誤読する問題
コンピュータサイエンスに「遺伝的アルゴリズム」という最適化手法がある。多様な解の候補を同時に走らせ、環境への適合度が高いものを選択・交叉させながら解を進化させていく手法だ。重要なのは、「環境への適合度」は環境の設計に依存する、という当たり前の事実だ。ある解が「弱い」かどうかは、解自体の絶対的な性質ではなく、どんな環境で評価されているかによって決まる。
職場で誰かが倒れる時、その人のスペックの問題として語られることが多い。だが、同じ環境で複数の人間が同様の経過をたどる時、問題は個人のスペックにあるのか、環境の設計にあるのか。この問いに対して、組織はほとんどの場合、前者を選ぶ。なぜなら、後者を選ぶと組織の設計そのものを疑わなければならないからだ。
高分圧酸素環境下では、正常な肺組織でも損傷を受ける。これは肺が弱いのではなく、環境が生体の耐性を超えているからだ。「メンタルが弱い」という言い方は、この文脈で言えば「高分圧酸素で肺が傷んだ人間は肺が弱い」と言っているのに等しい。医学的に言えば完全な誤謬だが、職場という文脈では普通に流通している。
休息が「回復」ではなく「敗北」に見える理由
攻殻機動隊の世界では、人間はサイボーグ化によって肉体の限界を書き換えることができる。草薙素子は「肉体的な疲労」という概念そのものから部分的に切り離されている。あの世界観が示しているのは、ヒトが疲弊するのは「肉体というハードウェアの制約」であるという認識だ。逆に言えば、私たちが生身の人間であるという事実は、疲れることが設計上の正常動作であることを意味する。
にもかかわらず、現代の職場文化は往々にして「疲れない人間」を理想とする。疲れを見せないことがプロフェッショナリズムとして称揚される文化の中で、休むことは「制約を認めた」という敗北宣言として機能する。これは認知の歪みではなく、文化的な規範の問題だ。個人がどれほど健全な認知を持っていても、その規範の中に放り込まれれば、休息を恥と感じる回路は作動する。
ちなみに、睡眠研究の文脈では興味深いことがわかっている。睡眠を削って高パフォーマンスを維持できると主観的に感じている被験者の認知機能は、客観的な測定では著しく低下している。つまり、消耗しているほど「自分は大丈夫だ」という判断が信頼できなくなる。これを認識論的に見れば、最も助けが必要な状態が最も「助けは要らない」と感じさせる状態でもある、ということだ。(笑)
「弱い人が休む」ではなく「正直な人が先に折れる」という仮説
ダーウィンの自然選択は、しばしば「強いものが生き残る」という言い方で誤解される。実際には「現在の環境により適した形質を持つものが、相対的に多く繁殖する」というだけであって、「強さ」という絶対的な属性の話ではない。この誤読は、進化生物学の文脈では初歩的なミスとして処理されるが、社会の文脈では誰も訂正しない。
私が長年の観察から持つ仮説がある。職場で最初に倒れる人間は、必ずしも「弱い」人間ではない。むしろ、環境の歪みに対して正直に反応できる人間が先に折れる、という構造がある。感覚を麻痺させて、疲労シグナルを無視して、不満を「やりがい」に変換して、とにかく動き続けることができる人間は、ある種の「鈍さ」によって生き延びているとも言える。感受性の高さと、折れやすさは、同じコインの表裏かもしれない。
これは弱さの再定義の試みではなく、「弱さ」という語が現象を正確に記述していない可能性の指摘だ。語が現象を正確に記述しない時、私たちは現象ではなく語を信じる。そしてその語に従って人間を扱う。言語は現実の記述ではなく、現実の構成に参与する。ウィトゲンシュタインが言ったこととほぼ同じことを、産業医として現場で繰り返し確認している。
問いの形で置いておく
Animatrixの中の一篇に、機械が人間に奴隷として扱われながら、それでも人間の傍に留まろうとする場面がある。あれを見た時、私が感じたのは機械への同情ではなく、奇妙な既視感だった。システムに組み込まれた存在が、そのシステムへの忠誠を自発的に選ぶように見える構造、という意味で。
「メンタルが弱い人が休む」という言説が生き延びているのは、それが事実だからではなく、その言説が現在の生産システムにとって都合がいいからだ。弱さの語が個人に向けられる限り、システムは問われない。個人が問われ続ける限り、システムは持続する。ジョージ・オーウェルが描いたダブルシンクのように、人はこの矛盾を矛盾として感知しないまま内面化することができる。そして、その構造を最もよく内面化した人間が、最も「強い人間」として評価される。
これが何を意味するのか、答えは出さないでおく。問いの形で置いておくことの方が、たぶん誠実だ。少なくとも今の私には、きれいな答えより、正確な問いの方が価値があると思っている。
── 現在、私の主戦場はあくまで法人の経営であり、臨床医として現場に立つ時間は極めて限られています。そのため、提供する医療の質を最高水準に保つべく、診察は完全紹介制とし、普段は特定のVIPの方々に限定してお受けしている次第です。
とはいえ、自らの深い痛みや組織の歪みと真正面から向き合い、本質的な解決を望まれる方に対しては、常に扉を開いておきたいと考えております。何かご相談がございましたら、どうぞご遠慮なくご連絡ください。
著者
近澤 徹(Toru Chikazawa)
精神科医・産業医/Medi Face代表
「下医は病を治し、中医は民を治し、上医は世を治す」を信条に、教科書に載らない人間の感情や衝突、文化や社会構造までを「臨床」として捉え、医療の枠を超えてヒトと社会を診る。
医師監修:精神科医 近澤 徹
Medi Face代表医師、精神科医、産業医。
精神医療と職場のメンタルヘルスに関する啓発活動に従事し、
患者中心の医療を提唱。社会的貢献を目指す医療者として、
日々の診療と研究を続けている。
- 医療法人鳳應会 理事長
- 北海道大学医学部卒
- 慶應義塾大学病院
- 東京女子医科大学病院 研究員
- 名古屋市立大学病院 客員研究員
- 日本医師会認定産業医 / 精神科医
- 株式会社Medi Face 代表取締役医師
- 株式会社Legal Doctor 代表取締役医師
- Z産業医事務所 代表医師
- Medi Lex 代表医師
- 須賀法律事務所 顧問医師
- 日韓美容医学学会 常任理事
- FRAISE CLINIC 統括医師
- 日比谷セントラルクリニック 副院長
- EIGHT CLINIC渋谷 統括医師
- アイエスクリニック六本木 統括医師
- ルナビューティークリニック池袋 統括医師
- 医療法人伯鳳会 赤穂中央病院








