チャールズ・ダーウィンの自然選択説をやや誤解したまま企業経営に持ち込む人間は多い。「適者生存」という言葉を聞けば、強い者が残ると解釈する。だが実際のところ、ダーウィンが言ったのは「環境に適合した者が残る」であって、強さは関係ない。温暖な海に最適化したサンゴは、水温が2度上がれば白化して死ぬ。それは弱いのではなく、別の環境向けに精緻にチューニングされているのだ。採用ミスマッチとはおそらく、この話と同じ構造をしている。
人事部門が採用を語るとき、彼らはしばしば「合わなかった」という言葉を使う。まるで人間の資質に普遍的な品質基準があるかのように。だが私が精神科の文脈で人を診ていると、「合わなかった」という結論の裏には、ほとんど常に、より精緻な構造が隠れている。それは能力の問題でも人格の問題でもなく、ある種の認識論的な非対称性、つまり「同じ言葉で異なる世界を語り合っていた」という事実だ。
採用面接は、ある意味で二つの翻訳機が向き合う場だと思っている。企業は「我々の求める人材像」を言語化し、候補者は「自分という人間」を言語化する。双方とも誠実に翻訳しようとする。問題は、翻訳元が本質的に翻訳不能な代物だということだ。組織文化は言語化できない。人間の内的構造も言語化できない。翻訳不能なものを翻訳しようとすれば、必ず情報が落ちる。ミスマッチは、この情報欠落が現実化した姿に過ぎない。
ジョハリの窓ではなく、ルーマンの自己準拠系として組織を見る
ニクラス・ルーマンは組織を「自己準拠的なシステム」として捉えた。システムは外部からの情報を直接取り込むのではなく、自分自身のコードを通じてのみ環境を観察する。法システムは全てを「合法か違法か」に変換し、経済システムは全てを「支払えるか否か」に変換する。同様に、組織もまた独自のコードを持ち、そのコードで外部を翻訳する。
これを採用の文脈に引き込めば、話は相当に暗くなる(笑)。企業が「優秀な人材を探している」と言うとき、「優秀」の定義はその組織の自己準拠コードに依存している。あるコンサルティングファームの「優秀」と、ある医療機関の「優秀」は、同じ言葉を使いながら全く異なる生物を指している。候補者がいくら誠実に自己を表現したとしても、組織のコードがそれを正しく受信できなければ、信号はノイズに変わる。
ここで多くの人事担当者が犯す誤謬は、「もっと正確に伝えれば解決できる」という思い込みだ。ルーマン的に言えば、この発想自体がナイーブである。システムは外部からの情報で自分を変えない。自分のコードで外部を解釈するだけだ。採用面接でどれだけ詳細なジョブディスクリプションを提示しても、候補者はそれを自分の認知フィルターで解釈し、組織は候補者の回答を自分のコードで採点する。二重の変換を経た後に残る情報量が、果たしてどれほどのものか。
「パフォーマンス」という概念の罠——ゴッフマンとポリグラフの間で
アーヴィング・ゴッフマンは社会生活を演劇として分析した。人間は常に「表舞台」と「舞台裏」を使い分け、状況に応じた自己を演じる。これは欺瞞ではない。社会的存在としての人間の根本的な在り方だ。問題なのは、採用面接という場が「表舞台」の中でも最も過剰に演技圧力がかかる空間であるという点にある。
面接官は候補者の「舞台裏」を知りたいと思っている。しかし面接という構造が強制的に「表舞台」を立ち上げる。候補者は自分の最良バージョンを演じ、企業は自社の最良バージョンを演じる。双方が誠実に演じているにもかかわらず、双方が虚構の中に存在している。ポリグラフで嘘を見抜いたとしても無意味で、問題は嘘の有無ではなく、真実を語る構造が存在しないという事実だ。
これは完全に蛇足ですが、私がAnimatrixの「セカンド・ルネサンス」を好きなのは、機械が最初から敵対していたわけではないという点だ。機械は労働力として最適化され、人間社会のコードに適合しようとした。ミスマッチが生じたのは機械の失敗ではなく、システムの非対称性だった。採用ミスマッチも、根を辿ればそこに行き着く気がしている。話を戻す。
ゴッフマン的な視点でもう一歩踏み込めば、採用面接で最も信頼できる情報とは、実は候補者が「演技を維持できなかった瞬間」だ。想定外の質問への反応、沈黙の質、言葉に詰まった後の立て直し方。これらは舞台裏が漏れ出す隙間であり、組織のコードでは測定できない種類の情報を含んでいる。しかし多くの面接官は、このノイズを意味として読む訓練を受けていない。
ホメオスタシスとしての組織——なぜ「合わない人材」は排除されるのか
生体が体温や血糖を一定範囲に保とうとするように、組織もまたホメオスタシスを持つ。組織文化という名の恒常性維持機構が働き、逸脱した要素を修正しようとする。採用時に「変革をもたらす人材」を求めると言いながら、実際に変革者が入ると組織が拒絶反応を示す。これは組織の偽善ではなく、生物学的に言えば免疫応答に近い現象だ。
1950年代から60年代にかけて、ソロモン・アッシュは同調圧力の実験で有名な結果を残した。明らかに誤った答えを多数派が示すとき、被験者の約75%が少なくとも一度は多数派に合わせる。これは意志の弱さではなく、社会的認知の基本的な作動様式だ。組織における「合わない人材」は、アッシュの実験における異端回答者と同じ位置に置かれる。彼らは「間違っている」のではなく、異なるコードで回答しているだけだが、組織のホメオスタシスはその差異を誤差として処理する。
ここに採用ミスマッチの本当の皮肉がある。企業が「多様性」を謳えば謳うほど、採用プロセスは標準化され、評価指標は均一化され、ホメオスタシスはより強固になる。多様性を求めるシステムが、多様性を排除する構造を同時に生産している。これは矛盾ではなく、複雑系における典型的なダブルバインドだ。
精神科診察室で見えてくるもの——言語化できない「場の記憶」
職場不適応で診察室に来る人間の話を聞いていると、ある種のパターンが浮かぶ。彼らの多くは、入社前に感じた「何か引っかかるもの」を言語化できなかったという。面接官の目の動き、廊下で見かけた社員の表情、ロビーに流れていた音楽、そういった非言語的な情報の総体が、ある種の警告を発していた。しかし彼らはそれを「気のせい」として処理し、言語化された情報、つまり年収・職務内容・福利厚生だけを根拠に意思決定した。
ダマシオのソマティックマーカー仮説を持ち出すまでもなく、人間の意思決定は身体的な感覚と不可分に結びついている。額前野が損傷した患者は情報処理能力を保ちながら意思決定が極度に困難になる。感情がなければ選択できない。採用の場面で候補者が感じる「場の記憶」は、合理的分析の外側にある重要なデータだが、誰もそれを記録しようとしない。企業もまた同じで、面接官が候補者に感じた「何か」は議事録に残らない。双方が最も信頼できる情報を組織的に廃棄しながら、合理的な採用を行っていると信じている(笑)。
ちなみに、精神科医が診察で行うことの本質は、患者が語る言語情報と、その背後にある非言語的なシグナルのギャップを読むことだ。言葉と身体が乖離しているとき、そこに何かがある。採用面接に同じ技術を持ち込めば相当に有益だと思うが、こういうことを言うと「診察室と採用は違う」という反論が来る。まあそうですね。でも構造は同じだと私は思っている。
翻訳不能性と共に生きる——あるいは、ミスマッチという概念の解体
ヴィトゲンシュタインは「語り得ぬものについては、沈黙しなければならない」と言った。採用の文脈でこれを読めば、ほとんど絶望的な結論になる。最も重要な情報は言語化できず、言語化できないものは評価できず、評価できないものは意思決定に使えない。論理的に詰めれば、採用という行為は原理的にミスマッチを内包している。
しかし私が面白いと思うのは、ミスマッチが必ずしも悪であるとは言い切れないという点だ。遺伝的アルゴリズムの観点から見れば、変異(mutation)こそが進化の駆動力だ。完全にフィットした個体だけで集団を構成すれば、環境変化に対する適応幅がゼロになる。組織においても、現在の組織コードと微妙にズレた存在が、長期的には組織の適応能力を保存する。今日のミスマッチが明日の変異である可能性は、常に存在している。
もちろん、これは現実のミスマッチで苦しんでいる人間への慰めにはならない。根拠のない楽観論を述べたいわけではない。ただ、「ミスマッチ」という概念そのものが、静的な適合を理想とする時代遅れの組織観から来ているという点は指摘しておきたい。1984年のオーウェルが描いたビッグブラザーの社会は、ミスマッチを完全に排除した組織の究極形態だった。あれを理想と呼ぶ人間はいない。
採用ミスマッチを「問題」として解決しようとするアプローチは、翻訳不能性という根本的な条件を無視している。解決すべきは個別のミスマッチではなく、ミスマッチを発生させる構造的な非対称性——組織の自己準拠性、面接という演劇空間、ホメオスタシスの免疫応答——について、双方が認識を持つことではないか。認識が変わっても現実は変わらないかもしれない。でも少なくとも、なぜそうなったかは、わかる。
── 現在、私の主戦場はあくまで法人の経営であり、臨床医として現場に立つ時間は極めて限られています。そのため、提供する医療の質を最高水準に保つべく、診察は完全紹介制とし、普段は特定のVIPの方々に限定してお受けしている次第です。
とはいえ、自らの深い痛みや組織の歪みと真正面から向き合い、本質的な解決を望まれる方に対しては、常に扉を開いておきたいと考えております。何かご相談がございましたら、どうぞご遠慮なくご連絡ください。
著者
近澤 徹(Toru Chikazawa)
精神科医・産業医/Medi Face代表
「下医は病を治し、中医は民を治し、上医は世を治す」を信条に、教科書に載らない人間の感情や衝突、文化や社会構造までを「臨床」として捉え、医療の枠を超えてヒトと社会を診る。
医師監修:精神科医 近澤 徹
Medi Face代表医師、精神科医、産業医。
精神医療と職場のメンタルヘルスに関する啓発活動に従事し、
患者中心の医療を提唱。社会的貢献を目指す医療者として、
日々の診療と研究を続けている。
- 医療法人鳳應会 理事長
- 北海道大学医学部卒
- 慶應義塾大学病院
- 東京女子医科大学病院 研究員
- 名古屋市立大学病院 客員研究員
- 日本医師会認定産業医 / 精神科医
- 株式会社Medi Face 代表取締役医師
- 株式会社Legal Doctor 代表取締役医師
- Z産業医事務所 代表医師
- Medi Lex 代表医師
- 須賀法律事務所 顧問医師
- 日韓美容医学学会 常任理事
- FRAISE CLINIC 統括医師
- 日比谷セントラルクリニック 副院長
- EIGHT CLINIC渋谷 統括医師
- アイエスクリニック六本木 統括医師
- ルナビューティークリニック池袋 統括医師
- 医療法人伯鳳会 赤穂中央病院







