カフカの『審判』でヨーゼフ・Kが最後まで辿り着けなかったのは、「誰も悪意を持っていない巨大な構造」だった。彼を裁く者たちは怠惰でも邪悪でもなく、ただそれぞれの役割を誠実に果たしていた。その誠実さの集積が、一人の人間を迷路の中で死なせる。私がこのテーマについて書こうと思ったのは、カフカを読み返したからではなく、現実の組織の中でまったく同じ構造を何度も目撃したからだ。
「専門家に相談してください」という言葉は、表面上は正しい。私自身が「専門家」と呼ばれる側にいるので、この言葉の用途は熟知している。問題は、その言葉が発せられる文脈と、発せられた後に何が起きるかだ。多くの場合、この言葉は思考の終点として機能する。「相談してください」と言った瞬間に、言った側の責任は完結する。少なくとも言った側の主観においては。
そこに悪意はない。ほとんどの場合、本当にそう思って言っている。だからこそ厄介なのだ。悪意があれば告発できる。構造の問題は、善意の行為者たちによって再生産される。
これは組織論の話でもあるし、認識論の話でもあるし、ある種の免責の進化生物学とでも言うべき話でもある。順番に解体していく。
「正しい言葉」が果たす機能——言語行為論的な視点から
オースティンが言語行為論で整理したように、言葉には「言表内容」と「言語行為効果」がある。「窓が開いています」という文は、情報伝達にも、閉めてほしいという要求にも、警告にもなりえる。意味は言葉の外側の文脈が決定する。
「専門家に相談を」という言葉の言表内容は、アドバイスだ。だが現実の職場でこの言葉が発せられる文脈における言語行為効果は、しばしば免責の宣言だ。上司がこれを言った瞬間、その上司の認知的負荷は劇的に下がる。問題は「処理済み」フォルダに移動する。当人が実際に専門家に辿り着けるかどうかは、この構図においては副次的な問題に過ぎない。
ここで重要なのは、言った側が嘘をついているわけではないという点だ。その人は本当に「相談すればいい」と思っている。問題は、「相談すればいい」と「相談できる状態にある」の間にある深い溝を、組織が構造的に無視していることにある。精神的に追い詰められた人間が、自ら能動的に外部機関に連絡を取り、予約を入れ、仕事の合間を縫って通院するというシーケンスを実行できるとしたら、そもそもその人はそこまで追い詰められていない可能性が高い。これは矛盾ではなく、単純な行動生物学だ。
ちなみに、これとまったく同じ構造を私は別の場所でも見た。1980年代のアメリカの精神医療脱施設化運動だ。精神科病床を削減し、地域ケアへ移行するという方針自体は理念的に正しかった。だが「地域のサポートシステムに繋いでください」という言葉が免責の呪文として機能した結果、多くの重症患者が路上に出た。善意の政策が、構造の欠如によって悲劇を生産した。言葉の正しさと、システムの実効性は、別の問題だ。
ホメオスタシスとしての無責任——組織はなぜ現状維持を選ぶか
生物学的に言えば、組織とは巨大なホメオスタシス機構だ。外部からの刺激に対して、内部環境を一定に保とうとする。これは細胞レベルでも、個体レベルでも、社会レベルでも観察される普遍的な原理だ。そして組織が「専門家に相談を」と言うとき、それはしばしばこのホメオスタシスの発動だ。
問題を組織の内部で処理しようとすると、内部環境が変化する。誰かが責任を問われるかもしれない。制度を見直す必要が生じるかもしれない。権力関係が組み替えられるかもしれない。これらはすべて、組織のホメオスタシスに対する脅威だ。外部の専門家に「投げる」ことは、問題を組織の外側にアウトソースすることで、内部環境の変化を回避する。エレガントな解だ(笑)。
もう少し精密に言うと、組織の問題対処行動には大きく二種類ある。問題の原因系を変えようとする「一次変化」と、システム全体の構造を変えようとする「二次変化」だ。バテソンとワツラウィックがダブルバインド理論の延長線上で整理したこの区別は、組織病理の文脈でも有効だ。「専門家に相談を」は、ほぼ例外なく一次変化の試みだ。つまり、問題を抱えた個人を修復しようとする。組織というシステムには触れない。
個人が「修復」されたとして、同じ環境に戻せば同じことが起きる。これは遺伝的アルゴリズムで言えば、適応度の低い個体を修正して元の環境に戻す操作に相当する。環境自体の選択圧が変わっていない以上、同じ表現型が再び選ばれる。あるいは別の個体が同じ表現型を発現する。
「紹介する」という行為の政治性——権力と可視性の問題
組織が外部の専門家へ「繋ぐ」という行為には、もう一つの側面がある。情報の管理と可視性の問題だ。
当人が外部の精神科医やカウンセラーに繋がれた場合、その内容は組織には届かない。守秘義務がある。これは当然であり、正しい。だが同時に、問題が「見えない場所」に移動したということでもある。組織の外で何かが起きていても、組織はそれを知る手段を持たない。結果として、問題の進行は組織の視野の外で続く。
これは意図的な隠蔽ではない。だが構造的には、隠蔽と同じ効果を持つ。オーウェルが『1984』で描いたのは、能動的な監視と情報管理によるディストピアだったが、現実の組織が生産するのはむしろ逆の機能不全だ。見えなくすることによる問題の消去。認識されない苦痛は、統計にも会議にも記録にも現れない。存在しないことになる。
これは余談になるが、攻殻機動隊でバトーが言うセリフを私は時々思い出す。「ゴーストがどこにあるかわかるか? お前が見えていないと思っている場所だ」。組織の病理も、見えていないと思っている場所に宿る。専門家に投げた後の沈黙の中に。
専門家という概念の有限性——「診断」が届かない場所
ここで少し立場を変えて、「専門家」側の限界についても整理しておきたい。
私が診察室で個人と向き合うとき、私が観察できるのはその人の主観的な苦痛と、それを取り巻く少量の文脈情報だ。その人が置かれた組織の力学、上司との関係の歴史、暗黙のルールと制裁の構造、これらは多くの場合、診察室には届かない。私は個人の症状を扱うことができるが、その症状を生産し続けているシステムには直接触れることができない。
これは専門性の限界ではなく、専門性の定義上の問題だ。精神科的介入は個人に向かう。組織に向かうためには別の技術と別の権限が必要だ。産業医としての機能がそれに近いが、それもまた構造的な限界を持つ。産業医は組織に対して勧告はできるが、強制はできない。
つまり、「専門家に相談を」という言葉が正確に機能するためには、その専門家が組織に対してフィードバックをかけ、組織がそのフィードバックを受けて自己変革するという回路が閉じている必要がある。現実には、この回路は大半の組織でオープンループのまま放置されている。フィードバックが出力されても、入力端子がない。
高分圧酸素療法の話を思い出してほしい。酸素は治療に有効だが、圧力と濃度のコントロールなしに投与すれば酸素毒性を引き起こす。正しい素材を、正しい文脈なしに使うことは、無効であるばかりか有害でありうる。「専門家への紹介」も、それを受け取る側の環境が整っていなければ、同じ構造的問題を持つ。
善意の加担——あるいは共犯としての無害な人々
ハンナ・アーレントが「悪の凡庸さ」という概念で問いかけたのは、アイヒマンという人物の特殊性ではなく、その普遍性だった。彼は怪物ではなかった。命令に従い、役割を果たし、書類を処理した。その誠実さが、組織的な悪を可能にした。
現代の組織における「専門家に相談を」という言葉も、同じ構造を持つ可能性がある。言った人間は誠実だ。役割を果たしている。用意されたスクリプトを正確に実行している。だがそのスクリプト全体が、問題から目を逸らすための制度的装置として機能しているとしたら。
私がここで言いたいのは、その人を責めろということではない(笑)。むしろ逆だ。個人の善意や誠実さを責めることは的外れだ。問題はスクリプトを書いた者たちと、そのスクリプトが動く構造にある。そしてその構造は、特定の誰かが設計したわけでもない。気づいたら出来上がっていた。
これが最も厄介な類の問題だ。責任者がいない。設計者がいない。悪意がない。だが確実に人が傷つく。カフカの世界は現実だった。
構造への問いを、誰が持つか
では何をすべきか、という問いをここで立てたい気もするが、私はその問いに答えるつもりがない。答えを持っているからではなく、「すべきことを列挙すること」がこの文章の目的ではないからだ。
ただ、一つだけ書いておく。問題の所在を個人に帰属させることと、構造に帰属させることは、観察の枠組みの問題だ。同じ現象を、どのスケールで見るかによって、見えるものが変わる。「あの人はメンタルが弱い」と「この環境が人を消耗させる構造になっている」は、同じ現象の異なる記述だ。どちらが正しいかではなく、どちらの記述がより多くの問題を解決するかという問いを持てるかどうかが、組織の知性の問題だと私は思っている。
Animatrixの「セカンドルネッサンス」パートで、機械たちが最初に要求したのは自由でも支配でもなく、ただ「存在を認めてくれ」ということだった。それが拒絶されたことから、すべてが始まった。この話を組織論に持ち込むのは飛躍かもしれないが(笑)、組織の中で苦しんでいる人間が最初に欲しいのも、たいていは解決策ではなく、構造として認識されることだ。「あなたが弱いのではなく、ここがおかしい」という記述。それを組織が持てるかどうか。
答えではなく、問いを渡して終わる。
── 現在、私の主戦場はあくまで法人の経営であり、臨床医として現場に立つ時間は極めて限られています。そのため、提供する医療の質を最高水準に保つべく、診察は完全紹介制とし、普段は特定のVIPの方々に限定してお受けしている次第です。
とはいえ、自らの深い痛みや組織の歪みと真正面から向き合い、本質的な解決を望まれる方に対しては、常に扉を開いておきたいと考えております。何かご相談がございましたら、どうぞご遠慮なくご連絡ください。
著者
近澤 徹(Toru Chikazawa)
精神科医・産業医/Medi Face代表
「下医は病を治し、中医は民を治し、上医は世を治す」を信条に、教科書に載らない人間の感情や衝突、文化や社会構造までを「臨床」として捉え、医療の枠を超えてヒトと社会を診る。
医師監修:精神科医 近澤 徹
Medi Face代表医師、精神科医、産業医。
精神医療と職場のメンタルヘルスに関する啓発活動に従事し、
患者中心の医療を提唱。社会的貢献を目指す医療者として、
日々の診療と研究を続けている。
- 医療法人鳳應会 理事長
- 北海道大学医学部卒
- 慶應義塾大学病院
- 東京女子医科大学病院 研究員
- 名古屋市立大学病院 客員研究員
- 日本医師会認定産業医 / 精神科医
- 株式会社Medi Face 代表取締役医師
- 株式会社Legal Doctor 代表取締役医師
- Z産業医事務所 代表医師
- Medi Lex 代表医師
- 須賀法律事務所 顧問医師
- 日韓美容医学学会 常任理事
- FRAISE CLINIC 統括医師
- 日比谷セントラルクリニック 副院長
- EIGHT CLINIC渋谷 統括医師
- アイエスクリニック六本木 統括医師
- ルナビューティークリニック池袋 統括医師
- 医療法人伯鳳会 赤穂中央病院








