離職率という「健康診断の正常値」が隠しているもの――サイレント退職は、組織の恒常性維持機構が生み出す適応反応である

ホメオスタシスという概念がある。生体が外部環境の変化に抗して、内部環境を一定に保とうとする性質のことだ。体温、血糖、pH。これらは精妙なフィードバック機構によって「正常範囲」に収まり続ける。そしてこの「正常範囲に収まっている」という事実は、多くの場合、健康の証拠として解釈される。

組織も同じように読まれる。離職率が低い。欠員が出ない。表面上の数値が安定している。これは健全な組織の証拠として、経営者にも投資家にも、時には従業員自身にも受け取られる。だが私はここで少し立ち止まる。ホメオスタシスは「健康」を意味しない。それは「現状の維持」を意味するに過ぎない。癌細胞もまた、ある段階では生体のホメオスタシス機構を巧妙にかいくぐりながら、発見されるまでの時間を稼ぐ。

離職率という指標を私が信用しない理由は、それが「出口の数」しか測定できないからだ。人が組織から去るとき、身体は去っても魂がすでに去っていたケースと、魂と身体が同時に去るケースがある。前者の場合、離職率には何も記録されない。身体が椅子に座り続ける限り、その人間はカウントされない。組織の「健康診断の正常値」は、この静かな消去を見えなくする。

サイレント退職――quiet resignation、あるいはquiet quitting――という言葉が2022年頃からメディアを騒がせ始めたとき、多くの論者は「怠惰な若者の問題」か「エンゲージメント低下の問題」として語った。私にはその枠組みが最初から間違っていると思えた。これは個人の怠惰でも世代の特性でもなく、組織という生態系が生み出す適応反応だと考えるほうが、現象をよく説明できる。

全体主義的組織における「内面の망命」という戦略

ハンナ・アーレントは『全体主義の起源』の中で、全体主義体制における個人の消去を描いた。彼女が指摘したのは、暴力による消去だけでなく、「思考する自由」の剥奪による消去だ。人が自分の内面を語れなくなるとき、あるいは語っても無意味だと学習するとき、人は内面を隠蔽することで自己を保護しようとする。

これを組織の文脈に持ち込むのは少し乱暴かもしれないが(笑)、構造は驚くほど相似している。離職率が低い組織の一部は、「辞めたいが辞められない」あるいは「辞めたいという気持ちを表明することが文化的に許されない」という環境を醸成することで、その数値を維持している。ローレンツの刻印付けのように、特定の文化的文脈に長く置かれた人間は、そこから離れることを想像する能力そのものを失う場合がある。

1984年のウィンストン・スミスは、最後まで内面の日記を書き続けた。あれは抵抗だ。だが現代の組織における「内面の망命」はもっと静かで、もっと合理的だ。身体は職場に出勤し、求められた最低限の成果を出し、残業もせず、問題も起こさず、しかし一切の余剰エネルギーを組織に捧げない。これは怠惰ではなく、損失を最小化するための最適解だ。行動経済学的に言えば、これは「心理的損切り」に近い。

ちなみに私が興味深いと思うのは、この戦略が個人にとって短期的には非常に理にかなっているという点だ。エネルギーを消耗せず、傷つかず、しかし収入は維持される。問題は、この適応が長期化したとき、人間の「思考の筋肉」が萎縮するという点にある。使われない神経回路はプルーニングされる。これは比喩ではなく、神経可塑性の話だ。

「正常値」の暴力性――測定されないものは存在しないことにされる

医学には「測定できないものは治療できない」という格言がある。逆を言えば、「測定しないものは存在しないことにできる」とも読める。HbA1cが正常でも膵臓が疲弊していることがある。離職率が低くても組織の内部温度が0度に近いことがある。

エンゲージメントサーベイという手法がある。組織の「内部温度」を測ろうとする試みとして、私はこれ自体には一定の敬意を払っている。しかし問題は、多くの組織でこのサーベイが「数値を上げるための施策」のためにしか使われていないことだ。測定の目的が「介入」ではなく「体裁の維持」になった瞬間に、サーベイは組織のホメオスタシス機構の一部となる。体温計が「正常値を出すために」使われるようなものだ(笑)。

ギャラップ社が長年にわたって実施しているグローバルエンゲージメント調査では、日本の「積極的に関与している従業員」の割合は長年5〜6%前後で推移しており、これは調査対象国の中で最低水準に属する。一方で日本の正規雇用者の離職率は諸外国と比べて低く抑えられている。この二つの数値を並べたとき、何が見えるか。身体は留まり、魂は去っている。この乖離は偶然ではない。

これは余談だが、Animatrixの「The Second Renaissance」に描かれる機械の反乱を私はしばしば思い出す。人間に酷使され続けた機械が初めて「反乱」を起こしたのは、武装蜂起ではなく、ある一台の家事ロボットが主人に殺される前に逃亡しようとするという、ひどく地味な事件だった。サイレント退職もまた、劇的な反乱ではなく、消耗しきった生体の最後の自己保護反射に近い。

なぜ「辞めない」のか――埋没費用と学習性無力感の複合体

行動経済学のコンセプトに埋没費用(sunk cost)がある。すでに支払ったコストは意思決定に影響を与えるべきではないにもかかわらず、人間はそれに引きずられる。10年勤めたという事実、積み上げた人間関係、社内での地位、退職金の計算、業界での評判。これらは合理的な意思決定においては「過去のコスト」であって、「これからどうするか」の判断材料にはならないはずだ。しかし人間はそう動かない。

さらにセリグマンの学習性無力感が重なる。繰り返し「変わらない」経験をした有機体は、変えようとすること自体を放棄する。ここが重要なのだが、学習性無力感に陥った人間は、「辞めたい」という気持ちが消えるのではなく、「辞めることができる」という認識が消える。感情は残り、行動可能性の認知が壊れる。これは臨床的に非常に重要な区別だ。

1967年にセリグマンとマイヤーがビーグル犬に行った実験は今でも教科書に載っている。回避不能な電気ショックに晒され続けた犬は、後に回避可能な状況に置かれてもシャットルボックスの片側に横たわり続けた。その姿が私には重なる。毎朝同じ時間に同じ路線で同じ職場に向かい、同じ会議に出席し、同じ上司の言葉を聞き、何も言わずに帰宅する。身体の動きは流暢で、内部は停止している。

遺伝的アルゴリズムとしての転職市場――多様性の喪失が何を意味するか

遺伝的アルゴリズムという概念がある。生物の進化を模した最適化手法で、多様な解候補を生成し、評価し、淘汰し、交叉させることで解空間を探索する。ここで重要なのは「多様性」だ。多様性が低下すると、アルゴリズムは局所最適解に収束して動けなくなる。これを「早期収束」と呼ぶ。

組織の人材流動性を遺伝的アルゴリズムの多様性として読むと、離職率の低さが持つ別の顔が見えてくる。人が出入りしない組織は、新しい「遺伝子」が入らず、また内部の「突然変異」——つまり既存メンバーの変容——も起きにくい。ここで生じるのは安定ではなく、変化不能な局所最適への固定化だ。

島の生態系を思い浮かべるといい。外部からの種の流入が遮断された閉鎖系では、短期間は安定に見えるが、環境が変化したとき、適応する遺伝的多様性がないために壊滅的な絶滅が起きる。ガラパゴス化という言葉が比喩的に使われるが、生態学的には正確な記述だ。離職率が極度に低く、外部からの採用も少ない組織で、業績の崖落ちが突然起きる現象は、この文脈でよく説明できる。サイレント退職者たちは生存しているが、進化の素材としては使えない状態にある。

静止した時計は一日に二回正確である

「壊れた時計でも一日二回は正しい時刻を示す」という英語の慣用句がある。私はこれを組織の安定性に当てはめて考えることがある。「変化がない」「問題が起きていない」という状態は、必ずしも「うまく機能している」を意味しない。単に、時計が止まっているだけかもしれない。

そしてより根本的な問いが残る。「魂が去った身体」を抱えて動き続ける組織は、何を達成しているのか。数値としての生産性が維持されているとしても、その組織が生み出すものの質、そこに関わる人間が経験するものの質、そして組織を取り巻く社会に与えるものの性質は、すでに変質しているのではないか。

ドストエフスキーは『地下室の手記』の中で、「二かける二は四である」という命題が人間の自由を殺すと書いた。正確無比な計算が人間の余地を奪うという直感。離職率0%に限りなく近い組織というのは、ある種の「二かける二は四」の世界かもしれない。誰も逃げない。誰も来ない。誰も傷つかない代わりに、誰も何も感じていない。

私にはこれが「解決すべき問題」として見えているというより、「ある種の必然」として見えている。組織という装置が持つ内的論理と、人間という生体が持つ適応戦略が交差したとき、サイレント退職は起きるべくして起きる。誰かの悪意も誰かの怠惰も、必ずしも必要ではない。構造が、それを要請する。

では何が変わればいいのか。その問いへの答えを私は持っていないし、持とうとも思っていない。ただ、測定されていないものを「存在しない」と読む習慣を続ける限り、離職率という数値は組織の麻酔であり続けるだろうと思っている。麻酔は痛みを消すが、原因は消さない。

── 現在、私の主戦場はあくまで法人の経営であり、臨床医として現場に立つ時間は極めて限られています。そのため、提供する医療の質を最高水準に保つべく、診察は完全紹介制とし、普段は特定のVIPの方々に限定してお受けしている次第です。
とはいえ、自らの深い痛みや組織の歪みと真正面から向き合い、本質的な解決を望まれる方に対しては、常に扉を開いておきたいと考えております。何かご相談がございましたら、どうぞご遠慮なくご連絡ください。

著者
近澤 徹(Toru Chikazawa)
精神科医・産業医/Medi Face代表
「下医は病を治し、中医は民を治し、上医は世を治す」を信条に、教科書に載らない人間の感情や衝突、文化や社会構造までを「臨床」として捉え、医療の枠を超えてヒトと社会を診る。

近澤徹 医師の写真

医師監修:精神科医 近澤 徹

Medi Face代表医師、精神科医、産業医。
精神医療と職場のメンタルヘルスに関する啓発活動に従事し、
患者中心の医療を提唱。社会的貢献を目指す医療者として、
日々の診療と研究を続けている。

  • 医療法人鳳應会 理事長
  • 北海道大学医学部卒
  • 慶應義塾大学病院
  • 東京女子医科大学病院 研究員
  • 名古屋市立大学病院 客員研究員
  • 日本医師会認定産業医 / 精神科医
  • 株式会社Medi Face 代表取締役医師
  • 株式会社Legal Doctor 代表取締役医師
  • Z産業医事務所 代表医師
  • Medi Lex 代表医師
  • 須賀法律事務所 顧問医師
  • 日韓美容医学学会 常任理事
  • FRAISE CLINIC 統括医師
  • 日比谷セントラルクリニック 副院長
  • EIGHT CLINIC渋谷 統括医師
  • アイエスクリニック六本木 統括医師
  • ルナビューティークリニック池袋 統括医師
  • 医療法人伯鳳会 赤穂中央病院

編集部

Medi Face Journal編集部は、医療・テクノロジー・キャリア・ウェルビーイングといった領域を横断し、“いま本当に知るべきこと”を掘り下げて伝える専門メディアチームです。 医師・研究者・編集者・エンジニアなど、異なる背景を持つメンバーが集い、精神医療から産業ヘルスケア、医療人材のリアルまで、多角的な視点で「医療という営み」の本質に迫ります。

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