ニーチェが「力への意志」を書いたとき、彼が想定していたのは筋肉の収縮ではなかったはずだ。それは自己超克の哲学的な運動であって、深夜三時まで残業して翌朝九時に会議に出ることの正当化ではなかった。それがいつの間にか日本語の「根性」に吸収され、職場の壁に貼られる標語になった経緯を考えると、思想の受容というものが本質的にどれほど暴力的かを思い知らされる。
私は長らく、根性論が「効く」瞬間に興味を持ってきた。効かないことは自明すぎて面白くない。問題は、なぜあれが一時的に効いているように見えるのかという点だ。ここを誤魔化すと、根性論批判そのものが「優しい根性論」に化ける。つまり「無理をするな」という別の命令になる。そういう逆転が起きやすい議論ほど、構造から入る必要がある。
熱力学の第一法則は、エネルギー保存を語る。系に入力されたエネルギーは形を変えて保存される。しかし第二法則は残酷で、どんな変換にもエントロピー増大という代償が伴う。人間の意志という名の「頑張り」もまた、エネルギーの変換であって、無から湧くものではない。消費される基質がある。回路に熱が生まれる。そして秩序は、放置すれば必ず崩れる方向に向かう。根性論の最大の誤謬は、意志をエネルギー源と勘違いしている点にある。意志は変換器であって、燃料ではない。
では、根性論が最もコスト高になる瞬間はどこか。それを考えるために、私はまず「コスト」という言葉の解像度を上げることから始めたい。
見えないコストを可視化する――ラグ・タイムという概念の罠
根性論がなぜ生き延びるかというと、その損害発生にタイムラグがあるからだ。入力と出力の間に時間的な乖離がある系では、フィードバックが機能しない。人体はまさにそういう系で設計されている。
コルチゾールの話をしよう。慢性的なストレス下では副腎皮質から分泌されるコルチゾールが持続的に高値をとる。短期的には覚醒を維持し、集中力を高め、痛みの閾値を上げる。これが「頑張れている感覚」の神経基盤だ。問題はその先で、持続的な高コルチゾール状態は海馬の神経新生を抑制し、前頭前皮質の実行機能を損ない、免疫系を緩やかに破綻させる。しかしこれは数週間から数ヶ月のスパンで進行するため、本人は「今のところ大丈夫」という誤った読みを続ける。生体の適応が、損傷の認識を遅らせる。
これは経済学で言う「埋没費用の錯覚」と構造的に同型だ。すでに投入したコストへの惜別感が、追加投入の判断を歪める。身体が「今まで頑張ってきた」という記憶を持つとき、その記憶は損切りを難しくする。根性論は、この錯覚を「美徳」という名で上書きすることで、生存を正当化する。笑えない笑い話だが、これは笑えない。
ちなみに、Animatrixの「セカンド・ルネッサンス」で描かれる機械と人類の最終戦争において、人類の最後の戦略は「空を焦がして太陽光を遮断する」という自滅的な手だった。敵を弱らせるために自らの生存基盤を破壊する。根性論によって自己の回復系を壊しながら目標を追う構造は、あの絶望的な戦略と重なる。これは完全に蛇足ですが、あのシーンを初めて見たときに私が感じた「これは戦争の話だけではない」という違和感が、今の私の仕事の一部の起点になっている気がする。
帝国はなぜ根性論に向かうか――組織の自己保存とその失敗様式
歴史を見ると、根性論が組織の公式イデオロギーになる瞬間には、ある共通のパターンがある。それはシステムが限界に達した後、という点だ。
第二次世界大戦末期の日本軍における「特攻」という戦術は、資源・技術・人材のあらゆる論理的優位が失われた後に選択された。これを「狂気」と呼ぶのは簡単だが、組織論的には別の読み方ができる。合理的な選択肢が消えたとき、組織は「精神的価値」にリソースを集中させる。それは計算の失敗ではなく、計算が不可能になったときの応答様式だ。根性論とは、多くの場合、設計の失敗に対する精神の応答として登場する。
同じ構造は現代の企業組織でも繰り返される。事業計画が機能しなくなったとき、予算が底をついたとき、市場が想定と異なる動きをしたとき、経営者あるいはマネージャーが「みんなで頑張ろう」と言い出す。これはサボタージュではない。彼らは本気だ。しかしそれは、計算の敗北を精神で補おうとする試みであって、エントロピーを意志で逆転しようとする熱力学的な無理筋だ。
産業医として多くの組織を見てきた感覚では、根性論が最もコストを爆発させるのは「問題の発見が遅れた後」だ。早期に設計を修正できれば済む問題に対して、根性論が問題の認識そのものを遅らせる機能を果たす。痛みを感じさせないコルチゾールのように、組織の異常を「やる気の問題」にすり替えることで、構造的な診断の機会を奪う。そして限界を超えたとき、修復のコストは設計変更コストの数倍から数十倍に膨れ上がっている。
ホメオスタシスという皮肉――適応は常に破綻の布石である
生物学的に面白いのは、人体のホメオスタシスが実は「現状維持」ではなく「変化への抵抗」として機能している点だ。体温、血糖、血圧、これらはすべて一定の範囲に収まるよう複数のフィードバック機構が働いている。ところが慢性的な負荷をかけると、その「一定の範囲」そのものがシフトする。これをアロスタシスと呼ぶ人もいる。
つまり、長期にわたる根性論的負荷への適応は、正常値を書き換える。消耗した状態が「普通」になる。疲労感が消えるのは回復したからではなく、疲労センサーが鈍麻したからだ。このとき、当人は「だいぶ慣れてきた」と感じる。しかし生理学的な実態は、警報系が壊れた建物の中で平然と過ごしているのと同じだ。
これは余談ですが、Greg Eganの「順列都市」に出てくるコピー人間たちが、自分の主観的体験の信頼性について深く疑う場面がある。自分が「感じること」と「実際に起きていること」の間の乖離を、彼らは哲学的問題として引き受ける。人体の鈍麻もまた、同じ問題構造を持っている。自分の感覚レポートが、内部の実態を正確に反映していない可能性。それを「メンタルヘルス」と呼ぶのはいさか狭すぎる。
コストの非対称性――疲弊した人材が生産するもの
経営の視点から言えば、根性論のコストが最大化する瞬間は、疲弊した人材が意思決定に関わるときだ。
睡眠剥奪の認知機能への影響についての研究は、20年以上蓄積がある。17〜19時間の覚醒状態では認知機能が血中アルコール濃度0.05%相当に低下し、24時間覚醒では0.1%に達する。後者は多くの国で飲酒運転の基準値を超える。これは比喩ではなく、測定された数値だ。しかし多くの職場で、この状態の人間が財務判断や人事判断や契約交渉を行っている。根性論に染まった組織は、酔っ払いに舵を委ねていながら「一生懸命な船員たち」と呼ぶ。
さらに言えば、疲弊した人材が生み出すエラーのコストは直接費用だけではない。判断の質の低下、関係性の劣化、創造性の消失、これらは数値化されにくいが確実に存在する。遺伝的アルゴリズムの観点で言えば、適応度関数が機能しなくなった集団は、最適解への収束が起きない。変異と選択の循環が壊れる。根性論に覆われた組織では、失敗から学ぶ機能が停止する。痛みが麻痺しているから。
「頑張れ」という言語行為の政治性
ヴィトゲンシュタインは「言語ゲーム」という概念を使って、言葉の意味がその使用文脈によって決まることを示した。「頑張れ」という言語行為が持つ意味は、誰が誰に向けて、どのような権力関係の中で発するかによって根本的に変わる。
同じ立場の人間が互いに「頑張れ」と言い合うとき、それは連帯の表現として機能し得る。しかし上位者から下位者へ、あるいは組織の論理から個人へ向けられた「頑張れ」は、コスト転嫁の命令になる。システムの失敗を個人の意志の問題にすり替える修辞だ。ジョージ・オーウェルが「1984」でニュースピークを描いたとき、言語が思考を制限する機能を持つことを示したが、根性論の語彙もまた、構造的問題を可視化する思考を妨げる。「やる気」「根性」「気合」という語彙が支配的な組織では、設計の問題を語る言葉が存在しない。
私がこれを問題だと思う理由の一つは、この語彙の支配が善意の中で起きる点にある。悪意のある抑圧より、善意による構造的盲目のほうが、修正が難しい。笑。本当に笑えない意味での笑だ。
それでも根性が「効く」理由――短期的な適応の誘惑
公平を期すために言えば、根性論が完全な幻想かというと、そうでもない。短期的かつ高強度の局面では、意志的な負荷継続が実際に結果を生むことがある。アスリートのピーキング、外科手術の集中、危機対応の初動。これらは本物だ。
ただし、これらに共通しているのは「期限」と「回復の設計」だ。マラソン選手は42.195kmの後に倒れる権利を持っている。外科医は手術室を出た後に休む。これが根性論の有効な使用法だとすれば、問題はその期限と回復が設計されていない慢性的適用だ。戦術としての根性論と、イデオロギーとしての根性論は、根本的に異なるものだ。前者はコストを認識した上での一時的な超過使用であり、後者はコストの存在を否定する世界観だ。
哲学的に言えば、カミュのシジフォスは岩を山頂に運び続けることを呪いとして与えられたが、カミュはあの労働を「幸福」と読んだ。しかしカミュが読んだのは、シジフォスがその不条理を知っているという点だ。コストを知りながら選ぶことと、コストを知らないまま強いられることの間には、天と地の差がある。
結び――疲弊の先に何があるか、私にはわからない
根性論がコスト最大化する瞬間とは、構造的問題を精神論で覆い、そのことで問題の診断機会を奪い、回復の設計を「弱さ」と呼ぶことで排除し、最終的にシステム全体の修復コストが個人の一時的な奮起によって賄えるレベルを超えた時点だ、とひとまず言える。ひとまず、と書いたのは、この問いに答えを出すことにあまり興味がないからだ。答えより、問いの解像度を上げることの方が、私には面白い。
ただ一つ、構造として観察できることを書いておく。熱力学の第二法則に逆らった系は、必ずより大きな無秩序を代償として支払う。生体も組織も、この法則の例外ではない。根性論が最もコスト高になる瞬間は、過去のどこかにあるのではなく、今この瞬間に静かに進行しているかもしれない。それが見えないのは、感覚が鈍麻しているからか、あるいは見えているのに見ないことにしているからか。
どちらだとしても、私にできることはここまでの話を書くことだけで、あとはそれぞれが自分の系の状態を診る話だと思っている。笑。
── 現在、私の主戦場はあくまで法人の経営であり、臨床医として現場に立つ時間は極めて限られています。そのため、提供する医療の質を最高水準に保つべく、診察は完全紹介制とし、普段は特定のVIPの方々に限定してお受けしている次第です。
とはいえ、自らの深い痛みや組織の歪みと真正面から向き合い、本質的な解決を望まれる方に対しては、常に扉を開いておきたいと考えております。何かご相談がございましたら、どうぞご遠慮なくご連絡ください。
著者
近澤 徹(Toru Chikazawa)
精神科医・産業医/Medi Face代表
「下医は病を治し、中医は民を治し、上医は世を治す」を信条に、教科書に載らない人間の感情や衝突、文化や社会構造までを「臨床」として捉え、医療の枠を超えてヒトと社会を診る。
医師監修:精神科医 近澤 徹
Medi Face代表医師、精神科医、産業医。
精神医療と職場のメンタルヘルスに関する啓発活動に従事し、
患者中心の医療を提唱。社会的貢献を目指す医療者として、
日々の診療と研究を続けている。
- 医療法人鳳應会 理事長
- 北海道大学医学部卒
- 慶應義塾大学病院
- 東京女子医科大学病院 研究員
- 名古屋市立大学病院 客員研究員
- 日本医師会認定産業医 / 精神科医
- 株式会社Medi Face 代表取締役医師
- 株式会社Legal Doctor 代表取締役医師
- Z産業医事務所 代表医師
- Medi Lex 代表医師
- 須賀法律事務所 顧問医師
- 日韓美容医学学会 常任理事
- FRAISE CLINIC 統括医師
- 日比谷セントラルクリニック 副院長
- EIGHT CLINIC渋谷 統括医師
- アイエスクリニック六本木 統括医師
- ルナビューティークリニック池袋 統括医師
- 医療法人伯鳳会 赤穂中央病院








