加害者は鏡の中の被害者である──ハラスメントという名の認知の逆転について

ジョージ・オーウェルは『1984年』の中で、「二重思考(doublethink)」という概念を提示した。互いに矛盾する二つの信念を同時に保持し、その矛盾を矛盾として認識しない能力のことだ。党員たちは「戦争は平和である」と本気で信じながら、戦争に怯えている。これはディストピア小説の中だけの話ではない。私が日々の臨床や産業医活動の中で観察してきた、ある種の人間の内的状態と、驚くほど一致する。

ハラスメントの加害者が、自分を「被害者」だと思っているケースは多い。これを聞いて「そういう人間は自分勝手で自己認識がない」と一蹴してしまうのは、あまりにも早計だ。あるいは「反省していない証拠だ」と言いたくなる気持ちもわかる。ただ、それは現象の表面をなでているだけで、その下にある構造には一切触れていない。私はもう少し深いところを掘りたい。

問いを立て直そう。なぜ人間は、自分が加害している最中に、被害を感じることができるのか。これは道徳の話ではなく、認知の話だ。ある意味では、神経科学の話でもある。そして突き詰めると、人間の「自己」という概念がどのように構築されているか、という哲学的問いにぶつかる。

「ナラティブ自己」という虚構の防衛線

哲学者ダニエル・デネットは、「自己はナラティブの重心だ」と言った。私たちが「自分」だと思っているものは、実際には連続したストーリーとして脳内に構築された虚構の焦点に過ぎない。これは侮辱ではなく、ニュートラルな記述だ。自己とは物語であり、その物語を維持するために、脳は驚くほど積極的に情報を取捨選択する。

この文脈でいくつかの認知バイアスを思い出してほしい。基本的帰属の誤り(Fundamental Attribution Error)は有名だが、それ以上に興味深いのは「行為者-観察者バイアス」だ。自分が誰かを傷つけたとき、人間はその原因を「状況のせい」に帰属させる。一方、誰かに傷つけられたとき、その原因を「相手の性格のせい」に帰属させる。加害行為と被害感情は、この非対称な認知構造の上で同時に成立しうる。

上司が部下に怒鳴る。その上司の内的ナラティブはこうだ。「何度言ってもわかってくれない、気に入られようとゴマをすってくる、自分はちゃんと仕事をしているのに評価されない、こんな状況でなければ私だって怒鳴らない。」これは嘘ではない。少なくとも本人の認知の中では、完全に整合的なストーリーだ。ナラティブ自己はその矛盾を処理しながら、主人公としての自分を「傷ついた側」に配置し続ける。

権力勾配と「被害の相対化」──なぜ強者は自分を弱者と感じるのか

これは単なる認知の問題ではない。権力構造そのものに、被害感情を増幅させるメカニズムが組み込まれている。

社会心理学者ジェームズ・C・スコットは「ヘゲモニー」の文脈で、支配する側が自らの支配を正当化するために、自分を「秩序の守護者」として位置付けると論じた。秩序を乱す側は悪であり、秩序を守ろうとする自分は抵抗を受ける。この論理の中では、支配する側は常にある意味で「被害者」なのだ。ハラスメント加害者が使う言語はこれとよく一致する。「あいつが指示に従わないから仕方ない」「組織のためを思えばこそだ」「私の正しさが理解されない」。

ここで興味深いのは、権力の非対称性が認知の非対称性を生む、という点だ。客観的に見れば上位にいる人間が、主観的には「追い詰められている」と感じるのはなぜか。一つの仮説は、権力を持つ者ほど「コントロールの幻想」への依存が強く、その幻想が崩れるときの心理的ダメージが大きいということだ。期待どおりに動かない部下、従わない配偶者、評価してくれない組織。それは権力者にとって、存在の根幹を揺るがす脅威に映る。怒りは恐怖の変換形態であることが多い。そして恐怖は被害感情と隣接している。

これは完全に蛇足ですが、アニマトリックス(The Animatrix)の中の短篇「Second Renaissance」を思い出す。機械が人間から迫害を受けた過去を「記録」として保持し、やがて支配者になってからもその被害の記憶を動力源にしている。加害の連鎖を維持するために、被害の記憶は非常に有用なのだ。これは機械の話ではない、と私は思っている。

「ミラーリング」の失敗──他者の痛みが自己の痛みに変換されない回路

神経科学の文脈を少し借りる。ミラーニューロン系の研究が示すのは、他者の行動や感情を「自分ごと」として処理する脳内基盤の存在だ。ただし、このミラーリングは自動的に発動するわけではない。他者を「自己に類似した存在」として認識しているときほど、共感の回路は活性化しやすい。逆に言えば、他者を「自分とは異なるカテゴリ」に分類したとき、その人の痛みは自分の脳にとってほぼ処理されない。

ハラスメント加害者は、被害者を「自分と同じ感情を持つ存在」として認識していないことが多い。これは意識的な蔑視である場合もあるが、多くの場合は無意識的なカテゴリ分類の結果だ。「あの程度のことで傷つくはずがない」「自分はもっと辛い経験をしてきた」「弱い人間は社会に合わせるべきだ」──これらの言語化の背後には、他者の痛みをリアルなデータとして受け取れない回路の問題がある。そしてそのギャップを埋めるように、自分の内的被害感情が前景に出てくる。

哲学的にいえば、これはレヴィナスの「他者の顔」の問題だ。他者の顔に「絶対的な他性」を見出したとき、人間は倫理的関係に入る。しかし加害者の認知の中で、被害者は「顔のない機能」に格下げされている。機能は傷つかない。傷つくのは自分だけだ。

「被害者コスプレ」ではなく「認知的ホメオスタシス」として理解する

よくある言い方に「被害者ぶっている」というものがある。これは加害者に対するある種の批判として使われるが、私はこの表現があまり好きではない。「ぶっている」という言い方は、意図的な演技を前提にしている。しかし実際のところ、多くの場合それは演技ではない。

生物学的な概念で言えば、ホメオスタシスに近い。生体が内的環境を一定に保とうとするように、自己イメージも一定の状態を保とうとする。「自分は悪くない」「自分は被害を受けている」という状態が、長期にわたって神経回路に刻まれると、それを覆す情報はノイズとして処理される。認知的不協和の解消機構が働き、自己批判の回路はどんどん不活性化していく。これは遺伝的アルゴリズムで言えば、局所最適解に収束した状態だ。そこから抜け出すためには、大きな外的摂動か、内側からの強い問いかけが必要になる。

ちなみに、この「加害しながら被害を感じる」構造が一番精緻に完成するのは、長期的な関係性の中だ。職場でも家庭でも、時間をかけて相手をじわじわと追い詰めながら、自分は「ずっと我慢してきた被害者」として自己規定する。この場合、加害の記録は記憶から削除または書き換えられ、被害の記録だけが蓄積されていく。これを指摘されたとき、本人は心底驚く。なぜなら、本当に知らないからだ。

鏡の前に立てない理由──自己認識の限界と、それを超えることの難しさ

では、人はいつ自分の加害性に気づくのか。私が観察してきた範囲で言えば、それは「安全な環境」と「時間」と「もう一人の自分を持てる関係性」が揃ったときにしか起きない。説得でも、証拠の提示でも、法的措置でもない。それらは変容を強制することはできるが、認知の書き換えを起こすことはほぼない。

ハンナ・アーレントが「悪の凡庸さ」で示したのは、巨大な悪が特別な悪人によって遂行されるのではなく、自分の行為の意味を思考しない普通の人間によって遂行される、ということだった。アイヒマンは自分が正しいと思っていただけでなく、自分が傷ついていたかもしれない。規則を守り、命令に従い、批判され、理解されない。その被害感情が、思考の停止を正当化していた。

これは歴史の話であり、同時に現代のオフィスの話であり、家庭の話でもある。スケールが違うだけで、構造は同じだ。人間は自分の加害性を見るために、非常に高いコストを払わなければならない。なぜなら、それは自己ナラティブの根幹を揺るがすことを意味するからだ。そのコストを払える人間は、思ったより少ない。

私がここで「だから加害者に寄り添おう」とか「理解してあげよう」と言うつもりはない。被害を受けた側の痛みはリアルであり、加害者の認知の歪みはその免罪符にはならない。ただ、「加害者は被害者意識を持っている」という事実を「道徳的欠如」として処理してしまうと、その構造が永続する。構造を変えるためには、構造を理解する必要がある。それだけの話だ。

鏡の前に立てない人間に、鏡を見せることはできるか。私にはまだ、その答えがない。

── 現在、私の主戦場はあくまで法人の経営であり、臨床医として現場に立つ時間は極めて限られています。そのため、提供する医療の質を最高水準に保つべく、診察は完全紹介制とし、普段は特定のVIPの方々に限定してお受けしている次第です。
とはいえ、自らの深い痛みや組織の歪みと真正面から向き合い、本質的な解決を望まれる方に対しては、常に扉を開いておきたいと考えております。何かご相談がございましたら、どうぞご遠慮なくご連絡ください。

著者
近澤 徹(Toru Chikazawa)
精神科医・産業医/Medi Face代表
「下医は病を治し、中医は民を治し、上医は世を治す」を信条に、教科書に載らない人間の感情や衝突、文化や社会構造までを「臨床」として捉え、医療の枠を超えてヒトと社会を診る。

近澤徹 医師の写真

医師監修:精神科医 近澤 徹

Medi Face代表医師、精神科医、産業医。
精神医療と職場のメンタルヘルスに関する啓発活動に従事し、
患者中心の医療を提唱。社会的貢献を目指す医療者として、
日々の診療と研究を続けている。

  • 医療法人鳳應会 理事長
  • 北海道大学医学部卒
  • 慶應義塾大学病院
  • 東京女子医科大学病院 研究員
  • 名古屋市立大学病院 客員研究員
  • 日本医師会認定産業医 / 精神科医
  • 株式会社Medi Face 代表取締役医師
  • 株式会社Legal Doctor 代表取締役医師
  • Z産業医事務所 代表医師
  • Medi Lex 代表医師
  • 須賀法律事務所 顧問医師
  • 日韓美容医学学会 常任理事
  • FRAISE CLINIC 統括医師
  • 日比谷セントラルクリニック 副院長
  • EIGHT CLINIC渋谷 統括医師
  • アイエスクリニック六本木 統括医師
  • ルナビューティークリニック池袋 統括医師
  • 医療法人伯鳳会 赤穂中央病院

編集部

Medi Face Journal編集部は、医療・テクノロジー・キャリア・ウェルビーイングといった領域を横断し、“いま本当に知るべきこと”を掘り下げて伝える専門メディアチームです。 医師・研究者・編集者・エンジニアなど、異なる背景を持つメンバーが集い、精神医療から産業ヘルスケア、医療人材のリアルまで、多角的な視点で「医療という営み」の本質に迫ります。

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