1984年にオーウェルが描いたディストピアで最も恐ろしいのは、拷問でも監視でもなく、人々が自分から考えることをやめたという事実だと私は思っている。ウィンストン・スミスが最終的に到達する「2+2=5」の受容は、暴力によって強制されたものではあるが、その手前に長い「自発的な沈黙の練習」があった。組織の沈黙について考えるとき、私はいつもあの場面を思い出す。
会議室で意見が出ない。ブレインストーミングと銘打ったセッションで、誰も喋らない。リーダーが「なんでもいい、思ったことを言ってほしい」と言うたびに、室温が一度下がるような気がする。こういう光景を、私はずいぶん長く観察してきた。経営者は往々にして「うちは揉めない、チームワークがいい」と言う。その言葉を聞くたびに、私の中の何かが静かにため息をつく。
揉めないことと、諦められていることは、表面上まったく同じ顔をしている。平和と廃墟は、遠くから見ると区別がつかない。
問題は「なぜ人は発言しなくなるのか」ではない。その問いは既に手垢がつきすぎている。私が面白いと思うのは、もう少し構造的な問いだ。すなわち、沈黙はいつ「戦略」から「適応」に変わるのか、そして適応が完了したとき、もはや組織はその事実に気づく手段を失うのではないか、という問いである。
学習性無力感は「弱さ」ではなく、ひとつの最適解である
マーティン・セリグマンの犬たちは、逃げられない状況で電気ショックを受け続けた後、逃げられる状況になっても逃げなかった。これはよく「諦め」の比喩として使われるが、私はその解釈が少し甘いと思っている。あの犬たちは「諦めた」のではなく、「逃げないことが最も損失の少ない行動である」という経験則を正確に学習したのだ。
これは感情の問題ではなく、ベイズ的な更新の問題だ。何度か発言して、無視されるか、あるいはそれとなく潰される経験をした人間は、「発言することの期待値」を粛々と更新していく。そのプロセスは合理的であり、健全でさえある。問題は、環境が変わった後も、その学習が消えないことにある。
組織の中で「意見を言っても無駄だ」という学習が一度完成してしまうと、リーダーが交代しようが、制度が変わろうが、ファシリテーターが明るく「何でも言ってください!」と言おうが、その更新はひどく遅い。犬が逃げなかったように、人も喋らない。そしてその沈黙は、もはや意識的な判断ですらなくなっている。
ちなみに、これはグレッグ・イーガンの「順列都市」に出てくるダストの概念と少し似た構造を持つと私は思っている――意識が「ある秩序の中にある」と認識し続ける限り、その秩序は実在するという話だが、組織の沈黙も同様で、「ここでは発言しない」という秩序が十分に安定すると、もはや外部からの撹乱なしにはその秩序は崩れない。これは完全に蛇足ですが、私はこの接続がわりと好きだ(笑)。
沈黙の生態系――なぜ「声を上げる個体」が淘汰されるのか
進化生物学には「頻度依存選択」という概念がある。ある形質の有利・不利が、集団内のその形質の頻度によって変動するという話だ。鷹と鳩のゲームで言えば、全員が鳩の中に一羽の鷹がいると鷹は圧倒的に有利だが、全員が鷹の中に一羽の鷹がいると今度は鷹であることが不利になる。
組織における「意見を言う人間」も、似たような頻度依存性を持つ。発言する人間が多い組織では、発言することは安全であり評価される。だが発言する人間が少ない組織では、発言することはリスクであり、場の空気を乱す行為として処理される。そして後者の組織では、発言する個体は自然と排除されるか、自ら口をつぐむ方向に圧力がかかる。
この淘汰圧が十分に長く続くと、組織の「遺伝子プール」から発言する形質が消える。これは比喩だが、比喩としてかなり精度が高いと私は思っている。採用段階から、「この組織の空気を読める人間」が選ばれるようになるからだ。結果として、組織は意見を言わない人間だけで構成されるホメオスタシスに到達する。恒常性、と言えば聞こえはいいが、これはもはや変化できないシステムの別名だ。
「心理的安全性」という概念が隠しているもの
エイミー・エドモンドソンのチームに関する研究以来、「心理的安全性」という言葉が組織開発の文脈で溢れている。概念自体は正しい。だが私が気になるのは、この言葉が経営者に「安心安全な場をつくれば意見が出る」という因果の誤読を与えていることだ。
心理的安全性の欠如は原因ではなく、症状である。発言が安全でない場所には、発言が危険だと感じさせた歴史がある。誰かが何かを言ったとき、それが否定された、嘲笑された、無視された、あるいはもっと巧妙に「なかったこと」にされた、という経験の蓄積がある。そしてその経験の多くは、現在のリーダーには見えていない場所にある。
私が組織を見るとき、会議での発言頻度よりも、「非公式な場で誰が何を言っているか」を気にする。廊下での会話、ランチでの愚痴、退職面談での本音。これらが公式な場でのコミュニケーションと大きく乖離している組織は、既に「表舞台と楽屋」が完全に分離している。楽屋で語られることが舞台に上がらない組織は、舞台の上では虚構を演じている。そして全員がその虚構を知っている。全員が知っているのに、誰も言わない。これを「平和」と呼ぶのは、かなり強引な言語使用だと私は思う。
余談ですが、攻殻機動隊で草薙素子が「ゴーストがささやく」と言うとき、私はいつもこの「楽屋の声」を思い出す。システムの外部から聞こえる、形式化されない知性の声。組織にもゴーストはある。ただ、それを拾うインターフェースを持つリーダーが少ない。
沈黙が「諦め」に変わる臨界点はどこにあるか
物理学的な相転移で言えば、水が氷になる瞬間のように、沈黙にも「戦略的沈黙」から「適応的沈黙」に移行する臨界点があると私は考えている。戦略的沈黙はまだ可逆だ。「今は言わないが、機会があれば言う」という内部状態を保っている。だが適応的沈黙は不可逆に近い。「言うことを考えなくなった」という状態だからだ。
臨床的に言えば、これはうつ病の「意欲の低下」と構造が似ている。うつの人間が「やりたいことがない」と言うとき、それは欲望の消失ではなく、欲望を持つことへの防衛的な撤退である場合が多い。傷つくことを恐れた心が、欲望という回路を遮断する。組織における発言の消失も、ほぼ同じメカニズムで起きていると私は見ている。
そしてここが重要なのだが、この状態にある人間は、自分が諦めているとは言わない。「特に言いたいことはない」「問題はないと思う」「まあ普通ですね」という言葉が出てくる。これは嘘ではない。感情が適切に処理できなくなっているか、あるいは感情を言語化する動機自体が失われている。沈黙は最終段階ではない。その下に「沈黙することへの慣れ」があり、さらにその下に「声を持っていたことを忘れる」段階がある。
それでも、諦めは完全ではない――ゴーストは消えない
ここで少し立場を変える。私はニヒリストだが、虚無主義者ではない(笑)。諦められた組織には、必ず「まだ諦めていない個体」が残っている。あるいは、深く眠っているが死んでいない何かが残っている。それは転職サイトを見ているが登録はしていない人間かもしれないし、会議が終わった後に一人だけ残って資料を見直している人間かもしれない。
ニーチェが言ったように、人間は「克服されるべき何か」であるのと同時に、「克服する何か」でもある。組織が諦められているとき、その諦めは完全な死ではなく、ある種の仮死状態に近い。そしてその仮死状態を呼び覚ます条件は、驚くほどシンプルな場合がある。誰か一人が、ある日、本当のことを言う。そしてそれが否定されなかった、という経験が起きる。ただそれだけで、沈黙の生態系は急速に変化し始めることがある。
ただし、それが起きる条件は極めて限定的で、偶然に近い。だから私は「組織を変えましょう」とは言わない。そういうことを言う立場ではないし、言う気もない。ただ、沈黙が「平和の証拠」だという解釈は、一度疑う価値があると思っている。疑うだけでいい。その先は、それぞれが考えることだ。
オーウェルのウィンストンは、最後まで「2+2=4だ」と思い続けた。それが彼を苦しめた。だが逆に言えば、彼の中の何かは最後まで死ななかった。諦めの底に、何が残っているかを知ることは、たぶんとても重要なことだ。組織についても、人間についても。
── 現在、私の主戦場はあくまで法人の経営であり、臨床医として現場に立つ時間は極めて限られています。そのため、提供する医療の質を最高水準に保つべく、診察は完全紹介制とし、普段は特定のVIPの方々に限定してお受けしている次第です。
とはいえ、自らの深い痛みや組織の歪みと真正面から向き合い、本質的な解決を望まれる方に対しては、常に扉を開いておきたいと考えております。何かご相談がございましたら、どうぞご遠慮なくご連絡ください。
著者
近澤 徹(Toru Chikazawa)
精神科医・産業医/Medi Face代表
「下医は病を治し、中医は民を治し、上医は世を治す」を信条に、教科書に載らない人間の感情や衝突、文化や社会構造までを「臨床」として捉え、医療の枠を超えてヒトと社会を診る。
医師監修:精神科医 近澤 徹
Medi Face代表医師、精神科医、産業医。
精神医療と職場のメンタルヘルスに関する啓発活動に従事し、
患者中心の医療を提唱。社会的貢献を目指す医療者として、
日々の診療と研究を続けている。
- 医療法人鳳應会 理事長
- 北海道大学医学部卒
- 慶應義塾大学病院
- 東京女子医科大学病院 研究員
- 名古屋市立大学病院 客員研究員
- 日本医師会認定産業医 / 精神科医
- 株式会社Medi Face 代表取締役医師
- 株式会社Legal Doctor 代表取締役医師
- Z産業医事務所 代表医師
- Medi Lex 代表医師
- 須賀法律事務所 顧問医師
- 日韓美容医学学会 常任理事
- FRAISE CLINIC 統括医師
- 日比谷セントラルクリニック 副院長
- EIGHT CLINIC渋谷 統括医師
- アイエスクリニック六本木 統括医師
- ルナビューティークリニック池袋 統括医師
- 医療法人伯鳳会 赤穂中央病院







