管理職だけが溺れている――「上からも下からも水が来る」構造を、誰も設計上の欠陥と呼ばなかった

カフカの『審判』を初めて読んだのは医学部の頃だった。ヨーゼフ・Kは、何の罪を犯したかも告げられないまま逮捕され、裁判の全容を知ることもなく、ある朝「犬のように」殺される。理不尽な話だと思ったが、今この時代の管理職の話を聞くたびに、あの小説の質感が蘇る。彼らは罪状を知らされないまま、何かに裁かれ続けている。

現代の管理職は、上からの要求密度と下からのケア要求の両方が同時に増大するという、ある種の挟撃状態に置かれている。しかも、その構造は設計上の欠陥として認識されていない。欠陥ではなく、「そういうポジションだから」という言語で処理される。あるいは、「マネジメントスキルが足りない」という個人帰責のロジックに収斂される。構造の話を、能力の話にすり替えることで、組織は自分の問題を見ずに済む。これは非常に効率のよい欺瞞だ(笑)。

私がこの問題に興味を持ち始めたのは、産業医として複数の組織に関わる中で、部下のメンタル不調よりも先に、あるいは同時に、管理職が壊れていくケースを繰り返し目撃したからだ。統計的な話をすれば、厚生労働省の調査でも管理職の高ストレス者比率は一般社員を上回っている年が増えているし、50代男性の自殺率が高止まりしている事実も、このあたりと無関係ではないと私は思っている。だが、それ以上に興味深いのは、なぜこの現象が「設計上の問題」として語られないのか、という問いの方だ。

今日は、その問いをもう少し丁寧に解剖してみたい。

ホメオスタシスは個体を救うが、組織を救わない

生物学に「ホメオスタシス」という概念がある。体温や血糖値、血圧といった生体の内部環境を一定に保とうとする仕組みだ。外部環境がどれだけ変化しても、内部の恒常性を維持することで個体は生き延びる。これは美しい設計だ。ただし、この美しさには条件がある。調節機構にコストをかけられる前提が必要だということだ。

組織も似たことをやろうとする。外部から不確実性や変化のプレッシャーがかかると、組織はそれを「どこか」に押し込めて内部の安定を維持しようとする。問題は、その「どこか」が多くの場合、中間管理職だという点だ。上位経営層の意思決定の揺れも、現場の感情的混乱も、法的リスクの管理も、採用の失敗も、全部が管理職というバッファゾーンに流れ込む。組織のホメオスタシスは、管理職を緩衝材として消費することで成立している。

これは比喩ではなく、かなり構造的な実態だと思う。組織が外部ストレスに対して恒常性を維持する一方で、その調節コストを支払わされているのが特定のレイヤーに集中している。生物学的に言えば、副腎が一人でコルチゾールを出し続けているようなものだ。副腎は疲弊する。それは副腎の能力の問題ではなく、調節系全体の設計の問題だ。

ちなみに、これは余談になるが、遺伝的アルゴリズムの文脈で「適応度地形(fitness landscape)」という概念がある。ある解が局所最適に陥ると、そこから抜け出すためには一度「悪化」する必要がある。組織も似たことが言えて、管理職に負荷を集中させるという局所最適から抜け出すには、一度システム全体が「悪化するリスクを取る」必要がある。しかし組織の意思決定者は、その一時的な悪化を承認しない。だから局所最適に永久にはまり続ける。これはもう笑うしかない構造だ(笑)。

「見えない役割」という過負荷の物理学

物理学に「圧力」の定義がある。単位面積あたりにかかる力だ。力が同じでも、接触面積が小さいほど圧力は大きくなる。管理職の問題は、まさにこれだ。組織全体にかかっている力(変化の速度・要求の複雑さ・不確実性)は、確かに増大している。しかしそれ以上に問題なのは、その力が特定の面積に集中していることだ。

管理職に求められる役割を列挙すると、業績管理、部下の育成、採用・評価、法的コンプライアンス、ハラスメント対応、メンタル不調者のケア、経営方針の翻訳と現場への説明、さらには自分自身の専門業務の遂行、がある。これだけでも十分すぎる重さだが、問題は「見えない役割」がここに加わることだ。感情的な摩擦の吸収、チームの空気の調整、上位層の機嫌の管理、退職者が出た際の関係者への根回し。これらは職務記述書に書かれないが、確実にエネルギーを消費する。

心理学者のダイアナ・ウィン・ジョーンズではなく(笑)、アルリー・ホックシールドという社会学者が「感情労働(emotional labor)」という概念を提唱したのは1983年のことだ。航空会社のキャビンアテンダントを研究対象にした彼女の著作は、「感情を管理すること自体が労働である」という当たり前にして革命的な観察を提示した。管理職の感情労働は、この概念が定義された80年代とは比べものにならないほど肥大化している。しかし、組織はこれを「労働」として計上しない。見えないから、コストに入れない。見えないから、限界も見えない。

壊れる速度が、観測される速度を上回る

攻殻機動隊の草薙素子が「自分がどこまで人間でどこから機械なのか」を問い続けたように、今の管理職もある種の境界問題を抱えている。どこまでが自分の責任でどこからが組織の問題なのか。どこまでが「慣れ」でどこからが「麻痺」なのか。

問題は、崩壊のプロセスが非線形であることだ。人間の精神的な消耗は、多くの場合、可視化されにくいフェーズが長く続いた後に、突然閾値を超える。外から見ると「突然壊れた」ように見えるが、当人の内部では相当長い期間にわたって侵食が進んでいる。これはガラスの破断と似ている。ガラスは割れる直前まで「ひび」が見えにくい。マクロスケールでは正常に見える。しかし結晶レベルでは、すでに破綻の前駆状態にある。

さらに厄介なのは、管理職という役割が「自分の不調を見せてはいけない」という強力な規範を内包していることだ。部下のケアをする立場が、自分のケアを求めることへの抵抗感。これはサルトルの言う「悪しき信仰(mauvaise foi)」の一形態に見える。自分が自由な存在であり、限界を持つ人間であるという事実を、「管理職としての役割」という外皮で覆い隠し、その役割に自分を同一化することで、存在の責任から逃げる。逃げながら、消耗する。

1984年のウィンストン・スミスは、監視されていることを知りながら、それでも内部で抵抗を続けた。現代の管理職は、監視されているかどうかよりも、自分自身が「観察する側」であることを求められている。部下を観察し、数字を観察し、市場を観察する。自分を観察することが、一番後回しになる。

「ケアのケア」という存在しないインフラ

医療の世界に「バーンアウト(燃え尽き症候群)」の研究がある。看護師や救急医、ソーシャルワーカーなど、ケアを提供する職種に高率に発生することが知られている。そのメカニズムの一つとして指摘されているのが、「ケアする側がケアされない」という非対称性だ。与える一方で補充されない。これは熱力学的に言えば、断熱系の中でエントロピーだけが増大し続けるような状態だ。外部からのエネルギー供給がなければ、いかなる秩序も維持できない。

部下のメンタル不調に対しては、EAP(従業員支援プログラム)、産業医面談、カウンセリング外来という「ケアのインフラ」が整備されつつある。しかし管理職に対する同等のインフラは、驚くほど薄い。「上司だから相談できない」「弱みを見せると評価に響く」「そもそも誰に言えばいいかわからない」という声を、私は繰り返し聞く。ケアのケアは、存在しない。あるいは存在していても、アクセス不可能な場所に置かれている。

これは余談だが、Animatrixの「The Second Renaissance」を見ていると、人間がマシンを作り、そのマシンを酷使し、反乱が起きるという流れが描かれている。人間がマシンに行った処遇が、やがて人間自身に返ってくる。組織が管理職に対して行っている処遇も、どこかでその構造が反転する日が来るのかもしれない。それが退職という形か、産業事故という形か、静かな怠業という形かはわからないが。

構造の問題を、個人の物語に解消しないということ

精神医学の臨床に長く関わっていると、ある種のパターンに気づく。患者は自分の苦しみを「私がダメだから」という物語に収斂させようとする傾向がある。それは時に防衛機制であり、時に帰属スタイルの問題であり、時に周囲から繰り返しそう言われてきた結果だ。管理職の問題も、これと相同の構造を持っている。

「メンタルが弱い管理職」「マネジメントスキルが足りない」「レジリエンスが低い」。これらの言語は、構造の問題を個人の欠如の物語に翻訳する機能を持っている。個人の欠如として語れば、組織は設計を変えなくていい。教育と研修を施すだけでいい。これははるかにコストが安い。そして、根本的に効かない。

フーコーが「知と権力」について述べたとき、彼が問題にしたのは誰かが意図的に支配しているという単純な話ではなかった。権力は構造の中に埋め込まれ、言語の中に埋め込まれ、知の形式そのものを通じて人を規律化する。「管理職がつぶれるのは個人の問題だ」という知の形式が、組織という場で権力として機能しているとき、それはフーコー的に言えば非常に効率のよい統治だ。反乱の芽を、反乱が起きる前に個人帰責の言語で処理できる。

では何をすべきか、という問いが当然来るかもしれないが、私はその問いに直接答えることに、あまり興味がない。何をすべきかを論じる前に、何が起きているかをもう少し正確に見ることの方が、ずっと重要だと思っているからだ。診断なき治療は、症状の操作に過ぎない。

管理職が壊れる速度が速くなった時代に、私たちはまだ「それが壊れている」という認識を、十分に共有できていないのかもしれない。壊れていないように見えるのは、壊れていないのではなく、壊れ方が見えにくいからだ。あるいは、見ようとしていないからだ。その問いを、もう少し手放さずにいたいと思っている。

── 現在、私の主戦場はあくまで法人の経営であり、臨床医として現場に立つ時間は極めて限られています。そのため、提供する医療の質を最高水準に保つべく、診察は完全紹介制とし、普段は特定のVIPの方々に限定してお受けしている次第です。
とはいえ、自らの深い痛みや組織の歪みと真正面から向き合い、本質的な解決を望まれる方に対しては、常に扉を開いておきたいと考えております。何かご相談がございましたら、どうぞご遠慮なくご連絡ください。

著者
近澤 徹(Toru Chikazawa)
精神科医・産業医/Medi Face代表
「下医は病を治し、中医は民を治し、上医は世を治す」を信条に、教科書に載らない人間の感情や衝突、文化や社会構造までを「臨床」として捉え、医療の枠を超えてヒトと社会を診る。

近澤徹 医師の写真

医師監修:精神科医 近澤 徹

Medi Face代表医師、精神科医、産業医。
精神医療と職場のメンタルヘルスに関する啓発活動に従事し、
患者中心の医療を提唱。社会的貢献を目指す医療者として、
日々の診療と研究を続けている。

  • 医療法人鳳應会 理事長
  • 北海道大学医学部卒
  • 慶應義塾大学病院
  • 東京女子医科大学病院 研究員
  • 名古屋市立大学病院 客員研究員
  • 日本医師会認定産業医 / 精神科医
  • 株式会社Medi Face 代表取締役医師
  • 株式会社Legal Doctor 代表取締役医師
  • Z産業医事務所 代表医師
  • Medi Lex 代表医師
  • 須賀法律事務所 顧問医師
  • 日韓美容医学学会 常任理事
  • FRAISE CLINIC 統括医師
  • 日比谷セントラルクリニック 副院長
  • EIGHT CLINIC渋谷 統括医師
  • アイエスクリニック六本木 統括医師
  • ルナビューティークリニック池袋 統括医師
  • 医療法人伯鳳会 赤穂中央病院

編集部

Medi Face Journal編集部は、医療・テクノロジー・キャリア・ウェルビーイングといった領域を横断し、“いま本当に知るべきこと”を掘り下げて伝える専門メディアチームです。 医師・研究者・編集者・エンジニアなど、異なる背景を持つメンバーが集い、精神医療から産業ヘルスケア、医療人材のリアルまで、多角的な視点で「医療という営み」の本質に迫ります。

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