1936年、スペイン内戦のさなか、ジョージ・オーウェルはバルセロナの民兵に志願した。彼が目撃したのは、ファシズムとの戦いだけではなかった。自分たちの側の組織が、内部告発者を粛清し、不都合な事実を語る人間を「裏切り者」と呼んで排除していく様子だった。後年彼はこう書いている。「見たことを見たと言う自由、これこそが今や何より重要だ」と。彼はその言葉を、勝利の宣言としてではなく、敗北の余韻の中で書いた。
私がこの挿話を思い出すのは、職場という場所について考えるときだ。「問題提起する人間が浮く」という現象は、どこの組織にも遍在している。そしてほぼ例外なく、その組織はそれを「その人の問題」として処理する。コミュニケーションが下手だ、空気が読めない、チームワークを乱す。診断の矛先は常に、問題を口にした個人へ向かう。
だが私にはずっと、この処理の仕方が奇妙に見えていた。煙探知機が鳴り続けているのに、探知機の感度が高すぎると言って電池を抜く。それはソリューションと呼べるのか。
もちろん、問題提起者が本当に的外れなことを言っている場合はある。組織のあらゆる決定に噛みつき、議論のための議論を繰り返し、結局何も建設的なものを残さない人間も存在する。私はそれを否定しない。だがそれは、問題提起という行為そのものを「組織の秩序を乱す行為」と定義してよい理由にはならない。問題は、なぜその区別ができない組織が量産されるのか、という点にある。
免疫系が自己を攻撃するとき、病んでいるのは免疫細胞ではない
自己免疫疾患というものがある。関節リウマチ、全身性エリテマトーデス、多発性硬化症。これらは免疫系が、外敵ではなく自分自身の細胞を標的にして攻撃し始める病態だ。免疫細胞そのものは、「敵を見つけて攻撃する」という自らの機能を粛々と果たしているに過ぎない。問題は、「何を敵と認識するか」というシステム側の判定基準が狂っていることにある。
問題提起者が排除されていく組織の構造は、これにきわめてよく似ている。問題を口にする人間は、多くの場合、その組織が本来持つべき「自己修正機能」を体現している。ホメオスタシスというのは、外部から与えられるものではなく、システム内部のフィードバックループによって維持される。そのフィードバックシグナルを「ノイズ」と判定して遮断し始めた組織は、もはや自己修正の手段を失っている。
これは比喩ではなく、組織論的にも記述できる問題だ。アッシュの同調実験を持ち出すまでもなく、人間集団は同質性の圧力に著しく脆弱であることが繰り返し示されている。75%の被験者が、明らかに誤っているとわかっている答えを、周囲に合わせて口にした。「空気を読む」という行動が、実は「正確に認知する」という機能よりも優先されるように人間はできている。進化的には合理的な設計だが、複雑な組織の舵取りには致命的な欠陥になりうる。
「排除の文法」はいつも同じ語順で書かれる
問題提起者が組織から排除されるプロセスには、驚くほど一貫したパターンがある。私はこれを「排除の文法」と呼んでいる。
まず、提起された問題の内容は検討されない。代わりに、問題を提起した人間の「態度」「言い方」「タイミング」が俎上に載せられる。「言っていることはわかるけど、あの言い方はないよね」という文型だ。内容を人格に変換する。次に、その人間の過去の言動が遡及的に検索される。一度でも感情的になった場面、一度でも会議で反論した場面が証拠として積み上げられる。そして最後に、「あの人は昔からそういう人だから」という結論が合意される。問題は解決されないが、問題を言った人間は無害化された。
この文法は歴史の中で繰り返し使われてきた。ガリレオ・ガリレイに対しても、イグナーツ・ゼンメルワイスに対しても、同じ構造が作動した。ゼンメルワイスは、医師の手を消毒することで産褥熱を劇的に減らせることを実証したが、彼の主張は医学界に受け入れられず、精神病院に収容されて死んだ。彼の問題提起が間違っていたからではない。証明の方法が当時の学界の文法に合わなかったから、そして既存の権威が脅かされたからだ。
これは完全に余談ですが、ゼンメルワイスの話を読んでいると、「科学」という営みが本来的に持つ保守性について考えさせられる。トーマス・クーンが『科学革命の構造』で記述したように、パラダイムの転換は「データが積み上がるから起きる」のではなく、「古いパラダイムを信じている世代が死ぬから起きる」という側面がある。組織も同じかもしれない。問題は解決されないが、問題を提起した世代が去れば、次の世代の問題提起者が現れるまでの間、組織は「安定」する(笑)。
沈黙は秩序ではなく、エントロピーの蓄積である
問題提起者が排除された後の組織は、表面上は静かになる。会議は予定通り終わる。誰も余計なことを言わない。マネジメントは「チームがまとまってきた」と感じる。だがこれは、ローレンツ流に言えば「散逸構造が崩壊しつつある」状態に近い。
開放系において、秩序はエネルギーと情報の継続的な流入によって維持される。淀んだ水が腐るのは、流れが止まるからだ。組織における「問題提起」は、外部現実との差異信号だ。「今の状態とあるべき状態の乖離」を検知して内部にフィードバックする機能を果たしている。それが遮断されると、組織は外部現実から切り離された閉鎖系として振る舞い始める。内部では見かけ上の一致が保たれているが、外部環境との適合は静かにずれていく。
攻殻機動隊の草薙素子は、「情報は流れてこそ意味を持つ」という趣旨のことを言っていた(正確な引用ではないが、あの作品全体が流れと停滞の隠喩で構成されている)。情報を止める組織は、自分の外部認識を止めている。それを「安定」と呼ぶのは、昏睡を「安らかな眠り」と表現するような語法だ。
問題提起者が去った後に残る沈黙は、解決の証拠ではない。問題が可視化されなくなっただけだ。これは診断という行為に似ている。症状が消えることは、疾患が消えることと同義ではない。発熱を解熱剤で抑えた後、感染巣は依然として存在する。
「詰み」の形而上学、あるいは組織の死はどこから来るか
私はこのテーマを「問題提起する人が浮く職場は既に詰んでいる」という言葉から考え始めたが、「詰み」とは何を意味するのかについて少し考えたい。
チェスにおける「詰み」は、王が動ける場所を全て失った状態だ。問題は、詰みの瞬間に詰んでいるのではなく、その数手前から詰みは確定している場合がある。コンピュータが計算すれば、「この局面はどう指しても詰む」と判定できる。プレイヤーが気づかないだけで、詰みはすでに現在に内包されている。
組織の「詰み」も同様だ。問題提起者を排除し続けた組織は、特定の臨界点を越えると、内部のフィードバックループを修復できなくなる。「あのとき誰かが警告していれば」と後から語られる出来事は、たいていその警告がなかったのではなく、警告した人間が排除されていた。エンロン事件しかり、福島第一原発の安全神話しかり。内部告発者の声は記録に残っていた。記録は残っていたが、採用されなかった。
ちなみに、遺伝的アルゴリズムという概念がある。環境への適合度を評価し、適合度の高い個体を次世代に残すことで、集団全体の適応を高めていく手法だ。重要なのは、「多様性」が意図的に保たれる点にある。多様性のない集団は、環境が変化したとき、対応できる変異体を持たない。組織における「問題提起者の排除」は、多様性の減少と同義だ。均質化した組織は、環境が安定しているうちは効率的に見えるが、変化に対する適応力を失っている。そして環境は必ず変化する。
それでも、静かな場所から見ると
私はこれを「だから組織を変えよう」という方向に持っていくつもりはない。それは私の文体でもないし、おそらく現実的でもない。
問題提起者が浮く組織は、構造的に詰んでいる。それは私の観察の結論だ。だがその「詰み」が顕在化するのに、数年かかることもあれば、数十年かかることもある。その間、問題を言い続けた人間は消耗し、黙った人間は適応し、組織は惰性で動き続ける。不条理というのは、それが劇的に崩壊するのではなく、緩やかに継続するという点にこそある。カミュの異邦人が一撃で終わったとしたら、あれほど不条理でもなかっただろう。
私がかろうじて「希望」と呼べるものを見出すとすれば、それは個人の変容の可能性ではなく、システムが最終的には現実に負けるという事実だ。どれほど問題を隠蔽しても、外部現実は変化し続ける。顧客は離れ、市場は移り、優秀な人材は去る。自己修正機能を失ったシステムは、長期的には必ず現実との乖離に直面する。それは慰めにならないかもしれない。詰んだ将棋の盤面が、最終的に「詰む」のはほぼ自明だからだ。
ただ、問題を言い続けた人間が、最後に正しかったと記録される瞬間が来ることは、私には重要に思える。それが当人の救いになるかどうかはわからない。ゼンメルワイスは生きているうちに評価されなかった。だが彼が見たことを見たと言ったという事実は、消えない。
見たことを見たと言う自由。オーウェルが1936年のバルセロナで守ろうとしたのは、そこまで戻ってくる(笑)。
── 現在、私の主戦場はあくまで法人の経営であり、臨床医として現場に立つ時間は極めて限られています。そのため、提供する医療の質を最高水準に保つべく、診察は完全紹介制とし、普段は特定のVIPの方々に限定してお受けしている次第です。
とはいえ、自らの深い痛みや組織の歪みと真正面から向き合い、本質的な解決を望まれる方に対しては、常に扉を開いておきたいと考えております。何かご相談がございましたら、どうぞご遠慮なくご連絡ください。
著者
近澤 徹(Toru Chikazawa)
精神科医・産業医/Medi Face代表
「下医は病を治し、中医は民を治し、上医は世を治す」を信条に、教科書に載らない人間の感情や衝突、文化や社会構造までを「臨床」として捉え、医療の枠を超えてヒトと社会を診る。
医師監修:精神科医 近澤 徹
Medi Face代表医師、精神科医、産業医。
精神医療と職場のメンタルヘルスに関する啓発活動に従事し、
患者中心の医療を提唱。社会的貢献を目指す医療者として、
日々の診療と研究を続けている。
- 医療法人鳳應会 理事長
- 北海道大学医学部卒
- 慶應義塾大学病院
- 東京女子医科大学病院 研究員
- 名古屋市立大学病院 客員研究員
- 日本医師会認定産業医 / 精神科医
- 株式会社Medi Face 代表取締役医師
- 株式会社Legal Doctor 代表取締役医師
- Z産業医事務所 代表医師
- Medi Lex 代表医師
- 須賀法律事務所 顧問医師
- 日韓美容医学学会 常任理事
- FRAISE CLINIC 統括医師
- 日比谷セントラルクリニック 副院長
- EIGHT CLINIC渋谷 統括医師
- アイエスクリニック六本木 統括医師
- ルナビューティークリニック池袋 統括医師
- 医療法人伯鳳会 赤穂中央病院








