休職は敗走ではない――撤退戦の論理、あるいは生還という名の戦略について

クセノフォンの『アナバシス』を読んだことがある人間なら、あの冒頭の異様な状況を覚えているはずだ。ペルシア深部に傭兵として踏み込んだギリシャ人一万人が、雇い主を失い、四方を敵に囲まれた状態で、ただ一つの選択を迫られる。前進するか、生還するか。彼らは生還を選んだ。撤退戦を指揮したのはクセノフォン自身で、その行軍は何千年も後の軍事教範に引用されるほどの戦略的傑作だったが、その本質は「逃げること」だった。ただし、組織を維持したまま逃げること。それは敗北ではなく、以後の戦いを可能にするための生還の設計だった。

私がなぜ突然クセノフォンを持ち出すかといえば、休職というものをめぐる世間の評価があまりにも粗雑だからだ。「逃げ」「甘え」「根性がない」──こういった言葉が、職場復帰後の当事者を内側から蝕んでいく様子を、私は何度も見てきた。本人もそれを信じている。信じさせられている、と言うべきか。そしてその信念が、次の崩壊の種を丁寧に育てていく。

論理として、この構造はかなりおかしい。戦場で弾を使い果たした兵士に「それでも前進しろ」と命じるのは作戦でも何でもなく、ただの消耗だ。消耗を美化するイデオロギーは歴史上何度も登場しているが、どれも末路はよく似ている。牟田口廉也のインパール作戦を引いてもいいし、チャーチルが決して認めなかったガリポリ撤退の失敗を引いてもいい。留まることへの強迫が、撤退という合理的選択肢を不可能にした事例は、歴史が飽きるほど提供してくれる。

休職とは何か。私はそれを、ひとつの撤退戦として定義し直したい。敗北の証明ではなく、次の戦いを可能にするための、設計された離脱である。

ホメオスタシスの誤作動、あるいはシステムが「正常」を錯覚するとき

生理学に「ホメオスタシス」という概念がある。内部環境を一定に保つ、生体の恒常性維持機構だ。体温、血糖、pH、浸透圧──これらは外的変化に対してシステムが補正をかけ続けることで、一定の範囲に収まっている。これ自体は美しい設計で、カンギレムが「正常と病理」で論じたように、正常とは固定した状態ではなく動的な適応の結果だ。

問題は、このシステムが適応の限界点を超えたときの挙動にある。慢性的なストレス環境に置かれた生体は、異常を異常として認識しなくなる。新しいベースラインを「正常」として学習してしまうのだ。HPA軸の慢性活性化、コルチゾールの持続的高値、それに伴う海馬の萎縮──これらは既に神経科学的に確認されている事実だが、当事者の主観は驚くほど鈍感なことがある。「最近ちょっと疲れているだけ」という言葉の裏に、実はシステム全体が歪んだ平衡点にロックされている、という状態がある。

これはある意味で恐ろしい話で、ホメオスタシスは本来、生体を守るために働くはずなのに、歪んだ環境に適応し続けることで、破滅的な状態を「普通」として維持し続けるという逆説が起きる。身体は悲鳴を上げているのに、認知系はそれを「いつものこと」としてフィルタリングする。崩壊は突然来るように見えるが、システムとしては長期間かけてじわじわと臨界点に近づいていた、というのが実態だ。

ちなみに、これと構造的によく似た現象が、原子炉の冷却システム障害にある。チェルノブイリの事故報告書を読むと、オペレーターたちが複数の異常警告を「誤作動」として無視していたことがわかる。システムが出しているシグナルを、人間の確証バイアスがキャンセルし続けた結果だ──これは完全に蛇足ですが、私はこの構造的類似が妙に気になる。(笑)

撤退は戦略である──クラウゼヴィッツが見落とした心理コスト

クラウゼヴィッツは『戦争論』の中で、戦争を「他の手段による政治の継続」と定義した。目的は政治的目標の達成であり、軍事的行動はその手段に過ぎない。手段が目標の達成を妨げるなら、手段を変えるのが合理的だ。この論理でいけば、消耗しきった前線を維持することは、目標達成の確率を下げる行為であり、合理的な判断者なら撤退を選ぶはずだ。

だが実際の戦場では、そうはならないことが多い。サンクコストの呪縛、撤退に伴う心理的羞恥、組織内での地位低下への恐怖──これらが合理的判断を妨げ、「もう少し粘れば何とかなる」という非論理的な期待を生み出す。行動経済学のカーネマンたちが「プロスペクト理論」で示したように、人間は損失をことのほか嫌い、確実な撤退より不確実な継続を選ぶ傾向がある。損失回避バイアスは、戦場でも職場でも等しく機能する。

休職をためらう人間の心理を分解すると、ここに辿り着くことが多い。「今休んだら、もう戻れない気がする」「ここで折れたら終わりだ」──これらは論理ではなく、損失回避バイアスが生み出した感情的な確信だ。しかも、その確信が強いほど、実際にはすでに限界を超えている、というのが私の経験則だ。思考の柔軟性が失われているからこそ、硬直した確信だけが残る。

クラウゼヴィッツが論じなかったのは、指揮官自身が消耗しきったときに合理的判断能力そのものが失われるという問題だった。疲弊した前線の兵士が「ここを離れてはいけない」と確信するのは、判断能力の劣化そのものの症状だ。判断する主体が壊れているとき、その主体の判断を信頼するべきではない。

順列都市的に言えば、ダスト理論は休職中も走り続ける

グレッグ・イーガンの『順列都市』に、ダスト理論というものが出てくる。コンピュータ上でシミュレートされた意識は、そのシミュレーションが物理的にどのような基盤の上で走っていようと、内側からは区別できない、という思想実験だ。意識の連続性は、外部の物理的連続性に依存しない。

これはかなり乱暴な引用かもしれないが(笑)、休職という「外部からの一時停止」が、内側の何かを止めるわけではない、ということを考えるときに、私はなぜかこの概念を思い出す。社会的な役割から離れ、職場という文脈から切り離されたとき、多くの人は「自分が消えていく」ような感覚を持つ。存在の根拠を社会的機能に置いていた場合、その機能の停止は存在の危機として体験される。

だが、その「消えていく感覚」は認識の問題であって、実態ではない。ダスト理論的に言えば、シミュレーションは走り続けている。あなたの中で何かが処理され、再編成され、回復していく過程は、職場という外部の文脈とは独立して進行している。休職中に「何もしていない」と感じる期間が、実は最も多くの再構成が起きている時間である、という逆説は、臨床的には繰り返し観察されることだ。

問題は、現代社会が外部から見えないプロセスに価値を与えないことだ。生産性の可視化、アウトプットの数値化、KPIによる人間の評価──この文脈の中では、内的な再編成は「何もしていない」と等価になる。これはイデオロギーの問題であって、生物学の問題ではない。

ニーチェが「大いなる健康」と呼んだもの、あるいは回復とは何か

ニーチェは『悦ばしき知識』の中で、「大いなる健康(die große Gesundheit)」という概念を持ち出した。これは単なる病気のない状態ではなく、病を経験し、その経験を通過することで獲得される、より強靭な生命力の状態だ。ニーチェ自身が慢性的な病人であり、その著作の多くが病床で書かれたことを考えると、この概念にはある種のリアリティがある。

ここで注意したいのは、これが「苦しみには意味がある」という安易な物語への招待ではないことだ。ニーチェはそこまで優しくない。大いなる健康は、病の意味を事後的に構築する物語によって得られるのではなく、病を通過した後に発見される、新しい価値体系の樹立として語られている。既存の価値体系が崩壊した廃墟の上に、新しい価値を自ら作り出す能力、それが大いなる健康だ。

休職からの回復が「元の状態への復帰」として語られるとき、私は少し違和感を覚える。元の状態に戻ることが目標なのであれば、元の状態がまずければ、回復はそのまずさへの回帰に過ぎない。崩壊が起きたのなら、崩壊が起きるだけの理由が元の状態の中にあったはずで、その元の状態への完全な復帰は、同じ崩壊への再挑戦になりうる。

余談ですが、これは遺伝的アルゴリズムの発想に近い。適応度関数の低いパラメータを持ち続けるシステムは、変異なしには局所的最適解から抜け出せない。崩壊は、ある意味で変異の機会だ。ただしこれを「崩壊してよかった」という話に持っていくつもりはない。崩壊は痛く、コストが高く、回避できるなら回避したほうがいい。それでもなお、起きてしまったならば、という話だ。

それでも、生還を選ぶことには価値がある

クセノフォンの一万人は、ペルシアの深部から黒海岸まで歩いて帰った。何千キロかを、敵地の中を、組織を維持したまま。彼らが「逃げた」のは間違いない。だが、その逃走の質は、留まって全滅することとは根本的に違う結果をもたらした。生き残った兵士たちは各地の都市国家に戻り、ポリスの政治を変え、文化を変え、いくつかの都市では権力を握った。生還したから、その後があった。

私が思うのは、休職という選択が「敗北か否か」という問いの立て方そのものが、間違っている、ということだ。戦争に勝ち負けがあるとして、その勝ち負けは戦場での瞬間的な優劣ではなく、より長い時間軸の中で判断される。生き残ることは、続きを書けることだ。全滅した側には、続きがない。

だが私はここで「だから休職は正しい」という結論を出したいわけではない。正しさの話をしているのではない。思索として興味深いのは、「撤退を恥とみなす価値体系」がどこから来ていて、誰が得をしているのか、という問いだ。消耗しきった前線を維持することで利益を得る者がいるとすれば、その者がその価値体系を維持する動機を持つのは自明だ。道徳的な言語で包まれた、経済的・権力的な利害関係の話かもしれない。

根拠のある絶望の上に立つとすれば、こういうことだ。人間のシステムは消耗し、ホメオスタシスは歪み、判断能力は劣化する。これは生物学的な事実で、意志や精神論では変えられない。その上で、なお生還を選んだ人間には続きがある。その続きが何になるかは、誰にもわからない。わからないが、続きがあることと続きがないことは、等価ではない。

── 現在、私の主戦場はあくまで法人の経営であり、臨床医として現場に立つ時間は極めて限られています。そのため、提供する医療の質を最高水準に保つべく、診察は完全紹介制とし、普段は特定のVIPの方々に限定してお受けしている次第です。
とはいえ、自らの深い痛みや組織の歪みと真正面から向き合い、本質的な解決を望まれる方に対しては、常に扉を開いておきたいと考えております。何かご相談がございましたら、どうぞご遠慮なくご連絡ください。

著者
近澤 徹(Toru Chikazawa)
精神科医・産業医/Medi Face代表
「下医は病を治し、中医は民を治し、上医は世を治す」を信条に、教科書に載らない人間の感情や衝突、文化や社会構造までを「臨床」として捉え、医療の枠を超えてヒトと社会を診る。

近澤徹 医師の写真

医師監修:精神科医 近澤 徹

Medi Face代表医師、精神科医、産業医。
精神医療と職場のメンタルヘルスに関する啓発活動に従事し、
患者中心の医療を提唱。社会的貢献を目指す医療者として、
日々の診療と研究を続けている。

  • 医療法人鳳應会 理事長
  • 北海道大学医学部卒
  • 慶應義塾大学病院
  • 東京女子医科大学病院 研究員
  • 名古屋市立大学病院 客員研究員
  • 日本医師会認定産業医 / 精神科医
  • 株式会社Medi Face 代表取締役医師
  • 株式会社Legal Doctor 代表取締役医師
  • Z産業医事務所 代表医師
  • Medi Lex 代表医師
  • 須賀法律事務所 顧問医師
  • 日韓美容医学学会 常任理事
  • FRAISE CLINIC 統括医師
  • 日比谷セントラルクリニック 副院長
  • EIGHT CLINIC渋谷 統括医師
  • アイエスクリニック六本木 統括医師
  • ルナビューティークリニック池袋 統括医師
  • 医療法人伯鳳会 赤穂中央病院

編集部

Medi Face Journal編集部は、医療・テクノロジー・キャリア・ウェルビーイングといった領域を横断し、“いま本当に知るべきこと”を掘り下げて伝える専門メディアチームです。 医師・研究者・編集者・エンジニアなど、異なる背景を持つメンバーが集い、精神医療から産業ヘルスケア、医療人材のリアルまで、多角的な視点で「医療という営み」の本質に迫ります。

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