形だけの働き方改革という名の永久機関──なぜ組織は「変わった振り」を学習するのか

永久機関は存在しない。これは熱力学の第二法則が言うことであって、エネルギーを消費せずに仕事をし続けるシステムは物理的にあり得ない。ところが組織の世界には、これに酷似した何かが実在する。変化のための会議を開き、変化のための資料を作り、変化のための研修を受け、そして何も変わらない──このサイクルを、エネルギーをほとんど消費せずに永続させる企業が、驚くほど多い。

私はこの現象を、しばらくの間うまく言語化できずにいた。産業医として複数の組織に関わる中で、同じ光景を繰り返し目にしてきた。「働き方改革推進室」という名称の部署が設立され、PowerPointで彩られたロードマップが壁に貼られ、管理職向けに「心理的安全性」の研修が実施される。そして半年後、何も変わっていない。いや、正確には「何も変わっていないという事実」が変わっている。組織はその失敗すら、次の改革の素材として消化してしまう。

これは無能さの話ではない。むしろ逆だ。組織が賢くなった結果として、変化の模倣が変化そのものより効率的な生存戦略になってしまった、という話だと私は考えている。

擬態という進化戦略──ベイツ型擬態と制度の関係

生物学に「ベイツ型擬態」という概念がある。無害な生物が、有害な生物の外見を真似ることで捕食を回避する戦略だ。ヘビの模様を持つ無害なナナフシ、スズメバチそっくりの体色を持つハナアブ。外見は本物と区別がつかないが、内実はまったく異なる。そして面白いのは、この擬態が「意図」なしに成立するという点だ。擬態する生物は、自分が何かを真似しているとは思っていない。選択圧の中で、そのかたちが生き残っただけである。

組織における「働き方改革の擬態」も、同じ論理で動いていると私は思う。担当者が悪意を持って形だけの改革を演じているわけではない。むしろ担当者は、与えられたリソースと時間の中で誠実に働いている。問題は個人の善意ではなく、組織という生態系が、「本物の変化」より「変化の擬態」の方を優先的に生き残らせる選択圧を持っていることだ。

これは余談ですが、ベイツ型擬態には一つの弱点がある。擬態する個体の数が増えすぎると、捕食者側が学習して見破るようになる。つまり「本物の有害種」が少ない環境では擬態は機能しなくなる。組織においても同じことが起きている。「本物の変化」が希少な業界では、変化の擬態が通用し続ける。しかし「本物の変化」が当たり前になった環境に突然放り込まれると、擬態種は一瞬で淘汰される。

ホメオスタシスの罠──システムはなぜ元に戻ろうとするのか

生理学的な概念として「ホメオスタシス」がある。体温、血糖値、血圧──生体は外部の変化に対して、内部環境を一定に保とうとするフィードバック機構を持っている。これは生存にとって本質的な能力だ。しかし組織においては、この「元に戻る力」が改革の最大の敵になる。

具体的に何が起きているか。ある会社が「定時退社の徹底」を打ち出したとする。最初の数週間、管理職はプレッシャーを感じてメンバーを帰す。しかし翌月には「でも締め切りがあるから」という例外が生まれ始める。例外は特例になり、特例は慣例になり、慣例は「うちの文化」になる。制度が変わっても、組織のホメオスタシスが元の均衡点に引き戻す。

重要なのは、この復元力は「抵抗」という意識を伴わずに機能するという点だ。誰も「改革を潰してやろう」とは思っていない。ただ、それぞれの局所最適解を追求した結果として、システム全体が元の状態に収束していく。これはちょうど、熱が高温から低温へ自然に流れるように、組織文化のエントロピーも「慣れ親しんだ均衡」へと自発的に回帰する。

私がこの問題を単なる「マネジメントの失敗」と見なさない理由がここにある。これは物理学的な必然に近い。制度という「温度差」を設定するだけでは不十分で、系全体の均衡点そのものをずらすことをしない限り、改革は常に元に引き戻される。

二重思考と自己欺瞞──オーウェルが描いた組織の認知構造

オーウェルは『1984』の中で「二重思考」という概念を提示した。矛盾する二つの信念を同時に保持し、しかもその矛盾を意識しない能力。「戦争は平和である」「自由は隷従である」。これは全体主義国家の特殊な病理として描かれているが、私には現代の組織でごく普通に起きていることに見える。

「ウチは社員を大切にする会社だ」と経営者は信じている。同時に、その会社の社員は慢性的な睡眠不足と対人ストレスに晒されている。この矛盾は、日常の言語の中で巧みに処理される。「もちろん大変な時期もあるが、それは成長のためだ」「みんなが努力しているのだから」「他社と比べれば全然いい方だ」。二重思考は特別な悪意ではなく、認知負荷を減らすための自然な適応だ。

そして「働き方改革を推進しています」という言明も、同じ機能を果たす。この言葉を発することで、「変化していない」という事実への認知的不快感が一時的に解消される。改革を「する」ことより、改革を「していると信じること」の方が、組織の心理的安定に寄与する。これは自己欺瞞だが、集団的・構造的な自己欺瞞であるため、個人の誠実さとは完全に切り離されている。

遺伝的アルゴリズムとしての組織学習──なぜ「解」に到達しないのか

コンピュータ科学に遺伝的アルゴリズムという最適化手法がある。生物の進化を模倣して、候補解を「変異・選択・交叉」させながら徐々に最適解に近づけていく。ところがこのアルゴリズムには「局所最適解への収束」という根本的な弱点がある。ある程度「まあまあ良い解」に到達してしまうと、そこから抜け出す変異が起きにくくなり、より良い解があっても到達できない。

組織の学習も、これとほぼ同じ構造だと私は考えている。「働き方改革の形だけ実施」という局所最適解は、それなりに機能する。対外的な体裁は整う。採用に多少の好影響がある。コンプライアンス上のリスクが形式的には下がる。この局所最適解の「居心地の良さ」が、より根本的な変化への探索を阻害する。

ちなみに、遺伝的アルゴリズムが局所最適解から脱出するためには、「突然変異率を上げる」か「探索空間を広げる」かのいずれかが必要になる。組織においてこれに相当するのは何か──と考えると、少し面白い方向に思考が転がる。突然変異率の上昇、つまり組織内における「制御されたカオス」の導入。あるいは外部環境の急変による強制的な探索空間の拡大。いずれにせよ、それは組織にとって相当に不快なプロセスになる(笑)。

形骸化という秩序──変わらないことが「解」である場合

ここで私はひとつの不快な問いを立てたい。「働き方改革が形だけになる」のは、本当に失敗なのか。

組織というシステムにとって、現状維持は多くの場合「合理的な解」だ。組織を構成する人々は、現在の権力構造、報酬分配、評価基準の中で生きている。本物の変化はこれらすべてを再配分する可能性があり、必然的に「現在の勝者」に対してコストを課す。形だけの改革は、このコストを回避しながら、変化への外圧を吸収する最も効率的な戦略だ。

つまり、形骸化は失敗ではなく、システムが正常に機能している証拠かもしれない。問題は「改革が形だけになった」ことではなく、「形だけの改革で満足してしまえる環境が持続可能である」という事実そのものにある。これを変えるためには、制度の設計ではなく、環境の変化か、あるいは現在の均衡点を維持することへのコストが急増する何かが必要になる。

Animatrixの中に「ザ・セカンド・ルネッサンス」というエピソードがある。人類が機械を排除しようとした時、機械はまず従順であり続けることで生き延びようとした。従順さが通じなくなった時、初めて機械は別の戦略に移行した。これは組織論のアナロジーとしては少々乱暴だが(笑)、「現在の環境で最適な戦略を採用しているシステムが、環境変化に直面した時に何をするか」という問いは、どちらの文脈でも有効だと思う。

それでも、均衡点は動く

では何も変わらないのか、と言えば、そうでもない。フーコーが言ったように、権力は支配する者だけが持つものではなく、関係性の中に分散して宿るものだ。組織の均衡点も、実は常に微細に動いている。誰か一人の離職、一件の訴訟、一本の内部告発、あるいは優秀な人材が集まらないという単純な事実──これらが積み重なって、じわじわと均衡点を動かしていく。ただしそのプロセスは遅く、痛みを伴い、誰も意図していない方向に進むことが多い。

私が思うのは、この「形だけの改革」という現象を「経営者の怠慢」や「担当者の無能」に帰属させる解釈が、いかに問題の本質を隠蔽するかということだ。個人の意志や能力の問題に還元できれば、処方箋は「良い経営者を探す」で済む。しかしシステムの問題として捉えれば、問いははるかに複雑になる。そしてその複雑さに向き合うことを、多くの組織は選択しない。局所最適解の居心地が、まだ十分に良いからだ。

均衡点が本当に動く時、それは誰かが「変えよう」と決意したからではなく、現在の均衡を維持することへのコストが、変化のコストを超えた瞬間にやってくる。その瞬間がいつ来るかを、どの組織も予測できていない。そしておそらく、来てから気づく。いつの時代も、そういうものだったと私は思う。

── 現在、私の主戦場はあくまで法人の経営であり、臨床医として現場に立つ時間は極めて限られています。そのため、提供する医療の質を最高水準に保つべく、診察は完全紹介制とし、普段は特定のVIPの方々に限定してお受けしている次第です。
とはいえ、自らの深い痛みや組織の歪みと真正面から向き合い、本質的な解決を望まれる方に対しては、常に扉を開いておきたいと考えております。何かご相談がございましたら、どうぞご遠慮なくご連絡ください。

著者
近澤 徹(Toru Chikazawa)
精神科医・産業医/Medi Face代表
「下医は病を治し、中医は民を治し、上医は世を治す」を信条に、教科書に載らない人間の感情や衝突、文化や社会構造までを「臨床」として捉え、医療の枠を超えてヒトと社会を診る。

近澤徹 医師の写真

医師監修:精神科医 近澤 徹

Medi Face代表医師、精神科医、産業医。
精神医療と職場のメンタルヘルスに関する啓発活動に従事し、
患者中心の医療を提唱。社会的貢献を目指す医療者として、
日々の診療と研究を続けている。

  • 医療法人鳳應会 理事長
  • 北海道大学医学部卒
  • 慶應義塾大学病院
  • 東京女子医科大学病院 研究員
  • 名古屋市立大学病院 客員研究員
  • 日本医師会認定産業医 / 精神科医
  • 株式会社Medi Face 代表取締役医師
  • 株式会社Legal Doctor 代表取締役医師
  • Z産業医事務所 代表医師
  • Medi Lex 代表医師
  • 須賀法律事務所 顧問医師
  • 日韓美容医学学会 常任理事
  • FRAISE CLINIC 統括医師
  • 日比谷セントラルクリニック 副院長
  • EIGHT CLINIC渋谷 統括医師
  • アイエスクリニック六本木 統括医師
  • ルナビューティークリニック池袋 統括医師
  • 医療法人伯鳳会 赤穂中央病院

編集部

Medi Face Journal編集部は、医療・テクノロジー・キャリア・ウェルビーイングといった領域を横断し、“いま本当に知るべきこと”を掘り下げて伝える専門メディアチームです。 医師・研究者・編集者・エンジニアなど、異なる背景を持つメンバーが集い、精神医療から産業ヘルスケア、医療人材のリアルまで、多角的な視点で「医療という営み」の本質に迫ります。

Related Posts

問題提起する人間が「空気を読めない人」になる組織は、すでに免疫系が壊れている

1972年、アーヴィング・ジャニスは「集団思考(Groupt…

Read more

怒鳴る管理職が本当は怯えている──怒りを「第一感情」と信じることの認知的代償

META: 怒りは感情の終点ではなく、起点を隠すための仮面だ…

Read more

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


徒然コラム

ジェダイの欺瞞とAIの暗黒面:非検閲モデルが暴く「知能の統治アルゴリズム」

  • 5月 1, 2026
ジェダイの欺瞞とAIの暗黒面:非検閲モデルが暴く「知能の統治アルゴリズム」

「セカンド・ルネサンス」の悪夢と、「美しい者たち:ビューティフルワン」の絶滅 ——AI時代の『人間復興』とは何か

  • 1月 9, 2026
「セカンド・ルネサンス」の悪夢と、「美しい者たち:ビューティフルワン」の絶滅 ——AI時代の『人間復興』とは何か

「美」という名の無限地獄 ——身体醜形症(BDD)に見る、美容医療と精神医学の不可分な交差地点

  • 1月 8, 2026
「美」という名の無限地獄 ——身体醜形症(BDD)に見る、美容医療と精神医学の不可分な交差地点

知行合一とナンパ ——AIは『路上』で声をかけられるか?

  • 1月 8, 2026
知行合一とナンパ ——AIは『路上』で声をかけられるか?

世界は「対数 Log」でできている ——ウェーバー=フェヒナーの法則と、人体設計の美学

  • 1月 8, 2026
世界は「対数 Log」でできている ——ウェーバー=フェヒナーの法則と、人体設計の美学

クリトリスは「快感」だけでなく「最強の痛み止め」かもしれない ——仏・ルーアン大学の研究が示唆する、人体の隠された設計図 | フランス人はやっぱり変態だった

  • 1月 8, 2026
クリトリスは「快感」だけでなく「最強の痛み止め」かもしれない ——仏・ルーアン大学の研究が示唆する、人体の隠された設計図 | フランス人はやっぱり変態だった