META: 産業医面談を「こなすもの」にしている企業は、実のところ何を失っているのか。儀礼化した手続きが組織の感覚を麻痺させるメカニズムを、人類学・神経科学・歴史の交差点から考える。
フレイザーの『金枝篇』を初めて読んだのは医学部の頃だったと思う。あの本が描く世界──王を殺すことで土地の豊穣を確保しようとする古代の通過儀礼──を、当時の私は「前近代的な呪術思考」として上から目線で読んでいた。しかし今、産業医として企業組織を眺めていると、呪術と合理性の境界線がずいぶん曖昧であることに気づく。現代の企業が「産業医面談を実施した」という事実を積み上げていく様子は、雨乞いの踊りを踊り続ける部族と、構造として大差ない。
誤解のないように言っておくと、産業医面談という制度そのものを批判しているのではない。問題は制度の中身ではなく、制度に対する組織の「構え」にある。月に一度、過重労働者や復職者を面談室に通し、所定のチェックリストを消化し、記録を保存して、「実施しました」という事実を生産する。このプロセス全体が、本来感知すべき情報を遮断する機能を果たしているという逆説が起きている。
痛みを感じなくなることは、健康ではない。先天性無痛無汗症という疾患がある。痛みを一切感じない子どもは、骨折しても気づかず、高熱を出しても苦しまず、やがて身体の至るところにダメージが蓄積して命を落とす。感覚の欠如は、一見すると快適だ。しかし生命システムとしては致命的な障害である。儀礼化した産業医面談が組織にもたらすのは、まさにこの種の「感覚の遮断」だと私は見ている。
そして厄介なことに、遮断された側は自分が何も感じなくなっていることに気づかない。
儀礼が「意味」を殺すメカニズム──パブロフから官僚制まで
行動主義心理学の文脈で言えば、これは「オペラント消去」の変形版に近い。ある行動(面談の実施)が、特定の結果(組織状況の改善)と一切結びつかなくても罰せられず、しかし「実施した」という記録が生まれる限りにおいて正の強化が継続するとき、行動は形式だけを保ったまま内容を失う。パブロフの犬は少なくとも唾液を出していたが、この場合は唾液さえ出ない。ベルだけが鳴り続ける。
マックス・ウェーバーが官僚制の分析で指摘した「形式合理性」の罠も、ここに重なる。手続きが正しく踏まれているかどうかが、実質的な目的の達成よりも優先されるようになるとき、組織は「手段の自己目的化」という静かな病に侵される。ウェーバー自身は「鉄の檻」と呼んだが、現代の企業で起きていることはもう少し悪質で、檻の存在すら忘れているケースが多い。
これは余談ですが、官僚制の形骸化という点で最も美しい(そして恐ろしい)例は、ソビエト連邦の五カ年計画の末期だと思っている。釘の生産量をトン数で評価すると、工場は重い釘だけを作る。個数で評価すると、軽い釘だけを作る。指標が目的を食い尽くす。産業医面談の「実施件数」という指標も、同じ構造を持っている。閑話休題。
「ガス抜き」という誤謬──ホメオスタシスを偽装するシステム
経営者や人事担当者と話していると、産業医面談を「ガス抜き」として捉えている節が時々ある。従業員が不満や不調を吐き出す場所を設けることで、組織の圧力を一定に保つ──という発想だ。これはホメオスタシスのアナロジーとして語られるが、実際には全くホメオスタシスになっていない。
ホメオスタシスが機能するためには、偏差を検知するセンサーと、偏差に応答するエフェクターが連結している必要がある。体温調節で言えば、視床下部が温度変化を感知し、発汗や血管拡張という応答が起きる。センサーと応答の間に切断がある場合、それはホメオスタシスではなく、単なる「測定の儀式」だ。
産業医面談で従業員が「職場の人間関係が限界です」と語り、それが産業医の記録に残り、しかし人事も経営もその内容に実質的にアクセスせず、何も変わらない──という流れは、センサーとエフェクターが切断されたまま測定だけが行われる状態に等しい。それはガス抜きではなく、圧力計の針を経営者の視野の外に置いておく装置だ。いつか爆発するまで、針は上がり続ける。
「記録に残っている」という呪いと、法的責任の地形図
私が最も奇妙だと感じるのは、記録の存在が組織にとって「安全装置」として機能している、という逆説である。産業医面談の記録が残っていることが、何らかのインシデントが起きたときの免責根拠になるだろうという暗黙の期待が、組織の中に漂っている。
法律論を詳しく展開するつもりはないが、一点だけ言っておくと、この期待はかなりの確率で裏切られる。記録の存在は「面談を行った」という事実を証明するが、「適切な対応を行った」という事実は別の話だ。面談で従業員が深刻なシグナルを出していたにもかかわらず、フォローアップが行われなかった記録が残っている場合、それは免責の証拠ではなく、過失の証拠になりかねない。ゲームの構造を誤解したまま、罰則付きの証拠を積み重ねている企業が、現実に存在する。
ちなみに、この種の「安全策が危険を増幅させる」構造は、工学の世界では「リスク補償」として知られている。シートベルトの普及がドライバーをより大胆な運転に向かわせる、というあの現象だ。産業医面談の実施が人事担当者を「やることはやっている」という心理的安全地帯に誘い込み、実質的な組織観察の感度を下げる。これはリスク補償の医療産業版と言っていい。
「見えている」と「観察している」の間にある深淵
攻殻機動隊の世界に「電脳化」という概念がある。脳と外部ネットワークを直接接続することで、情報処理能力は飛躍的に上がるが、同時に「ゴーストハック」のリスク、つまり思考そのものを外部から書き換えられる可能性が生じる。私がこれを想起するのは、大量の面談記録・データ・報告書に囲まれた組織が、しばしば「情報は持っているが何も見えていない」という状態に陥るからだ。
情報の豊富さは観察の豊富さを意味しない。これは現代の企業が反復的に陥る認知の罠だ。ハーバード・サイモンが「注意の希少性」として指摘したのは1970年代だが、情報が爆発的に増えた今こそ、この問題は深刻化している。産業医面談から生成されるデータは「情報」ではあるが、それを受け取る組織の「注意」が向いていなければ、情報は存在しないも同然だ。
観察とは受動的な入力ではなく、能動的な解釈行為だ。量子力学の観測問題を持ち出すまでもなく、「誰が、何を目的に、どのフレームで見るか」によって、同じ現象から全く異なる意味が引き出される。産業医面談のデータを「コンプライアンス上の証拠」として見るフレームと、「組織の病理を読むための信号」として見るフレームは、同じ記録から全く異なる現実を生成する。多くの企業は前者のフレームしか持っていない。
儀礼の終わりではなく、儀礼の変容について
フレイザーの話に戻ろう。通過儀礼が全て有害だと言いたいのではない。儀礼には、反復と形式の中に意味を宿らせる機能がある。問題は意味が失われたにもかかわらず形式だけが残るときだ。宗教学者のミルチャ・エリアーデは「聖なる時間」と「俗なる時間」を区別したが、産業医面談が本来もつべき「聖性」──組織の日常からいったん切り離された、真摯な観察と対話の時間──は、手続き化の過程で徹底的に俗化される。
そして俗化された儀礼の末路は、歴史が繰り返し教えてくれている。ローマの元老院が形骸化した後も数百年間、元老院は「開催」され続けた。中世の贖宥状は、罪の赦しというオリジナルの意味が失われた後も取引され続けた。形式の慣性は、意味の死を数十年単位で生き延びる。
では何が変わればいいのか、などという問いを立てるつもりはない。私はアドバイスを書く人間ではない。ただ、面談室という密室で誰かが何かを語るとき、その言葉がどこにも届かずに消えていくとしたら、それは当事者だけでなく組織全体にとって、何らかの損失だという感覚を私は持ち続けている。医学的に言えば、求心性の神経線維は存在するが、そのインパルスが中枢に届かない状態だ。神経は生きているが、伝達が起きない。
その状態を「正常」と呼ぶことは、解剖学的には難しい。
── 現在、私の主戦場はあくまで法人の経営であり、臨床医として現場に立つ時間は極めて限られています。そのため、提供する医療の質を最高水準に保つべく、診察は完全紹介制とし、普段は特定のVIPの方々に限定してお受けしている次第です。
とはいえ、自らの深い痛みや組織の歪みと真正面から向き合い、本質的な解決を望まれる方に対しては、常に扉を開いておきたいと考えております。何かご相談がございましたら、どうぞご遠慮なくご連絡ください。
著者
近澤 徹(Toru Chikazawa)
精神科医・産業医/Medi Face代表
「下医は病を治し、中医は民を治し、上医は世を治す」を信条に、教科書に載らない人間の感情や衝突、文化や社会構造までを「臨床」として捉え、医療の枠を超えてヒトと社会を診る。
医師監修:精神科医 近澤 徹
Medi Face代表医師、精神科医、産業医。
精神医療と職場のメンタルヘルスに関する啓発活動に従事し、
患者中心の医療を提唱。社会的貢献を目指す医療者として、
日々の診療と研究を続けている。
- 医療法人鳳應会 理事長
- 北海道大学医学部卒
- 慶應義塾大学病院
- 東京女子医科大学病院 研究員
- 名古屋市立大学病院 客員研究員
- 日本医師会認定産業医 / 精神科医
- 株式会社Medi Face 代表取締役医師
- 株式会社Legal Doctor 代表取締役医師
- Z産業医事務所 代表医師
- Medi Lex 代表医師
- 須賀法律事務所 顧問医師
- 日韓美容医学学会 常任理事
- FRAISE CLINIC 統括医師
- 日比谷セントラルクリニック 副院長
- EIGHT CLINIC渋谷 統括医師
- アイエスクリニック六本木 統括医師
- ルナビューティークリニック池袋 統括医師
- 医療法人伯鳳会 赤穂中央病院








