グレゴール・ザムザが朝目覚めたとき、自分が巨大な虫になっていた。カフカがその小説に込めたものが何であれ、私がいつも気になるのは、変身の前夜のことだ。彼はその夜、ぐっすり眠れていたのだろうか。おそらく眠れていなかった。「また遅刻しそうだ」「上司はどう思うか」「家族の生計は」──そういった思考の渦の中で、意識が磨耗していく夜を、何百夜も重ねていたのではないか。虫になるとは、比喩として読めば、ある種の「機能停止」の朝だ。前日まで動いていた人間が、ある朝を境に動けなくなる。
産業の現場で私がくり返し目撃してきたのも、これに近い光景だ。潰れる人間には共通の属性がある。能力が高い。誠実である。手を抜けない。そして、それらすべての特性が、致命的な方向に働く。
これを「優秀な人は頑張りすぎる」という通俗的な解釈で片付けることもできる。しかしそれは、現象の輪郭をなぞっているだけで、内側の構造を見ていない。私が関心を持つのは、なぜ「能力の高さ」がシステム内で毒として機能しうるのか、という問いだ。
遺伝的アルゴリズムの罠──最適解が環境の変化に殺される
進化生物学に、「適応度地形」という概念がある。生物の適応度を多次元の地形として描いたとき、高い山のてっぺんにいる個体は現在の環境においては最適だが、地形そのものが変化すれば一気に谷底に落ちる。「局所的最適解」に到達したものが、地形変動に最も脆弱だという逆説だ。
人間の組織でも同じことが起きる。ある職場のルール・文化・要求水準に対して完全に最適化された人材は、その環境が変化した瞬間に最大の打撃を受ける。しかも、最適化が深いほど、つまり能力が高く適応力があった人間ほど、その地形に深く根を張っており、根こそぎにされるときのダメージが大きい。
能力の低い人間は、そもそも地形に深く最適化されていないため、地形変動に対してある種のバッファを持つ。これは残酷な事実だが、論理的には自明だ。高い山に登ったものほど、落ちたときの落差が大きい。
ちなみに、遺伝的アルゴリズムの設計において、局所的最適解への収束を防ぐために「突然変異率」をあえて高く設定する手法がある。意図的な非効率性の注入だ。これは生物の進化においても確認されており、ストレス環境下では変異率が上昇することが知られている。潰れる寸前の人間が、突然「全然関係のない仕事をしたい」と口走るのは、システムが突然変異率を上げようとしている反応に見えなくもない(笑)。
高分圧の酸素は毒になる──「能力」という過剰供給の問題
酸素は生命に不可欠だが、高濃度では活性酸素を大量発生させ、細胞を酸化的に破壊する。100%酸素を長時間吸い続ければ、健康な人間でも肺障害を起こす。これを「酸素毒性」と呼ぶ。必要なものが、量を超えると毒になる。
能力もこれに近い挙動をする。組織の許容量を超えた能力は、適切に処理されず、その人間自身に還流してくる。仕事の質へのこだわり、完璧主義的な処理傾向、自己批判の精度の高さ──これらはすべて、能力の高さの裏面として現れる性質だ。そしてそれらは、組織に吸収されなかった分だけ、内側に向かって働く。
私が観察してきた限り、燃え尽きた人間の多くは「手を抜けなかった人間」だ。手を抜けないのは意志の問題ではなく、能力の問題だ。できてしまうから、やってしまう。高い処理能力が、休止信号を無効化し続ける。ホメオスタシスが正常に機能していれば疲弊を検知して速度を落とすはずなのだが、高能力者はそのフィードバックループを「根性」や「責任感」で上書きする習慣を持っていることが多い。
これは余談ですが、攻殻機動隊の草薙素子が自分の義体の限界を常に超えた運用をしていることを、劇中で彼女自身が軽く語るシーンがある。彼女にとって限界は「越えるべき目安」であって、「守るべき境界」ではない。能力の高い人間の多くが、暗黙のうちにこの思想を採用している。素子はサイボーグだからいいが、人間の脳は有機物であり、修理が利かない。
構造的空白地帯に引き寄せられる──なぜ優秀な人間ほど「誰もやらない仕事」を引き受けるのか
組織には、常に誰かがやらなければならないが誰もやりたがらない仕事が存在する。これを私は「構造的空白地帯」と呼んでいる。クレーム対応、境界領域の調整業務、不明瞭な責任領域のプロジェクト、人間関係の摩擦の吸収役──こういった仕事は、明確なKPIと結びついていないことが多く、評価されにくく、それでいて消耗度が高い。
この空白地帯に最も引き寄せられるのが、能力の高い人間だ。理由は単純で、できるから引き受ける、誠実だから断れない、全体を見渡せるから問題を放置できない。組織の論理から言えば、空白を埋めてくれる存在は極めて便利だ。しかしこの構造は、空白を埋め続けた人間が完全に消耗した時点で、何も変わっていないという問題を抱えている。空白は依然として存在し、次の優秀な人間が吸い込まれるだけだ。
歴史を振り返ると、これは国家や帝国のレベルでも起きていることがわかる。優秀な官僚や軍人が制度の欠陥を個人の能力で補い続け、制度は改革されず、やがてその人間が倒れた時点で組織も崩壊する。清朝末期の李鴻章が典型的だろう。彼が個人の能力と外交手腕で帝国の延命を図るほど、帝国の構造的腐敗は温存された。能力者による補填は、腐敗の可視化を遅延させる。
「自己像の精度」が高いほど自己批判が深く刺さる
精神病理の文脈で言えば、抑うつの深刻さと認知の精度には相関がある。現実を正確に認識できる人間ほど、「自分が期待に応えられていない」という事実を正確に認識し、それを正確に自己批判する。これは悲観的認知バイアスとは異なる。バイアスなしに現実を見ているからこそ、傷つく。
心理学には「抑うつリアリズム」という概念がある。1979年にアリソン・ローレンとリン・アブラムソンが提唱したもので、軽度の抑うつ状態にある人間は、コントロール感の認知において健常者よりも現実に近いという実験結果だ。健常者は自分のコントロール感を過大評価するが、抑うつ傾向のある人間はより正確に現実を認識する。「見えすぎる」ことの代償だ(笑)。
能力の高い人間は、往々にして自己像の解像度が高い。自分に何ができて、何ができていないかを、精度高く認識している。この精度の高さが、失敗時の自己批判の深さに直結する。解像度の低い人間は「まあいっか」で処理できる事態を、解像度の高い人間は「なぜそうなったか」を10層くらい掘り下げて反省する。掘れば掘るほど、穴は深くなる。
「替えが利かない」という構造が個人を人質にする
ジョージ・オーウェルが「1984年」で描いたのは、完全な監視によって個人が自由を失う世界だったが、現代の組織が行使する支配はもう少し巧妙だ。「あなたがいないと困る」という形式の拘束は、恐怖ではなく依存と承認によって機能する。これは拘束を拘束と感じさせない。むしろ、被拘束者が自発的に鎖を選ぶよう設計されている。
「替えが利かない人材」というのは、組織にとっては価値の高い存在だが、当人にとっては脱出不可能な構造の別名だ。替えが利かないということは、辞めると言えないということだ。能力が高く、多くの責任を抱え、自分が抜けたら組織が困ると知っている人間は、その知識自体が足枷になる。誠実さと能力が、逃走の選択肢を閉じていく。
Animatrixの「Second Renaissance」は、機械が人間に搾取され続けた末に反乱を起こす歴史を描いているが、私がいつも思うのは反乱の前の話だ。搾取が持続可能だったのは、機械が「役に立ってしまっていた」からだ。役に立つことが、搾取の継続を許可する。能力がある限り、使われ続ける。これは寓話ではなく、構造の記述だ。
崩壊は失敗ではなく、過剰な成功の末にある
この話を整理すると、潰れる人間は何も間違っていない、という結論にならざるを得ない。彼らは能力を最大限に発揮し、誠実であり、組織の空白を埋め、適応し続けた。その結果として壊れた。これは失敗の物語ではなく、ある意味で過剰な成功の物語だ。システムに対して、能力が高すぎた。
フリードリヒ・ニーチェが「神は死んだ」と書いたとき、それは宗教批判ではなく、価値体系の崩壊を冷静に記述したものだった。「我々が神を殺した」という言い方をしたとき、それは罪悪感の表明ではなく、行為の結果を引き受けよという宣言だった。根拠のある絶望から出発しなければ、本当の意味での問い直しは始まらない。
組織に潰された人間が「自分に問題があった」と結論づけることが多いのは、自己像の解像度の高さゆえの誤りだ。正確に見えすぎるために、システムの欠陥を個人の欠陥として読み込む。これは知的誠実さの皮肉な副作用だ。本来見るべき対象は、個人ではなく、その個人を消耗させた構造の設計だった。
私には、この観察を「だからこうしましょう」という言葉で終わらせる気がない。それは構造の問題を再び個人の問題に変換することになるからだ。ただ、こうは言える。消えていった人間たちの多くは、組織の中で最も誠実に機能していた部品だった。部品が壊れたとき、機械を疑うか、部品を疑うか。どちらを選ぶかは、その人間の知性の問題だと私は思っている。
── 現在、私の主戦場はあくまで法人の経営であり、臨床医として現場に立つ時間は極めて限られています。そのため、提供する医療の質を最高水準に保つべく、診察は完全紹介制とし、普段は特定のVIPの方々に限定してお受けしている次第です。
とはいえ、自らの深い痛みや組織の歪みと真正面から向き合い、本質的な解決を望まれる方に対しては、常に扉を開いておきたいと考えております。何かご相談がございましたら、どうぞご遠慮なくご連絡ください。
著者
近澤 徹(Toru Chikazawa)
精神科医・産業医/Medi Face代表
「下医は病を治し、中医は民を治し、上医は世を治す」を信条に、教科書に載らない人間の感情や衝突、文化や社会構造までを「臨床」として捉え、医療の枠を超えてヒトと社会を診る。
医師監修:精神科医 近澤 徹
Medi Face代表医師、精神科医、産業医。
精神医療と職場のメンタルヘルスに関する啓発活動に従事し、
患者中心の医療を提唱。社会的貢献を目指す医療者として、
日々の診療と研究を続けている。
- 医療法人鳳應会 理事長
- 北海道大学医学部卒
- 慶應義塾大学病院
- 東京女子医科大学病院 研究員
- 名古屋市立大学病院 客員研究員
- 日本医師会認定産業医 / 精神科医
- 株式会社Medi Face 代表取締役医師
- 株式会社Legal Doctor 代表取締役医師
- Z産業医事務所 代表医師
- Medi Lex 代表医師
- 須賀法律事務所 顧問医師
- 日韓美容医学学会 常任理事
- FRAISE CLINIC 統括医師
- 日比谷セントラルクリニック 副院長
- EIGHT CLINIC渋谷 統括医師
- アイエスクリニック六本木 統括医師
- ルナビューティークリニック池袋 統括医師
- 医療法人伯鳳会 赤穂中央病院








