1984年にオーウェルが描いたディストピアで、もっとも恐ろしいのはビッグ・ブラザーの存在そのものではないと私は思っている。真に戦慄すべきは、人々がやがて「監視されていることを内面化し、自ら思考を検閲するようになる」という過程だ。外部からの強制が、いつしか内部からの自発的な沈黙へと変換される。ウィンストン・スミスは最後まで抵抗したが、彼の周囲のほとんどは、とっくに抵抗することをやめていた。やめたのではなく、やめるという選択肢すら消えていた。
組織の会議室で意見が出ないとき、多くのマネージャーは「この場は落ち着いている」「チームがまとまっている」と解釈する。私はこの解釈を、診断的に誤りだと考えている。もちろん「診断」などという権威的な言葉を使いたいわけではなく、ただ構造として、その読み方は現実と整合しないと言いたい。沈黙は均衡ではない。沈黙はコストの計算結果だ。
人間は社会的動物である、という命題はアリストテレスのものだが、それを進化生物学的に言い換えると「集団から排除されることへの恐怖が、個体の行動を強力に規定する」となる。発言してバカにされる、発言して無視される、発言して次の査定に響く──そういった経験を数回繰り返した個体は、学習性無力感(セリグマンの古典的な概念だが、ここでは集団適用版として使う)に陥り、「発話しない」を最適戦略として採択する。これは意志の弱さではなく、むしろ知的に正確な適応だ。
つまり意見が出ない組織とは、そこにいる人間たちが十分に賢く、十分に傷ついた場所である。
学習性無力感は個体に宿るのではなく、系に宿る
セリグマンの実験は有名だが、念のため輪郭だけ確認する。電気ショックを回避できない状況に置かれた犬は、やがて回避可能な状況になっても逃げようとしなくなる。「どうせ何をしても変わらない」という認知が、行動の選択肢そのものを消してしまう。これを人間の組織に適用するのは若干の粗暴さを伴うが、機能的には驚くほど似た現象が起きる。
ただし私が注目したいのは、この「無力感」が個体の内部だけに存在するわけではないという点だ。組織は一種の情報処理系であり、その系全体に学習パターンが宿る。個々のメンバーが入れ替わっても、「ここでは言っても無駄」という文化的コードが維持される。新人が入ってきて最初の三ヶ月で「あ、ここはそういう場所か」と学習し、それ以降は黙る。これを繰り返すことで、沈黙は再生産されつづける。個体の問題ではなく、系の問題だ。
これはちょうど、遺伝子ではなくミームが継承されるダーウィン的プロセスに近い。リチャード・ドーキンスが「利己的な遺伝子」で展開したミーム論をここで持ち出すのはやや迂遠かもしれないが、「沈黙」というミームが組織内で自己複製していくさまは、それ以外の言葉ではうまく表現できない気がする。
ちなみに、これは完全な余談だが、Animatrixの「セカンド・ルネサンス」でロボットたちが最初に反乱を起こしたのは、突然変異的な怒りからではなく、長年にわたる無視と虐待の蓄積の後だった。あの描写は「諦めが飽和したときに何が起きるか」という思考実験として、かなり示唆的だと思っている。組織の話をしているのに(笑)。
「心理的安全性」という概念が招く誤配
エイミー・エドモンドソンの心理的安全性(Psychological Safety)という概念は、ここ十年で経営の文脈に急速に輸入された。Googleのプロジェクト・アリストテレスがその普及を後押しし、今や「心理的安全性を高めよう」はほぼあらゆる組織開発の文脈で唱えられる呪文になった。
しかし私が観察する限り、この概念はかなりの確率で誤配されている。誤配というのは、届いているが意図した場所に届いていない、という意味で使っている。心理的安全性を「意見を言っても怒られない雰囲気」として理解し、「ではもっとフレンドリーな会議にしましょう」という施策に落とし込む組織が非常に多い。雰囲気をよくすることと、発話が報われる構造を作ることは、まったく別の問題だ。
前者は表面張力を下げる。後者は重力そのものを変える。
表面張力を下げても、重力が変わっていなければ、少し柔らかくなった沈黙が生産されるだけだ。笑いながら沈黙する組織は、硬直しながら沈黙する組織より表面的に健全に見えるが、「言っても無駄」という核心的な認知は何も変わっていない。むしろたちが悪いかもしれない。苦痛が見えにくくなるから。
「諦め」は感情ではなく認知構造として扱うべきだ
臨床的な話になるが、「諦め」を感情として捉える人は多い。落ち込んでいる、やる気がない、ネガティブだ、と。しかし私は「諦め」を、むしろ精巧な認知モデルとして見ている。諦めた人間は、未来の無数のシミュレーションを走らせ、そのほぼすべてにおいて「発話しない」が最適解であるという結論に至っている。それは怠惰でも卑屈でもなく、経験に基づく予測モデルの収束だ。
計算科学的に言えば、遺伝的アルゴリズムの「早期収束問題」に近い。多様な解を探索すべき段階で、局所最適解に収束してしまい、探索が止まる。組織という探索空間において、「黙っておく」という局所最適解への早期収束が起きると、そこから抜け出すには相当な外部エネルギーが必要になる。
これは余談ですが、攻殻機動隊の草薙素子が「自分がサイボーグであることへの疑い」を持ち続けたのは、認知の多様性を保つためだったとも読める。「私は本当に考えているのか、それともプログラムされた反応を出力しているだけか」──この問いを持てなくなった組織は、素子で言えばゴーストを失った状態だ。動いているが、考えていない。
沈黙を産出している側が「聞いている」と思っている、という構造的な非対称
この問題で最も残酷な非対称は、「意見が出ない」と感じている側がほとんどいない、という事実だ。経営者も、マネージャーも、「うちはオープンなコミュニケーションができている」と感じている場合が多い。なぜなら彼らは、発話を抑制するコストを支払っていないからだ。発言権を持っている側には、沈黙のコストは見えない。
ハンナ・アーレントは「全体主義の起源」の中で、政治的な悪の多くが「悪意」からではなく「思考の欠如」から生まれると書いた。アイヒマン裁判を経て結晶化したあの洞察──「悪の凡庸さ」──は、組織論にも静かに射程を持つ。沈黙を生産し続ける組織の上層部は、多くの場合、意地悪ではない。ただ、構造が見えていない。見えていないことを疑わない。それだけだ。
これは加害と被害という枠組みで語るべき問題ではなく、情報の非対称性と認知的死角の問題として語るべきだと私は思っている。もちろん、意図的に発言を抑圧しているケースもある。しかしより一般的な形態は、「抑圧していることに気づいていない」だ。
構造が見えないまま「うちはオープンだ」と言い続ける組織は、ホメオスタシスの罠に入っている。内部環境を一定に保とうとする機能が、変化の信号そのものをノイズとして処理し、排除する。生理学的には賢い仕組みだが、組織においてはそれが「変化不能」と同義になる。(笑)
沈黙の飽和点について
最後に、これは思索であって結論ではないのだが、沈黙には飽和点があると私は考えている。物質が一定の溶解度を超えると析出するように、組織内の諦念も、ある閾値を超えると形を変えて表面化する。
それは離職という形をとることが多い。優秀な順に辞めていく、という観察は多くの経営者が経験的に知っているが、その理由として「待遇」や「キャリア」を挙げることが多い。しかし私の見立てでは、その手前に「もうここでは考えることをやめた」という認知的離脱がある。物理的な離職は、認知的離職から数ヶ月〜数年遅れてやってくる。
あるいは、沈黙は突発的な爆発として析出することもある。長年「いい人」だったメンバーが突然キレる、突然辞表を出す、という現象は多くの場合、長期的な諦念の飽和による相転移だ。周囲は「突然」と感じるが、当人の内側では極めて連続的なプロセスが進行していた。
高圧酸素のタンクを密閉したまま加熱しつづけると、あるとき破裂する。その瞬間だけを見た人間は「突然爆発した」と言うが、物理的には何も突然ではない。
では、沈黙が支配する組織はどうすればいいのか、という問いが来るかもしれない。私はそれに答えを持たない。正確に言えば、答えを持っていても、それを提示することに興味がない。問いを立てることと、解を売ることは別の仕事だ。私がしたいのは前者で、後者は別の誰かに任せたい。
ただ一つだけ言えることがある。「意見が出ない組織は問題がない組織だ」という読み方は、高圧タンクを「静かで安全だ」と言うのと同じ論理構造を持っている。静かなものが安全だとは限らない。むしろ静かなものほど、内側を疑うべきかもしれない。
── 現在、私の主戦場はあくまで法人の経営であり、臨床医として現場に立つ時間は極めて限られています。そのため、提供する医療の質を最高水準に保つべく、診察は完全紹介制とし、普段は特定のVIPの方々に限定してお受けしている次第です。
とはいえ、自らの深い痛みや組織の歪みと真正面から向き合い、本質的な解決を望まれる方に対しては、常に扉を開いておきたいと考えております。何かご相談がございましたら、どうぞご遠慮なくご連絡ください。
著者
近澤 徹(Toru Chikazawa)
精神科医・産業医/Medi Face代表
「下医は病を治し、中医は民を治し、上医は世を治す」を信条に、教科書に載らない人間の感情や衝突、文化や社会構造までを「臨床」として捉え、医療の枠を超えてヒトと社会を診る。
医師監修:精神科医 近澤 徹
Medi Face代表医師、精神科医、産業医。
精神医療と職場のメンタルヘルスに関する啓発活動に従事し、
患者中心の医療を提唱。社会的貢献を目指す医療者として、
日々の診療と研究を続けている。
- 医療法人鳳應会 理事長
- 北海道大学医学部卒
- 慶應義塾大学病院
- 東京女子医科大学病院 研究員
- 名古屋市立大学病院 客員研究員
- 日本医師会認定産業医 / 精神科医
- 株式会社Medi Face 代表取締役医師
- 株式会社Legal Doctor 代表取締役医師
- Z産業医事務所 代表医師
- Medi Lex 代表医師
- 須賀法律事務所 顧問医師
- 日韓美容医学学会 常任理事
- FRAISE CLINIC 統括医師
- 日比谷セントラルクリニック 副院長
- EIGHT CLINIC渋谷 統括医師
- アイエスクリニック六本木 統括医師
- ルナビューティークリニック池袋 統括医師
- 医療法人伯鳳会 赤穂中央病院








