ジョージ・アカロフが1970年に「レモンの市場」という論文を書いたとき、彼が証明しようとしたのは車の中古市場における情報の非対称性だった。売り手は車の品質を知っているが、買い手はわからない。結果として市場には欠陥品(レモン)だけが残り、良質な車は売り手ごと市場から撤退する。アカロフはこの論文でノーベル賞を取った。私がこれを思い出すのは、中古車を買うときではなく、日本企業の人事制度について考えるときだ。
日本の多くの組織では、仕事ができる人間の「実質時給」が年々下がり続けるという現象が観察される。正確に言えば、成果に対して支払われる対価の比率が、能力の高い人間ほど低くなるように設計されている。これを単純に「日本は成果主義じゃないから」と片付けることは簡単だが、それは現象の記述であって、構造の解析ではない。私はもう少し深いところを掘りたい。
問題の核心は「評価できない」ことではない。「評価したくない」という組織的な無意識だ。これはサボタージュではなく、システムが自己保存のために必然的に生成するバイアスだと私は思っている。生物学の言葉で言えば、これはある種の免疫応答に近い。優秀な個体は、凡庸な集団にとって異物として認識される。
ホメオスタシスとしての「平等」──組織が優秀さを希釈するメカニズム
生理学に「ホメオスタシス」という概念がある。生体が内部環境を一定に保とうとする働きのことだ。体温が上がれば汗をかき、血糖が上がればインスリンが出る。これは生命にとって不可欠な機能だが、組織という生態系においても、まったく同じ原理が働く。ただし、そこで「一定に保とうとされる」ものが問題だ。
日本の多くの組織において恒常的に維持されようとしているのは、「誰も突出していない」という秩序だ。突出した個体が現れると、組織は様々な手段でその突出を均す。評価を意図的に抑える、役割を拡張して消耗させる、「もっとチームに貢献してほしい」という曖昧な要求で個人の生産性を集団の中に溶かす。これは陰謀ではなく、システムの自動反応だ。誰かが意図しなくても起きる。
ちなみに、これは日本特有の現象かというと、そうとも言い切れない。ただし日本には「年功序列」という制度的な土台があり、その上に「和を乱さない」という文化的な規範が乗っている。二重の抑制機構を持つという点において、日本企業のホメオスタシスは特に強力だと思う。
この結果として何が起きるか。優秀な人間は単位時間あたりの仕事量が増え続けるにもかかわらず、報酬の上昇は鈍化する。これを計算すると実質時給は下がる。一方、凡庸な人間は年功によって報酬が上がり続ける。実質時給は上昇する。ここに奇妙な逆転が生じる。
「逆選択」という進化のバグ──適者生存の反対が起きている
ダーウィンの自然選択は、環境への適応度が高い個体が生存し、その形質が次世代に受け継がれるという原理だ。しかし現実の進化において、選択圧が歪んだ環境では「逆選択」が起きることがある。有性生殖の世界では、配偶者選択において過度に誇張された形質が選ばれ続け、それが生存に不利であっても広がるケースがある。孔雀の尾羽がその古典的な例だ。あれは捕食者から逃げる上では完全に邪魔だが、メスに選ばれるという「社会的選択圧」が勝ってしまった。
日本企業において「選ばれる」のは、仕事ができる人間ではなく、組織の論理に最も適合した人間だ。上司の顔色を読む能力、会議で空気を壊さない技術、「自分が正しい」と思っても黙っていられる自制心。これらは組織という環境への適応としては非常に高度なスキルだが、本来の仕事の成果とは直交する能力だ。
問題は、このような逆選択が繰り返されると、組織の「遺伝子プール」が徐々に変容していくことだ。本来の仕事能力を持つ個体は外部環境(他社・独立・海外)に流出するか、消耗して沈黙する。残るのは適応コストの低い個体だ。これは10年20年のスパンで起きる変化だから、誰もその劣化に気づかない。気づいたときには組織全体の能力基準が既にシフトしている。
これは余談ですが、Animatrixの「世界記録」というエピソードを私は時折思い出す。陸上選手のダン・デイヴィスが、あまりに速く走ることで一瞬マトリックスの外に出てしまう話だ。システムの限界を超えた個体は、システムに修正される。日本企業の優秀な人材が経験するのは、あれに近い何かではないかと思っている(笑)。
「測定できないものは管理できない」──しかし日本は測定しなかった
マネジメントの世界にはドラッカーの言葉として流布している格言がある。「測定できないものは管理できない」。ただしこれはドラッカー本人の言葉ではないという説もあり、出典を辿ると霧の中に消えていくのだが(笑)、内容としては正しい。測定なき管理は、恣意に堕ちるか、惰性に流れるかのどちらかだ。
日本企業の多くは、長らく「仕事の成果」を測定することを避けてきた。理由はいくつか考えられる。測定基準を作ること自体がコストであること、明示的な基準を作ると「基準を満たせばいい」という最小化戦略が生まれること、そして最も根深い理由として、明確な評価は明確な格差を生む、という事実を組織が恐れていること。格差は不公平に見える。不公平は不満を生む。不満は和を乱す。だから測定しない。
しかしこの論理の欠陥は明白だ。測定しなければ格差は消えない。ただ「見えなくなる」だけだ。見えない格差は、むしろより強力に作用する。評価基準が曖昧なとき、人間は最も原始的な判断基準に依存する。つまり、「好き嫌い」「慣れ親しんだもの」「自分に似た人間」への親和性だ。結果として、能力ではなく属性によって報酬が決まる構造が強化される。
ここで思い出すのはゴドフリー・ハーディの話だ。20世紀初頭の数学者で、「美しい数学は役に立たない。役に立つ数学は美しくない」という信念を持っていた人物だが、彼が純粋数学として発展させた数論の一部は、後に暗号理論として軍事的・経済的に重大な応用を持つことになった。測定しないこと、評価しないことは、価値がないということとイコールではない。見えていないだけだ。そして見えていない価値は、いつか外部に流出する。
情報の非対称性が生む「優秀な人間の出口戦略」
アカロフのレモン市場に戻ろう。品質の高い車の売り手は市場が機能しないと判断して撤退する。これは日本企業においても同型の構造として現れる。仕事ができる人間は、自分の能力が正しく評価されないと気づいたとき、二つの選択肢を持つ。沈黙して適応するか、市場から出ていくかだ。
後者を選ぶ人間は、昨今増えている。外資系企業への転職、独立、副業による時給の最適化、あるいは国外への移動。これらはすべて、情報の非対称性が解消された結果の行動だ。自分の能力が外部市場でどの程度評価されるかを知ったとき、人間は初めて内部市場の歪みを認識する。転職市場の流動化は、単に個人の価値観の変化ではなく、情報環境の変化によって必然的に生じている現象だと私は解釈している。
残る人間は二種類いる。内部市場の歪みを知りつつも、様々な理由で(家族・住居・年齢・リスク回避性向)留まることを選択した人間と、内部市場の歪みを認識していない人間だ。前者は静かに消耗し、後者は組織の論理を内面化して管理職になっていく。この二つのグループが組織の大部分を占めるようになったとき、組織の知的代謝は極めて低い水準に安定する。安定、というのは動的な意味ではなく、停滞という意味で。
バグか仕様か──そして私たちは何を見ているのか
タイトルに「バグ」と書いたが、これは本当にバグなのだろうか、と私は考え続けている。コンピュータ科学の用語で言えば、バグは「意図しない動作」であり、仕様は「設計通りの動作」だ。日本企業における優秀な人材の実質時給低下は、本当に意図しない誤動作なのか。あるいは、ある種の目的に対しては完全に機能している仕様なのではないか。
1984のオブライエンが「権力は目的ではなく、手段ではなく、それ自体が目的だ」と言ったように、日本の多くの組織において「組織の継続と安定」は自己目的化している。外部環境への適応能力、すなわち真の意味での組織的な知性は、この目的に対しては必ずしも必要ではない。むしろ、突出した個体を均し、集団の凝集性を維持する方が、短期的な「組織の安定」という指標に対しては合理的に機能する。
問題が露見するのは、外部環境が変化したときだ。競争環境が激化し、テクノロジーが加速し、人口動態が組織を支えるリソースを減少させるとき、長期にわたる逆選択の結果は一気に表面化する。日本企業の多くが今まさにその局面にいる、と私は観察している。
ただ、これを「だから日本企業は終わりだ」という結論に直結させるつもりは私にはない。生態系は崩壊するか、あるいは撹乱をきっかけに急速な再編を遂げるかのどちらかだ。進化は緩慢な時期と急速な時期が交互に訪れる「断続平衡」というモデルで理解されることがある。長い均衡の後に、短期間で大きな変化が起きる。今がその閾値に近い時期なのかもしれないし、そうでないかもしれない。
私が確かだと思うのは一つだけだ。バグを仕様と区別できない組織は、バグを修正できない。そして仕様だと気づいた組織は、書き直すかどうかを選択できる。気づくことと変わることは別の話だが、気づかないことには何も始まらない。──これは完全に蛇足ですが、それが精神科医という仕事の基本でもあると私は思っている(笑)。
── 現在、私の主戦場はあくまで法人の経営であり、臨床医として現場に立つ時間は極めて限られています。そのため、提供する医療の質を最高水準に保つべく、診察は完全紹介制とし、普段は特定のVIPの方々に限定してお受けしている次第です。
とはいえ、自らの深い痛みや組織の歪みと真正面から向き合い、本質的な解決を望まれる方に対しては、常に扉を開いておきたいと考えております。何かご相談がございましたら、どうぞご遠慮なくご連絡ください。
著者
近澤 徹(Toru Chikazawa)
精神科医・産業医/Medi Face代表
「下医は病を治し、中医は民を治し、上医は世を治す」を信条に、教科書に載らない人間の感情や衝突、文化や社会構造までを「臨床」として捉え、医療の枠を超えてヒトと社会を診る。
医師監修:精神科医 近澤 徹
Medi Face代表医師、精神科医、産業医。
精神医療と職場のメンタルヘルスに関する啓発活動に従事し、
患者中心の医療を提唱。社会的貢献を目指す医療者として、
日々の診療と研究を続けている。
- 医療法人鳳應会 理事長
- 北海道大学医学部卒
- 慶應義塾大学病院
- 東京女子医科大学病院 研究員
- 名古屋市立大学病院 客員研究員
- 日本医師会認定産業医 / 精神科医
- 株式会社Medi Face 代表取締役医師
- 株式会社Legal Doctor 代表取締役医師
- Z産業医事務所 代表医師
- Medi Lex 代表医師
- 須賀法律事務所 顧問医師
- 日韓美容医学学会 常任理事
- FRAISE CLINIC 統括医師
- 日比谷セントラルクリニック 副院長
- EIGHT CLINIC渋谷 統括医師
- アイエスクリニック六本木 統括医師
- ルナビューティークリニック池袋 統括医師
- 医療法人伯鳳会 赤穂中央病院








