カミュは『シーシュポスの神話』の冒頭で、哲学における真に重要な問いはただひとつ──自殺するかしないかだ──と書いた。ずいぶん荒っぽい出発点だと思う人もいるだろうが、私はこの一文を読んだとき、彼が問うているのは死ではなく耐性の閾値についてだと直感した。人間はどこまで耐えられるか。そしてより本質的な問いとして、人間はいつ自分が耐えられなくなったことを知るのか。
面白いのは、その「知る」という動詞が、多くの場合、手遅れになった後にしか機能しないという事実だ。臨床の場で人々を見ていると、自分の限界を「認識」している人間は想像以上に少ない。そうではなく、限界はある日突然、外側から観測される現象として現れる。本人はそのとき、まだ「大丈夫」と言っている。いや、大丈夫と言えてしまっている。これは演技ではない。本当にそう感知しているのだ。
人間の自己認識というシステムには、根本的な設計上の欠陥がある──と言うと語弊があるかもしれないが、少なくともそう見える。私が興味を持つのは、その欠陥がどういう構造を持っているかであって、「だから気をつけましょう」という話をするつもりは毛頭ない。そういう記事は世の中に腐るほどある。ここでは純粋に、その欠陥の形を眺めてみたい。
恒常性という罠──ホメオスタシスは「正常」を再定義し続ける
生体が内部環境を一定に保とうとする仕組みをホメオスタシスと呼ぶ。体温、血糖、pH。これらは変動を嫌い、基準値へと戻ろうとする。よく知られた話だ。しかしこのメカニズムが心理的な領域でも働いているとき、それは時として非常に不都合な方向に機能する。
慢性的なストレス下に置かれた人間の脳は、その状態を「新しい正常」として学習する。基準点がずれるのだ。毎日8時間働いていた人間が10時間働くようになり、それが3ヶ月続けば、10時間が基準になる。次に12時間になっても、差分は「たった2時間」として処理される。絶対値ではなく相対値で苦痛を測っているために、本人の感覚では「それほど変わっていない」ということになる。
これは感覚の話だけではない。コルチゾール──ストレスホルモンと呼ばれるもの──の慢性的な分泌は、受容体の感受性を下げる。身体が「もうこの濃度には反応しない」と決めるわけだ。高分圧酸素の環境に長時間置かれた組織が酸素毒性に慣れるのと、構造的にはよく似ている。慣れるということは、感知する能力が落ちるということと同義だ。限界に近づくほど、限界を感じにくくなる。これはバグではなく、ある意味で精巧な適応だが、人間社会においてはほぼ確実に人を殺す方向に働く(笑)。
ちなみに、この「基準点のずれ」という現象は経済学にも登場する。ダニエル・カーネマンが示した「参照点依存性」がそれだ。人間の苦痛や喜びは絶対的な状態ではなく、どこを基準にするかで決まる。精神医学と行動経済学がここで完全に握手する。私はこういう瞬間が好きだ。
「大丈夫」という言語的自動生成──嘘ではなく、システムエラーとしての言葉
「どうですか?」と聞かれたとき、「大丈夫です」と答える。この発話には、少なくとも二種類の起源がある。ひとつは意図的な隠蔽。もうひとつは、本当に大丈夫だと感知しているが故の発話。臨床上で問題になるのは、ほぼ常に後者だ。
人間の言語システムは、内部状態を精密に言語化するために設計されているわけではない。むしろ逆で、言語は社会的摩擦を最小化するために進化してきた側面が強い。「大丈夫か?」に「大丈夫」と答えるのは、ある文化圏では空気のように自動化されたプロトコルだ。問題は、この自動応答が、内部状態の実際の観測を迂回してしまうことにある。
これは攻殻機動隊でバトーが言うような話に近い──人間は「考えている」と思っているが、実はほぼ「反応している」。意識的な思考はプロセスのほんの表層で起きているに過ぎない、という例のアレだ。「大丈夫です」という言葉が出てきた瞬間、本人はそれを言うことで自分が大丈夫であることを信じる。言語が内部状態を読み取るのではなく、言語が内部状態を上書きする。
これは完全に蛇足ですが、1984年のウィンストン・スミスが置かれていた状況──言語を変えることで思考の可能性そのものを制限する「ニュースピーク」の設計──は、このメカニズムの政治的応用として読めなくもない。「苦しい」という語彙を持たない人間は、自分が苦しいとは言えない。言えない状態は、感知できない状態に近づいていく。ビッグブラザーがいなくても、「大丈夫」という自動応答が同じことをやっている。
最初のサインは言語より先に来る──行動の微細な構造変化として
では、本人が「大丈夫」と言っている間、外側から何が観測できるか。ここが本題と言えば本題だ。
私が注目するのは、選択の粒度が粗くなるという現象だ。限界に近い人間は、細かい判断をしなくなる。昼食を何にするか考えるのをやめて、いつも同じものを頼む。メールの返信が短くなる。短くなるというより、接続詞が消える。「承知しました。確認して折り返します」が「わかりました」になり、やがて「了」になる。これは無礼になったのではない。認知リソースが枯渇しつつあるから、最小コストの応答を生成しているのだ。
1956年、ジョージ・ミラーが論文で示したマジカルナンバー7±2という概念がある。人間が同時に処理できる情報のチャンク数の限界だ。疲弊した脳はこの上限がさらに下がる。するとまず、「なくても支障が出ない」と判断された処理から切り捨てられていく。その切り捨ての順番が、その人間にとって何が「周辺」と分類されているかを教えてくれる。趣味への関心、友人への連絡、細部へのこだわり。これらは一般に、早期に削除対象になる。
もうひとつ興味深いのは、ユーモアのトーンが変化するという現象だ。もともと乾いた笑いを持っていた人間が、笑いの質を失う。あるいは逆に、普段そこまで冗談を言わない人間が、急に自虐的なジョークを連発し始める。後者のほうが注意が必要だ。「ちょっとやばいかもしれない(笑)」という言い方は、括弧の笑いによって深刻さを無力化しながら、かろうじてシグナルを発している。この構造は、私には微かな救難信号のように見える。
「壊れる前夜」の熱力学──エントロピーは静かに増大する
熱力学の第二法則は、孤立系のエントロピーは増大し続けると言う。秩序は放置すれば崩れる。これを人間に適用するのは些か乱暴だが、比喩としては有用だ。自分の限界を知らない人間の内側では、エントロピーが静かに、しかし確実に増大している。そしてその増大は、外部からはなかなか見えない。なぜなら、外側には「秩序の仮面」を保つエネルギーが優先的に注ぎ込まれるからだ。
壊れる直前の人間がもっとも「しっかりして見える」という逆説は、臨床上しばしば遭遇する現実だ。ギリギリのラインに立っているとき、人はある種の過剰適応を見せることがある。完璧に整えられた服装、むしろ増加する業務への積極的な姿勢、必要以上に丁寧なコミュニケーション。これはパフォーマンスではなく、システムが崩壊直前に見せる「最後の秩序維持」の努力だ。Animatrixの「世界の記録」で描かれる、現実のシステムが崩壊する前に過剰な整合性を見せる世界に、構造として似ていると私は思う。
ポール・デイヴィスが複雑系について書いていたように、複雑なシステムは単純な因果で崩れない。閾値を超えた瞬間に相転移が起きる。水が99℃でも液体であり、100℃で沸騰するように。人間の崩壊も、多くの場合は線形ではない。長い平坦な期間の後、ある日突然、相転移が起きる。その平坦な期間を「耐えられている」と誤読するのは、エントロピーの増大を温度計で読もうとするようなものだ。
結び──観測問題として、あるいは哲学として
量子力学における観測問題を思い出す。観測する行為そのものが、観測対象の状態を変えてしまう。人間が自分の限界を「観測しようとする」とき、その行為自体が何かを変える。限界を問いかけることで防衛機制が強化されるケースもあれば、問いかけること自体がすでに助けを求めることになっているケースもある。
自分の限界がわからない人間が最初に示すサインとは、私に言わせれば、「観測を止める」という行為そのものだ。言語が自動化し、行動の粒度が粗くなり、周辺から削除が始まる。それはシステムが過負荷を生き延びるために採用する、合理的で悲しい戦略だ。合理的だから止まらない。止まらないから、外側から見えるサインを持つ人間が重要になる。
ただ、私はここで「だから周りが気づいてあげましょう」という方向には行かない。その種の結論は正しいが、思索の終わりとしては安すぎる。むしろ私が考え続けているのは、「観測できない自己」という問いだ。自分の状態を正確に測れない存在が、それでも何とか生き延びているのはなぜか。ホメオスタシスが基準点をずらし続ける中で、それでも人間が「ここはまずい」と気づく瞬間は何によってもたらされるのか。
それはたぶん、言語でも数値でも感覚でもなく、もっと奇妙な何かだと思っている。まだうまく言語化できていない。というか、言語化できた瞬間にそれは別の何かになる気がして、あえて手をつけていない部分でもある(笑)。
── 現在、私の主戦場はあくまで法人の経営であり、臨床医として現場に立つ時間は極めて限られています。そのため、提供する医療の質を最高水準に保つべく、診察は完全紹介制とし、普段は特定のVIPの方々に限定してお受けしている次第です。
とはいえ、自らの深い痛みや組織の歪みと真正面から向き合い、本質的な解決を望まれる方に対しては、常に扉を開いておきたいと考えております。何かご相談がございましたら、どうぞご遠慮なくご連絡ください。
著者
近澤 徹(Toru Chikazawa)
精神科医・産業医/Medi Face代表
「下医は病を治し、中医は民を治し、上医は世を治す」を信条に、教科書に載らない人間の感情や衝突、文化や社会構造までを「臨床」として捉え、医療の枠を超えてヒトと社会を診る。
医師監修:精神科医 近澤 徹
Medi Face代表医師、精神科医、産業医。
精神医療と職場のメンタルヘルスに関する啓発活動に従事し、
患者中心の医療を提唱。社会的貢献を目指す医療者として、
日々の診療と研究を続けている。
- 医療法人鳳應会 理事長
- 北海道大学医学部卒
- 慶應義塾大学病院
- 東京女子医科大学病院 研究員
- 名古屋市立大学病院 客員研究員
- 日本医師会認定産業医 / 精神科医
- 株式会社Medi Face 代表取締役医師
- 株式会社Legal Doctor 代表取締役医師
- Z産業医事務所 代表医師
- Medi Lex 代表医師
- 須賀法律事務所 顧問医師
- 日韓美容医学学会 常任理事
- FRAISE CLINIC 統括医師
- 日比谷セントラルクリニック 副院長
- EIGHT CLINIC渋谷 統括医師
- アイエスクリニック六本木 統括医師
- ルナビューティークリニック池袋 統括医師
- 医療法人伯鳳会 赤穂中央病院








