1517年、マルティン・ルターが95ヶ条の論題をヴィッテンベルクの教会扉に打ち付けたとき、カトリック教会はそれを「異端」と呼んで処理しようとした。異端審問、破門、帝国議会への召喚。しかし彼らが見落としていたのは、ルターの問題提起そのものではなく、それを可能にした印刷技術というインフラの変容だった。教会は「思想」と戦おうとして、「構造」と戦っていることに気づかなかった。結果として、教会は一部の表面的な儀礼を修正し、それを「改革(Reformation)」と呼び、本質的なヒエラルキーは数百年間、ほぼ無傷で生き延びた。
私が産業医として企業の現場に入るとき、この光景を何度も目撃する。「働き方改革推進室」という部署が立ち上がり、残業の上限を設定する社内通達が出回り、フレックスタイム制の導入を告げるスライドが役員会で承認される。書類の上では、確かに何かが変わった。しかし6ヶ月後に現場を見ると、人々は同じ顔をして、同じ時間まで働いている。ただ、タイムカードの数字だけが変わっている。
これを「経営者の意識が低い」「現場の抵抗が強い」と説明するのは簡単だ。しかしそれは現象を記述しているだけで、機序を説明していない。医学的に言えば、症状の観察であって、病態生理の理解ではない。私はむしろ、これを生物学の言語で考えたほうが正確だと思っている。
キーワードはホメオスタシス(homeostasis)だ。
組織はなぜ、変わろうとしながら変わらないのか──ホメオスタシスという構造的誠実さ
ホメオスタシスは、生物が内部環境を一定に保とうとする仕組みだ。体温が上がれば発汗し、血糖が上昇すればインスリンが分泌される。これは「悪い」機能ではない。むしろ、生命が数十億年かけて獲得した精巧な恒常性維持システムであり、生存の根拠そのものだ。問題は、この機能が組織にも同様に働くという点にある。
組織もまた、長年かけて「均衡状態」を形成している。権限の分配、情報の流れ方、評価される行動と罰せられる行動のパターン、誰が誰に何をどのように言えるか──これらすべてが複雑に絡み合って、一種の「組織的な生態系」を形成する。この均衡は、個々のメンバーの意識とは独立して機能する。つまり、誰も悪意を持っていなくても、システムは既存の均衡を守ろうとする。
「働き方改革」が外部からの刺激として組織に加わると、このホメオスタシスが発動する。発熱に対して体が解熱反応を起こすように、組織は「改革という刺激を無害化する」ための反応を起こす。書類上では変化が承認され、形式的な指標が整備され、しかし実際の行動様式は元の均衡点へとゆっくり戻っていく。これは意図的な抵抗ではなく、システムの誠実な自己保存だ。ここを「悪者探し」で解決しようとすると、必ず失敗する。
ちなみに、これは1940年代にノーバート・ウィーナーがサイバネティクスとして定式化した制御理論の問題でもある。フィードバックループが均衡を維持するとき、外部からの一時的な摂動は「ノイズ」として処理され、システムは元の状態へと収束する。残業時間という数値だけを変えようとする試みは、まさにこのノイズとして扱われる。──これは余談ですが、ウィーナー自身は晩年、自分の理論が軍事技術と資本主義的な管理に使われることを深く憂慮していた。理論が最も正確に機能するのは、しばしばその理論を生んだ人間が最も望まなかった文脈においてだ、というのは、何とも皮肉な話だと思う。
「形だけ」に終わる改革の共通パターン──変数を変えて、関数を変えない
数学的に言えば、こういうことだ。y = f(x) という関数があるとして、多くの「働き方改革」はxの値を変えようとする。残業時間というxを短くする、休暇取得率というxを上げる。しかし関数f そのものは変えていない。つまり、入力を変えても、出力の構造は変わらない。
f とは何か。それは「何が評価され、何が評価されないか」という組織の報酬関数だ。より正確には、公式な評価制度だけでなく、「誰が昇進するか」「誰の発言が会議で通るか」「どんな人間が上司から好かれるか」という、非公式な文化的コードの総体だ。
私が観察してきた「形だけで終わる改革」の組織には、驚くほど共通したパターンがある。それは、長時間労働する人間が、制度導入後も変わらず「献身的」と評価され続けているという事実だ。制度上は残業が禁止されている。しかし評価の文脈では、遅くまで働く人間が「コミットしている」と見なされる微妙な空気が残存している。これは誰かが意図的に維持しているわけではなく、長年かけて形成された文化的なコードが、制度変更の後もそのまま生き残っているということだ。
人間は驚くほど敏感に、組織の「本当の評価関数」を読む。公式なルールより、実際に誰が出世したかという事実のほうを信頼する。これは合理的な行動だ。制度の文言より、現実のインセンティブ構造に従って動くほうが、個人の生存戦略として正しい。かくして、改革は美しい書類の中にだけ存在し、現場は「ゲームのルールが変わっていない」という正確な認識のもとで、以前と同じゲームをプレイし続ける。
歴史が繰り返す理由──ソビエトの五ヶ年計画から学ぶ指標の呪い
1930年代のソビエト連邦では、スターリンの指令のもとで各工場に生産目標が課された。釘の生産量を「本数」で測れば、工場は細い釘を大量に生産する。「重量」で測り直せば、今度は太くて重い釘を少数生産する。どちらの場合も、目標数値は達成された。しかし誰も必要な釘を手に入れられなかった。
これはグッドハートの法則として知られている現象だ。「測定された指標は目標になった瞬間に、良い指標ではなくなる」というやつだ。残業時間、有給取得率、フレックス利用率──これらの数値を改革の成果指標として設定した瞬間に、組織はその数値を最適化し始める。数値の裏にある実態ではなく、数値そのものを。
これは完全に蛇足ですが、攻殻機動隊のスタンドアローン・コンプレックスという概念を思い出す。個々の模倣者が原典なしに独立して同じ行動を取る現象。企業の「形だけの改革」もある意味でこれに近い。各社が独立して、しかし驚くほど同じ形式的な改革パターンを再現する。誰かが指示しているわけではなく、「改革をしているように見せる」という社会的圧力に対して、組織が収束する均衡解がそこにあるからだ。笑
ではどこを変えれば良いのか、という問いが来そうだが、私はここで処方を書く気にならない。それよりも、「なぜ変わらないか」の構造を正確に見ることのほうが先だと思っている。診断なき治療は、症状の一時的な抑制にしかならない。
「改革」という言語ゲーム──ウィトゲンシュタインが組織コンサルタントだったら
後期ウィトゲンシュタインは、言語の意味はその使用の中にあると言った。「働き方改革」という言葉の意味も、それが組織の中でどのように使われているかによって決まる。そしてこの言葉が実際に使われている文脈を観察すると、多くの場合、それは「外部への説明」のための言語だとわかる。投資家への説明、行政への説明、求職者への説明、メディアへの説明。内部の行動を変えるための言語としてではなく、外部の批判を緩和するための言語として機能している。
言語が機能する文脈がそこにある限り、その言語は生き続ける。「働き方改革を進めています」という言明が、社会的に有効な機能を果たし続ける限り、組織はその言明を維持する理由がある。そして実態がそれに伴わなくても、言明の社会的機能は損なわれない。なぜなら実態を精密に検証する仕組みが、そもそも存在しないからだ。
これは偽善や欺瞞と呼ぶべきものではないかもしれない。むしろ、言語ゲームの規則に従っているだけだ。社会が「改革しているように見える」ことと「改革している」ことを区別しないのであれば、組織は前者を選択する。それは合理的だ。問題は個々の組織の誠実さではなく、「言明の検証が行われない」という社会的な構造にある。
均衡点の移動──本当の変化が起きるときに何が起きているか
ではホメオスタシスは乗り越えられないのか、という問いには、生物学が一つの答えを持っている。生体のホメオスタシスも、十分に強い刺激が十分に長く続いた場合、均衡点自体がシフトする。これをアロスタシスと呼ぶ研究者もいる。新しい均衡への移行だ。
組織においてこれが起きるときには、いくつかの条件が揃っている。私が見てきた中で、実際に変化した組織には共通点がある。それは、変化のインセンティブが「外部からの要求」ではなく「内部の生存問題」と結びついていた、という点だ。「改革しなければ倒産する」「このままでは人材が全員離脱する」という、実存的な危機感が組織の中核に届いたとき、ホメオスタシスは上書きされる。外部圧力がノイズとして処理されるのは、それが生存を脅かさない強度だからだ。
逆に言えば、多くの「働き方改革」が形だけに終わるのは、それが組織の生存にとってまだ本当の意味での問題になっていないからかもしれない。優秀な人材が離脱しても、採用でなんとかなる。法的な制裁が来ても、罰金で対処できる。そのコストが、変化のコストより低い限り、均衡は移動しない。これは冷酷な計算だが、おそらく正確だ。
順列都市のポール・ダーラムが言ったように、「システムが十分に複雑になれば、それは自分自身のルールで動き始める」。組織もまた、創設者の意図や役員会の決議から独立した、固有のダイナミクスを持って動いている。その構造を無視したまま表層だけを変えようとする試みは、カーゴ・カルトに似ている。飛行機の形をした藁の像を作れば、空から物資が届くと信じた人々のように。笑
それでも
希望について書く気があるとしたら、それは慰めの希望ではない。ホメオスタシスが乗り越えられないわけではないという、生物学的な事実の上に立つ、やや乾いた希望だ。均衡点は変わりうる。ただし、それには「変わらなければ死ぬ」という認識が、システムの深部に届く必要がある。それが言語の問題なのか、構造の問題なのか、インセンティブの問題なのかは、組織によって異なる。
私が思うのは、「形だけの改革」を批判することより、「形だけになる構造」を正確に記述することの方が、はるかに重要だということだ。批判は感情を動かすが、構造の記述は思考を動かす。そしてホメオスタシスに対抗できるのは、感情的な抵抗ではなく、均衡点そのものを動かすような、構造への介入だけだ。
ルターの宗教改革が本当に何かを変えたとすれば、それは彼の情熱でも説教でもなく、印刷技術という構造的変化が情報の流通を変えたからだ。彼自身はそれを理解していたかどうか、私には確認する術がない。しかし歴史を見ると、多くの場合、変化を起こした人間は、自分が何を変えたかを完全には理解していない。それで十分なのかもしれない。あるいは十分ではないのかもしれない。
── 現在、私の主戦場はあくまで法人の経営であり、臨床医として現場に立つ時間は極めて限られています。そのため、提供する医療の質を最高水準に保つべく、診察は完全紹介制とし、普段は特定のVIPの方々に限定してお受けしている次第です。
とはいえ、自らの深い痛みや組織の歪みと真正面から向き合い、本質的な解決を望まれる方に対しては、常に扉を開いておきたいと考えております。何かご相談がございましたら、どうぞご遠慮なくご連絡ください。
著者
近澤 徹(Toru Chikazawa)
精神科医・産業医/Medi Face代表
「下医は病を治し、中医は民を治し、上医は世を治す」を信条に、教科書に載らない人間の感情や衝突、文化や社会構造までを「臨床」として捉え、医療の枠を超えてヒトと社会を診る。
医師監修:精神科医 近澤 徹
Medi Face代表医師、精神科医、産業医。
精神医療と職場のメンタルヘルスに関する啓発活動に従事し、
患者中心の医療を提唱。社会的貢献を目指す医療者として、
日々の診療と研究を続けている。
- 医療法人鳳應会 理事長
- 北海道大学医学部卒
- 慶應義塾大学病院
- 東京女子医科大学病院 研究員
- 名古屋市立大学病院 客員研究員
- 日本医師会認定産業医 / 精神科医
- 株式会社Medi Face 代表取締役医師
- 株式会社Legal Doctor 代表取締役医師
- Z産業医事務所 代表医師
- Medi Lex 代表医師
- 須賀法律事務所 顧問医師
- 日韓美容医学学会 常任理事
- FRAISE CLINIC 統括医師
- 日比谷セントラルクリニック 副院長
- EIGHT CLINIC渋谷 統括医師
- アイエスクリニック六本木 統括医師
- ルナビューティークリニック池袋 統括医師
- 医療法人伯鳳会 赤穂中央病院








