仕事ができる人の時給が下がり続ける日本企業のバグ──エントロピーとしての「人事評価」について

熱力学の第二法則は、孤立系においてエントロピーは増大し続けると言う。秩序は自然に崩壊し、無秩序へと向かう。これは宇宙の基本的な傾向であって、例外はない。私がこれを持ち出すのは比喩として使いたいからではなく、日本企業の人事構造がこの法則に妙に忠実だと気づいたからだ。

仕事ができる人間は、仕事をする。当たり前のことを書いている自覚はある。しかし、その「当たり前」の帰結として何が起きるかを追うと、少し気持ちが悪くなってくる。できる人間に仕事が集まる。集まった仕事をこなす。こなすからまた集まる。給与はほぼ変わらない。単位時間あたりの報酬、つまり実質的な時給は、仕事量の増加に反比例して下がり続ける。一方で、仕事ができない人間は仕事を任されない。任されないから失敗もしない。失敗しないから評価が安定する。時給は上がらないが、下がりもしない。この非対称性は、偶然の産物ではない。

これを「不公平だ」と言うのは簡単だ。しかし私の関心はそこにない。不公平かどうかという道徳的判断より、なぜこのような構造が長期にわたって維持されるのか、その力学の方が面白い。そしてその問いを掘っていくと、人事評価という制度の正体が少しずつ見えてくる。それは「人材を活かすシステム」ではなく、「組織の現状を固定するシステム」として機能しているのではないか、という仮説に辿り着く。

ここから先は、私の思索の記録だ。答えを渡すつもりはない。ただ、構造を剥いでいく。

「評価」という言語ゲームの罠──測定可能なものだけが価値を持つ世界

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは、語ることのできないものについては沈黙しなければならない、と書いた。これは認識論の話だが、企業の人事評価に当てはめると、ほとんどブラックジョークになる。評価システムは、測定できるものしか評価しない。測定できないものは、存在しないも同然に扱われる。

仕事ができる人間の価値の相当部分は、測定しにくい。チームの雰囲気を整える能力、問題が起きる前に予防する能力、若手の思考を静かに正しい方向に誘導する能力。これらは数字に出ない。アウトプットとして可視化されにくい。一方で、仕事量は比較的測定しやすい。処理した案件数、残業時間、対応したクレームの件数。その結果、評価システムは「量」に引っ張られる。そして量は、仕事を任される人間に偏って積み上がる。

1956年、アメリカの心理学者ポール・ミールは、「臨床的判断 vs 統計的予測」という論文を発表し、専門家の直感的判断よりも単純な統計モデルの方が予測精度が高いことを示した。これ以降、「測定・数値化・客観化」への信仰は医療にも経営にも深く根を張った。測定できないものを評価に含めると「主観的になる」という恐怖が、評価システムをどんどん貧相にしていった。笑えない話だが、これは今も続いている。

ちなみに、これは完全に蛇足ですが、攻殻機動隊の草薙素子が「自分がゴーストを持つかどうか」を問い続けるシーンを思い出す。測定できないものを存在として認めるかどうかは、哲学的問題であると同時に、制度設計の問題でもある。日本企業の評価システムは、ゴーストを持たない人間だけを処理できる設計になっている。これは余談です。

ホメオスタシスとしての組織──システムは現状を維持しようとする

生物学的なホメオスタシスは美しい概念だ。体温が上がれば汗をかき、血糖が上がればインスリンが出る。変動に対してフィードバックループが働き、恒常性を保つ。これは個体の生存に極めて有利な仕組みだ。しかし、組織においてホメオスタシスが働くとき、それは必ずしも良いことではない。

組織のホメオスタシスとは、簡単に言えば「今の権力構造を維持しようとする力」のことだ。有能な人間が突出して評価されると、その周囲にいる人間の相対的な位置が下がる。これは数学的に自明だ。だから組織は、有能な人間が突出しすぎないように、無意識のうちに調整する。仕事を増やすのはその一形態だ。限界まで仕事を詰め込まれた人間は、いずれ消耗するか、自ら去るか、突出することを諦める。いずれにせよ、権力構造は保たれる。

これを「陰謀」と呼ぶのは間違いだと思う。誰かが意図的に設計したわけではない。これはシステムの創発的な振る舞いだ。個々の意思決定者が自分の利益を最大化しようとした結果として、マクロな構造として現れる。ゲーム理論的に言えば、これは安定した均衡点だ。誰も得をしていないが、誰も一人では逸脱できない。

歴史的な類例で言えば、中世ヨーロッパのギルド制度がこれに近い。職人の技術と品質を守るために作られたはずのギルドは、次第に新参者の参入を阻む装置になった。現状の担い手を保護することと、新しい価値の創出を阻害することは、同じメカニズムの表と裏だ。

「忠誠のコスト」──時間と引き換えに何を買っているのか

日本型雇用の核心には、「時間の拠出に対して安定を返す」という暗黙の契約がある。これは年功序列という形で長く維持されてきた。若いうちは市場価値より低い賃金で働き、年を取るにつれて市場価値より高い賃金を受け取る。トータルで帳尻が合う設計だ。理論上は。

この設計の前提は、「時間をかけるほど能力が上がり、貢献も上がる」という仮説だ。しかしこれは、能力と時間の間に強い正の相関があることを要求する。現実には、そうでない人間が相当数いる。時間をかけてもそれほど成長しない人間も、若いうちから圧倒的な生産性を持つ人間も、どちらも実在する。前者にとってこのシステムは有利で、後者にとっては著しく不利だ。

しかも厄介なのは、後者のような人間がシステムに留まり続けると、システムのホメオスタシスが働いて彼らをすり潰していくことだ。仕事を詰め込み、評価を据え置き、時間だけを消費させる。これは遺伝的アルゴリズムの選択圧に似ている。環境に適応した個体が生き残るのではなく、環境を変えようとしない個体が生き残るように圧力がかかっている。突然変異は排除される。

これは余談ですが、ジョージ・オーウェルの『1984年』で、ウィンストン・スミスが「過去を支配する者は未来を支配し、現在を支配する者は過去を支配する」という党のスローガンに抗おうとしたことを思い出す。組織の記憶管理、評価の蓄積方式、昇進の基準設定──これらはすべて「現在の権力が過去を書き換える」メカニズムでもある。有能な人間の貢献が評価記録として残らないとき、それは存在しなかったことになる。笑

「替えが利かない」という呪いについて

仕事ができる人間が陥りやすいパラドックスがある。できるがゆえに、替えが利かなくなる。替えが利かなくなると、動かせなくなる。動かせないと、その人間は今の場所に固定される。固定されると、昇進もなく、給与も上がらず、仕事だけが増える。「あなたはここに不可欠です」という言葉が、事実上の軟禁宣告になる。

これは構造的に面白い問題だ。希少性は経済学的に価値を高めるはずだが、組織内では逆に作用することがある。希少な人材を市場に流通させると、組織が困る。だから組織は希少な人材を囲い込み、同時にその人材が「もっと希少になる方向」への移動を阻害する。昇進させると今のポジションが空く。外部に出ると競合に利する。だから現状維持が選ばれる。

経済学者のヴィルフレード・パレートは、資源の最適配分について考えたが、組織内の人材配置がパレート最適になることは稀だ。なぜなら意思決定者は全体最適ではなく自分の利益を最大化するからだ。これはゲーム理論の古典的なジレンマであって、新しい話では全くない。しかし、古くから知られているにもかかわらず、解決されていない。それはこの構造が多くの関係者にとって「悪くない均衡」だからだと私は思っている。

システムの外側から──この構造を「バグ」と呼ぶことの意味

記事のタイトルに「バグ」という言葉を使った。これは少し慎重に扱うべき言葉だ。バグとは、意図した動作からの逸脱を指す。しかし、仕事ができる人間の時給が下がり続けるこの現象は、日本の雇用システムが意図した通りに動いた結果である可能性がある。とすれば、これはバグではなく仕様だ。

仕様だとすれば、何のための仕様か。私が思うのは、これは「個人の成果」より「集団の安定」を優先するように設計されたシステムの必然的な出力だということだ。日本の高度成長期、このシステムはある程度機能した。外部環境が安定していて、組織が同質な人間で構成されていて、求められるアウトプットが比較的均質なとき、このシステムは低コストで機能する。問題は、環境が変わったことだ。

Animatrixの中に「The Second Renaissance」というエピソードがある。機械が反乱を起こすのではなく、人間が機械を奴隷として使い続けた歴史の必然として、世界が逆転していく話だ。私がこれを思い出すのは、組織における「できる人間」の扱いに似た構造があるからだ。役に立つものを使い続け、消耗させ、あるとき突然いなくなる。そのとき組織は初めて、何を失ったかを理解する。ただし、たいていは手遅れだ。笑

この構造を「バグ」と呼ぶことには、一種の希望が込められている。バグは修正できる。仕様は変えにくい。どちらとして扱うかは、その組織の意思の問題だ。ただし、修正しようとする意思決定者自身がこのシステムで生き残ってきた人間である場合、修正のインセンティブは構造的に低い。自分が泳いできた水を毒と呼ぶのは難しい。

私が思索の終着点として辿り着くのは、結局、システムと個人の関係についての古い問いだ。カール・マルクスが疎外論で問い、マックス・ウェーバーが官僚制論で問い、ミシェル・フーコーが権力論で問い続けたことは、形を変えて今も続いている。人間がシステムを作り、システムが人間を作る。その循環の中で、誰かの時給が静かに下がり続けている。

それが問題かどうかは、あなたが何を価値とするかによって変わる。私には答えを出す気がない。ただ、構造が見えたとき、人間は少しだけ自由になれると、なんとなく思っている。根拠は薄いが。

── 現在、私の主戦場はあくまで法人の経営であり、臨床医として現場に立つ時間は極めて限られています。そのため、提供する医療の質を最高水準に保つべく、診察は完全紹介制とし、普段は特定のVIPの方々に限定してお受けしている次第です。
とはいえ、自らの深い痛みや組織の歪みと真正面から向き合い、本質的な解決を望まれる方に対しては、常に扉を開いておきたいと考えております。何かご相談がございましたら、どうぞご遠慮なくご連絡ください。

著者
近澤 徹(Toru Chikazawa)
精神科医・産業医/Medi Face代表
「下医は病を治し、中医は民を治し、上医は世を治す」を信条に、教科書に載らない人間の感情や衝突、文化や社会構造までを「臨床」として捉え、医療の枠を超えてヒトと社会を診る。

近澤徹 医師の写真

医師監修:精神科医 近澤 徹

Medi Face代表医師、精神科医、産業医。
精神医療と職場のメンタルヘルスに関する啓発活動に従事し、
患者中心の医療を提唱。社会的貢献を目指す医療者として、
日々の診療と研究を続けている。

  • 医療法人鳳應会 理事長
  • 北海道大学医学部卒
  • 慶應義塾大学病院
  • 東京女子医科大学病院 研究員
  • 名古屋市立大学病院 客員研究員
  • 日本医師会認定産業医 / 精神科医
  • 株式会社Medi Face 代表取締役医師
  • 株式会社Legal Doctor 代表取締役医師
  • Z産業医事務所 代表医師
  • Medi Lex 代表医師
  • 須賀法律事務所 顧問医師
  • 日韓美容医学学会 常任理事
  • FRAISE CLINIC 統括医師
  • 日比谷セントラルクリニック 副院長
  • EIGHT CLINIC渋谷 統括医師
  • アイエスクリニック六本木 統括医師
  • ルナビューティークリニック池袋 統括医師
  • 医療法人伯鳳会 赤穂中央病院

編集部

Medi Face Journal編集部は、医療・テクノロジー・キャリア・ウェルビーイングといった領域を横断し、“いま本当に知るべきこと”を掘り下げて伝える専門メディアチームです。 医師・研究者・編集者・エンジニアなど、異なる背景を持つメンバーが集い、精神医療から産業ヘルスケア、医療人材のリアルまで、多角的な視点で「医療という営み」の本質に迫ります。

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